境界のリーサルウェポン
山吹レンジ
プロローグ
三年前。
その事件を知らない者は、当時を生きるものなら恐らく存在しない。
一〇〇〇年も昔から続く、ヒトと天使の争い、その歴史の中でも一際多くの被害を出した大事件が起きたのだから。
「……な、なんだよ。あれ」
手に持つ大剣と茶髪の髪が特徴的な青年。歳は恐らく二〇かその辺だろう。小柄とも大柄とも形容しがたい中性的なシルエットが、絶望したかのように遙か遠方に目をやった。
そこに見えるのは、異様に手足が長く、アンバランスな形状の巨人。頭の上には光の輪が燦然と輝いており、その神々しさとは相反するように、巨人の方には意識の欠片すら見受けられない。まるで傀儡のような不気味さを放っている。
「なにって……“ガリエル”じゃない。自我すら持たない神の傀儡。あれくらいなら今の私達にとっては特段脅威にもならないでしょ」
男性の傍らに立つ黒髪の女性は、遠くを見てそう言った。こんな戦場であっても、何故か彼女からは女性特有の可憐さというものがひしひしと伝わってくる。それはひたすらに、戦場の中であっても一人の人間でありたい。戦いの道具に墜ちてなるものか、という強い芯があるからなのだろう。中々真似できるものでは無い。
彼女は、こう言った直後に青年が真に言いたかった事を察したようで。
「……! なに、この気配」
「気付いたか。この上がり具合……マズくないか」
「ええ、他にも上級天使が数体がかりで気配を消すために結界を張ってるようだけど、それでも尚、これほどに強く感じる魔力……何としても止め……いや、これはもう」
「ああ、止めるには遅すぎる。避難させよう。それが現状のベストだ」
「でも、背中を見せたらそれこそ連中の……」
「いや、退路なら僕が切り開く」
自信満々、とは言わないまでもそれなりの確信の元、彼は言い切る。
実のところ彼女も知っていた。この青年には、その提案をやりきるだけの奥の手がある事を。
だが、それをやれば彼は最悪死に至る。
「止めないでくれよ。このままでは全員が死ぬんだからね」
「……」
分かっていた事だった。
戦争と名のつくからには、必ず“死”という現実がついてまわる。そんなもの学園時代から嫌と言うほど思い知らされていた。
演習ですら最悪命を落とす。
それで責められるのは本人の不甲斐なさ。教員始め演習協力者には一切の責任は問えない。
そんな環境で育ったからこそ、この時の彼の判断は正しいと彼女は思った。
「生きて……奇跡を起こして……あなた、今までもそうしてきたじゃない」
「はは、今回のこれは次元か違いすぎるけど……やってみるよ。また必ずキミの元に帰ってきてみせる。その時は……」
ここまで言って、彼は言葉を止めた。
何となく、これを言ったら二度と会えなくなってしまうのではないかと思ったのと、今まで何となくいがみ合いのような関係だった彼女に対して、この場の雰囲気でも“素直”にはなれなかったからだ。
「……なによ、ちゃんと最後まで言ってくれないと分からないわ。相変わらず意気地が無いのね」
「キミこそ、相変わらず察しが悪いね。戻ってきたら教えて上げるさ」
意地悪な笑顔と共に、それだけ告げると青年は天使の方を向いた。
口には出さなかったが、彼はこの天使の仕掛ける一撃を止めるつもりだ。ただ確証があまりにも少なすぎるから、彼女には避難に徹して欲しかった。
彼女もまた、彼は“時間稼ぎ”ではなく“攻撃の阻止”を狙っていることに気付いていた。ただ、口に出さなかった理由にも察しがついたので何も言わなかった。
彼を真に信じているから、避難する気にもなれなかったのだろう。その場から微動だにしない彼女を見ると、彼は苦笑い。
「キミには敵わないな……行ってくる」
それだけ言い残して、彼は姿を消した。
それから数秒後、遙か遠方の巨人が一瞬で木っ端微塵に砕け散る。当然、周囲を浮遊していた小型の上級天使も焦りを隠せずに、迎撃態勢に入るが、それすらも一瞬で退ける。
何があったのか、視界からの情報では理解できない。それだけ桁違いの戦いが目の前で繰り広げられていた。
彼女はひたすら祈ることしか出来なかった。青年の体力が完全に尽きる前に勝負が決してくれるのを。
青年は、光よりも速い速度で敵を薙ぎ払っていく。特有の魔術『
その名を『
一瞬、試してみて“ヤバい”と思った。
これは行使された者は勿論、行使した者にも光速の負担がモロにかかる。諸刃の剣。
封印しなければ、と即座に思った。
よってこの名をつけ、開発者である彼自ら禁術指定を申請した。未来永劫、後にこの魔術に目覚めた者達が使おうなどという気を起こさないように。
その禁を解いてまで、今は護らなければならないものがある。その一心で彼は目の前の敵を斬り続けた。
敵の数がみるみる減っていく。予想以上の戦果だ。これはもしかすると、僅かに生存の希望が見えたのかも知れない。
その時、光速で動き回っている筈の彼の耳に飛び込んでいた声。聞こえるはずのない緩慢な口調の言葉。
Zyg、gybcx……『────』
「!!」
理解できない言語の筈だった。にも関わらず最後の単語だけは嫌というほどに人の言葉と酷似していた。
「神の……ち────」
青年の意識はここで途絶えた。
いや、意識だけではない。今まで生きていた人生全てが、この瞬間に終焉を迎えたのだ。
審判のいないゲームで、いかに接戦を繰り広げていても、相手を皆殺にしてしまえば勝者となる。そこにはルールも、秩序もない。
それは最早、ゲームですらないのかも知れない。
彼は死に際、その真理に触れたような気がした。
青年を葬った一撃は、波紋を呼んで周囲を瓦礫の山に変えた。明らかに先程天使達が仕掛けようとした攻撃以上の破壊力。
しかし受ける側からしてみればオーバーキルであることに変わりは無かった。マイナス一〇〇〇もマイナス一〇〇〇〇も、ここまで来ると視認出来る差は無い。
ただこれ程の被害の中であっても、天使とやり合えるだけの力を持つ者達を容易く全滅させる事は出来なかったようだ。
死者の数は四割ほど。魔術の使えない民間人は避難させていたので、壊滅的ではあるがなんとか全滅は免れた形となった。
「……ん」
土煙が舞い散る中、何故か奇跡的に無傷だった黒髪の女性。本来ならば即死でもおかしくない程の距離にいたのに何故、と疑問が頭を過ぎるが、今はそこばかり気にしてはいられない。
必死に青年の姿を探すが、一向に姿が見えない。一頻り走り回ったところで、それを見つけた彼女は、揺るぎようのない事実を思い知ることになる。
「……嘘」
それは彼が常日頃携え、一時も離そうとしなかった大剣“ベルセルク”。「強そうだから」という理由で、狂戦士とも取れる意味合いの名前をつけた彼のセンスを小馬鹿にしていたのがつい先日のことのようだ。
思い出の中の彼には、常にこの大剣が共にあった。もはや身体の一部であると言っても過言ではないだろう。それ程の一品を簡単に手放すとは思えない。
「……」
全てを悟った彼女は、取り乱す事も無く目を瞑る。今その目を開いてしまえば、抑え込んでいた感情が一気に吹き出してしまうだろう。
今だけは必死に感情を殺し、現実を受け入れる。それが今もこうして生き長らえた自分に課せられた役割なのだと思い込ませる。
大剣を地面から引き抜き、彼がこれを携えてどんな気持ちで戦っていたのかを想う。
きっと、自分が戦士の一人として、相応の矜恃をもって戦っていたに違いない。その行いに傲りも恥じらいもない。
「……?」
剣先を上に向け、刀身を無心に眺めていた彼女の視界に、異様なものが映り込んだ。
それは人の形をしていた。
もっと言うと、肩まである白い綺麗な髪に、女性を思わせるような華奢な体つき。ただ女性と形容するにはあまりにも特徴がなさ過ぎたのですぐに男性だと分かった。
男性、というと語弊があるかも知れないが、それの外見は見たところ一二歳やその辺がいいところ。つまり正確に形容するなら少年という単語が適切なんだと思う。
「……どうしたの? 怪我してるの?」
「……」
見たところ外傷はない。
ただこんな戦場のど真ん中に寝ているので、全くの無傷とも考えにくい。自分の状態を棚に上げてそんなことを考えていると。
「……ンッ」
やや苦しそうに、息を吐く少年。とりあえず息があるのは確認できたので安堵する黒髪の女性は、ひとまず彼を保護することにした。その後のことなどどうとでもなる。優先すべきは少年の身柄の安全を確保することだった。
「大丈夫。あなたは死なせない。何がなんでも私が護ってみせる」
後に思えば、この言葉は無力だった自分という存在に見出した唯一の価値だった、とでも言えるのかもしれない。無力に彼を見殺しにしてしまった罪滅ぼし。そう問い詰められたら否定は出来ない。
だが、それだけではない。
目の前で死にかけている命を助けたい、その気持ちも確かに存在したのだ。
それから三年間、彼女は少年の育ての親となるのだが、その過程で衝撃的な事実を知ることになる。目の前で彼の死に際を見た彼女しか知り得ない、誰にも話すことなど出来ない事実。
境界のリーサルウェポン 山吹レンジ @Shino-Rains
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