第3話
翌日の晩、ソニアは再び例の箱を取り出した。その前にまず、しっかり外出着を着て、髪を整え、靴もはいた。
今度は二番目の仕切りの中の、琥珀色の石を取り出して裏に彫られた文字を読んだ。
「ラシード……? 少なくとも、ゲイシャじゃなさそうね」
琥珀色の石を装置の中央に置く。光の中からあらわれたのは、巨大な黄金の扉だった。ソニアは陶器の取っ手をつかみ、両開きの扉を開いた。そして驚嘆の叫びをあげた。
そこは暑く、乾いた空気が肌をつつんだ。
彼女は絢爛たる宮殿の玄関ホールに立っていた。高い天井から透かし模様をほどこされたランプがいくつも吊り下げられて、昼のように明るい。
短いズボンとターバンを身につけただけの少年たちが、大理石の床を行ったり来たりしている。一人がソニアを見て、上を向いて大声で何事か叫んだ。
正面の広い階段から、金色の長い上着の裾をひるがえして、主人らしき者が駆け下りてきた。その男は黒豹のようにしなやかで、顔は精巧な青銅彫刻さながら、黒髪は幾筋もの細い束にねじって小さな金の輪で留めてある。革のサンダルにも、浅黒い腕にはまった太い腕輪にも、いたるところにトルコ石や珊瑚などが飾られている。
彼は優雅に一礼した。
「わが宮殿へようこそ、姫君」
彼はソニアの手をとって柱廊に出ると、中庭に導いた。あたりは香木とジャスミンの芳香でむせかえるようだ。小道に沿って並んだ大きな甕の中で睡蓮が咲き、繁った椰子の葉が影を落としている。
大理石のあずま屋に絨毯がひろげられ、小姓たちが山ほどのご馳走と、琥珀色の酒を運んできた。二人は絨毯にねそべり、クッションにもたれて果実を食べ、ゴブレットから酒を飲んだ。楽士たちが噴水のほとりでドラムを叩き、ウードを弾いた。
しばらくするとラシードはふたたびソニアの手を取り、上階のバルコニーに案内した。宮殿は高台の上に建てられているらしく、バルコニーからは下方に位置するいくつもの丸屋根が見渡せた。城壁の向こうは果てしなく続く砂漠で、頭上には満天の星空がひろがっていた。
ソニアの頬を感動の涙がこぼれ落ちた。すると、彼の手がそっと肩に置かれた。
この状況で男が何かを要求するのは当然であり、もはや応じないわけにもいかぬという気がした。ソニアはあきらめてゆっくりと振り返ると、彼の首に両腕を投げかけ、目を閉じた――
彼は突然、ソニアを突き放した。
「ご存知ないのなら申し上げておきましょう。わが宮殿を訪れるとき、あなたはわたしのもてなしに対していかなる代償も払う必要がなく、なにひとつ強制されることはないでしょう。わたしはあなたの望みを叶えるべく全力を尽くすでしょう。しかしそれはあなたに恩を売るためではなく、まして情けをかけてもらうためでもない。あなたが本当にそれを望むのでないかぎり、見返りとしてわたしと戯れてほしくなどありません」
ソニアは目を丸くして彼を見つめた。彼は言葉をつづけた。
「わたしもまたあなたに対してひとつの権利を持っています。たとえあなたが箱の所有者でも、その権利を取り消すことだけは不可能です」
「権利とは何のことですか?」
「それはいずれおわかりになるでしょう。もしそれがなければ、箱の所有者に仕えるというこの使命は、際限のない苦役となるはずです。しかしわが魂にこの特権あればこそ、あなたの喜びはわが喜びであり、あなたの犠牲はわが哀しみとなるのです。それをお忘れなきように。さあ、今日はもうお帰り下さい」
彼はソニアの腕をつかんで階段を下り、無理やり玄関から押し出した。扉が、反対側から荒々しく閉じられた。彼女は自分の部屋に戻っていた。
「まあ、なんて気難しいの!」
彼女は石を仕切りに戻しながら呟いた。それでいて、やっぱり嬉しくて笑ってしまったのだった。
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