第3話・ごぼぜこ通り

 濃尾平野を三本爪で引っ掻いたように、木曽川、長良川、揖斐川が平行して走っている。まったく別方向にひろがる山からそれぞれに下ってきた三川は、河口に向かうにしたがって近づき、寄り添い合い、やがてのんびりと合流する。合流とは言っても、それらはそっくり同じルートをたどりつつも、交わることなく、それぞれに独立して流れているのだが。

 大昔、ここら一帯は、数多くの小さな川が細流のように張りめぐり、洪水を多発させていたらしい。しかも、雨が降れば巨大な川が出現し、水が引けば川の様相が変わっている、というありさまだった。川がバラバラに分かれていても、完全に合流していても、厄介だったのだ。そこで明治の時代に、三川分流という工事が行われた。網の目のような細流を、木曽川、長良川、揖斐川という大きな三本に束ね、それらを別管理で手なずけることにしたのだ。当時の国家予算の12%をブチ込むという、とてつもない河川改修工事だったという。それ以来、各々の川は自立性を保ちながら、隣接して並走することになり、おかげで水害もかなり減ったのだった。サンキュー、明治政府。

 さて、この木曽川と長良川との合流地点に、ちょうどサツマイモ形になった土地がある。そんな街に、豪壮な、とも言いきれないが、質素、と言うには大きすぎる、ほどほどの規模の、とある寺院がある。お察しの通り、よしたか少年が通う保育園のあるお寺さんだ。せんせいたちに見送られ、その門をくぐり出ると、細い細い門前通りが眼前に開く。そこが「ごぼぜこ通り」だ。

 その往来がなぜそんな名前で呼ばれているのか、よしたか少年はもちろん知らない。ただ「ごぼぜこ通り」という響きを聞くと、奇妙に愉快な気分になり、げらげらと笑いだしたくなる。多少のあれこれを知った数十年後の今になって考えてみれば、「ごぼ=御坊」というのはお寺さんのことで、「せこ」というのは「狭所」のことだろうから、「ごぼぜこ」とは、その見た目通りに「谷のようにせばまった門前町」を意味すると理解できる。だけど当時の彼にはそんなことは関係なく、ごぼぜこ通りとはすなわち、自分の住む三軒長屋の前に横たわる細い路地、のことなのだった。

 ごぼぜこ通りは、各々きしんで傾くあばら屋の波打つ軒にはさまれて走っている。ここから振り返ると、背後の奥深くに、寺院の見上げるような本堂がたたずんでいるというわけだ。通りのどん突き、太陽にまばゆく輝く甍は、まるで大空にひろげられた銀幕のように見える。デコボコの家並みと、立派な寺院の巨大屋根との対照は、一種不思議なパースペクティヴを構成していて、少年の目をくらくらさせる。

 ジジイ、ババアから「ごぼさん」と呼ばれ、親しまれている寺院は、よしたか少年にとっては信仰の対象というよりも、夏休みのラジオ体操の集合場所であり、トンボやセミを殺生するための狩りの場だ。前庭では缶蹴りをし、コマを回し、ドッヂボールやキックベースをし、メンコのやり取りをし、飽きることなく走りまわり、日が高い時間から夕暮れまで、友だちとじゃれ合い、もつれ合い、どつき合っては笑い合い・・・お母ちゃんが「晩ごはんだよ」と呼びにくるまで過ごす場所なのだ。この半径数十メートルの範囲内が、当時の彼にとって、世界のすべてだった。

 この門前町のぐるり周囲には、それはもう本当にお釈迦様が産み落とされたかと見まがうほどのハスが一面にひしめいている。雨傘のようにおおらかに開いた葉っぱに囲まれたそんな場所で、よしたか少年のおおらかなタマシイはかたちづくられていくことになる。

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