第4話・三軒長屋

 三軒長屋は、おぼつかない細柱と薄板とで組み上げられ、竹格子の壁を土で塗り込めてつくられている。人間が入ることのできる軽薄な木箱、と言って差し支えない。風がそよと吹くだけで、壁一面に緊張がみなぎり、立て付けの悪い窓ガラスがかたかたと震える。強風の吹き荒れる夜など、うわものが一気に引っぱがされそうで、まんじりともできたものではない。今で言う耐震構造など考えられてもおらず、まるでマッチ棒でつくった工作のような不安定さは、心もとないことこの上ない。ただ、隣り合う三軒がくっついているために、その床面積のおかげで、なんとか持ちこたえられるのだ。雨が降ると、家中がじっとりと湿って、ぬかるみの中に囚われている気分に落ち入らされる。雪の重量に、頭上がミシミシと圧迫される恐怖もある。それでも、晴れるとたちまち乾ききり、ゴロゴロと過ごすのに気持ちいいこともまたこの上ない。

 木造りの家は、居心地に関しては優れたものだ。すだれを透過した日光が落ちる古ダタミの上などは、天国にいるような気分でお昼寝をすることができる。おかあちゃんがあおいでくれるウチワの風の中にいると、たちまち夢の世界にいざなわれる。よしたか少年は深く深く眠り、母親は、彼の汗ばむひたいをたまに拭いてやっては、穏やかなあくびをする。平安でしあわせな時間だ。ところが、そんなときに限って、隣のまんじゅう屋の母娘が大ゲンカをはじめるのだ。その怒鳴り声は、わが心の拠りどころである薄壁をビリビリと響かせ、束の間の平和を脅かしてくれる。しかし少年は、お母ちゃんのひざのまどろみの中で、壁越しにくぐもる大声量を別世界の出来事として聞いている。ほうぼうで起こるケンカもまた、平安の時代の一風景なのだった。

 わが長屋には、裏庭、というものがあった。玄関を入って、たたきを上がり、まっすぐに伸びる長い廊下を抜けると、逆サイドの土間に出る。その奥に、まあなんというか、ガーデン?がひらけるのだ。お母ちゃんもお父ちゃんも庭いじりが好きで、そこには季節の花がいつも咲いている。少年はたまに、ジョウロに水道水を汲み、両親の大事な草花に水やりもする。放水の下に小さな虹が立って、不思議な感じだ。庭のすみに手漕ぎのポンプ式の井戸があるが、少年がそれをいじる頃には枯れていた。

 庭の最奥部には、古い蔵もある。この場所からは不思議なものがいっぱい発見されるので、格好の探検場所となっている。ガラクタをひっくり返すうちに、ジャバラ式のカメラやキーの壊れたタイプライターなどの古びた機械や、古銭も見つかる。今で言うところの「お宝」だが、もっぱらそれらは手なぐさみのおもちゃとして扱われ、やがて打ち捨てられることになる。要するに、ろくなお宝など出てはこない。わが家には、家宝など存在しないようだ。それでも、この謎めいた場所は、心ときめく秘密基地でもあった。

 一方、この庭のもう片側には、汲み取り用の穴がある。ポットン便所の穴は、地下でここにつながっているようだ。何ヶ月に一度か、バキュームカーが長屋に横付けにされ、消防士のようにかっこいい装備をしたおっちゃんが三人ほど、一本のホースをここまで伸ばして、吸い取ってくれる。ホースは、玄関のたたきから廊下を貫いて庭に出る必要があるので、廊下中に毎度毎度、大量の新聞紙が敷かねばならず、お母ちゃんは大わらわだ。その上を、おっちゃんたちはバタバタと通って、うんこを救出にいく。そんな光景を、少年は「ありがとうございます・・・」という気持ちで見ている。そっと鼻をつまみながら。

 庭でからだを動かすのもいいが、よしたか少年は、家の中でじっとしている方が好きだ。いつも二階の東南にある小部屋の窓べりで過ごしている。通りに面した、その陽当たりのいい窓がお気に入りなのだ。よく手すりの間から足を投げ出して桟に腰掛け、坊ちゃん刈り頭を日光にさらして、ぼーっと惚ける。古い杉材を組んでつくられたささやかな手すりは、長い歳月を住人の手に磨かれ、ゴツゴツと年輪を浮き出させて痩せ細っている。芯まで手垢を吸収しながら、それでいてからからに乾割れているのだ。体重を掛けると、たわむよりも先にポッキリといきそうで、実に心細い。それでも少年は、この寂び枯れた感触が好きで、昔の職人がきれいに噛み合わせた木組みをみしみしときしませながら、そこに小さな尻をのっける。

 でこぼこの家並みにはさまれた谷底を、門前町の若いおっかさんの結い上げ頭が行き来している。昭和の家屋は背低く、驚くほどコンパクトで、三軒長屋の二階から眼下をのぞきこむと、ほとんど足元すぐのところにひとの頭がある。池の鯉をのぞき込むような心持ちで、少年はごぼぜこ通りの平和を監視しつづける。

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