4:剣意―Blanger―

 かつての人々が剣を生み出したのは、外敵となり得る存在に対抗するためである――そう、少女は育て親である修道長から教わった。

 隣町にある図書館に残された物語にも、それは野蛮なる武器だと教えられた。

 だからこそ、自身が発現したその刃は、ラグナスが言う「怒り」なのだと理解している――ルナリアは、黒き鎧の内で右手に宿る赤い光の正体を悟る。

 それが、彼女の内から出でた心であるならば、と。


「守る……そのために、振るえるはず、なのだからッ!!」


 再三の斬撃を受けてもなお、その剣は折れず。

 赤き怒りは誰かを守るために。剣の在り方は少女が道を違えぬ限り、その暴力性は守護のために振るわれる。

 少女の気丈なる心に弾かれる凶刃の担い手は、その黒騎士の姿に舌打ちを吐き出す。


「なぜ……なぜ、動かねぇ! てめぇ……舐めてんのかよぉッ!!」


 彼の怒りはもっともであろう。

 やっと現れた敵は、まるで戦意がないようにその足を踏み出すことをしない。ただ、何度も叩きつけられる刃を刃で弾き返すのみ。

 所詮は余所者と、そう認識しているから、ラグナスのその行動の真意を測ることはできなかったのだ。


「クソッタレェッ! てめぇが、そうやるんならァッ!!」


 真意さえ測れば他の手もあっただろう。しかし、彼は他の手段など探しもせず、目の前の打開方のみに全力を尽くす。

 その愚直さは、魅力でもあり彼の欠点でもあった。だからこそ国のガキ大将である彼に続いた部下もいた。

 だが、今は部下はいない。たった一人で二人に抗っている。その光景を哀れに思えるのは、タスクよりも年が近いガンツだけだろうか。


「カルパ……」


 彼がタスクのために残ったのは彼に未来を感じたからだ。その逆を言えば、カルパには未来が見出せなかった。

 その凶暴な本質が暴れ続けた果ては、周りを巻き込んだ自滅だ。それに巻き込まれたくない、と言うのが本音でもある。爆発物の近くで生活することを好む人間などいやしない。

 しかし、それでもその牛巨人が暴れる様は、この国が溜め込んできた闇を吐き出す生理現象のように思えて――彼は、その行為を否定することはできない。あれは、自分もなり得た可能性だ。


「グッ!?」


 感情と共に叩きつけられた一撃に、僅かにラグナスが呻く。

 攻撃は単調であるが、だからこそ一撃が重い。ましてや、汎用性を求めたがゆえに斧を振るうことを選んだその怪力は馬鹿にできない。

 一歩を踏み出すことが叶わない現状、ラグナスはいかにしてこれ以上の進撃を抑えるかで必死であった。

 『暗夜のシルドー』による防御も想定こそするが、あれの防御に用いられる方法は周囲の被害を考えないものであり、市街地戦には向いていない。


「ルナッ! 周囲の状況に目を向けろ。状況を、越える術をッ!!」

「う、うんッ!」


 今、彼らの手に逆転の秘策はまだない。未だ、剣、盾、マントの発現しか行えていないルナリアに現状を越える術はない。

 歩を進むことが許されない剣は、ただの戦闘意識を逆なでさせる棘でしかなく。盾は守ることしかできない壁でしかない。マントは指標にもならない布だ。

 だからこそ、二人ではなく――もう一人の存在を待つ。


「クソがッ! クソがッ!! クソがァッ!!」


 抵抗をせず防御に専念するラグナスの姿に苛つきを覚えるカルパは、何度もそう悪態を吐きながらラグナスを屈服させようと斬りつける。


「足掻けよッ! 無様にッ、泣き叫びながらァッ、這い蹲ってよォッ!!」


 それが、彼のこれまで出会ってきた人間の姿だったはずだ。ゴノギュラに乗り、その力を奮っては見てきた愉快な光景のはずだ。

 なのに、この黒騎士は、それに乗り込んでいるであろう少女は泣き叫ぶこともしない。心躍る断末魔も聞こえない、だからといって闘争心を刺激する抵抗もない。

 それがカルパの戦意を焦らし、ただでさえ短い根気を費やしてしまう。


「……いいぜ。アァッ……どうせなら、この国ごと、てめぇを最大限にぶった切ってやるよッ!!」


 操縦席に伸びている、一際目立つ警戒色で彩られたレバーを大きく引き、カルパはニヤリと口角を歪ませる。これまでの運用は、機体を理解していないからこそ抑えていた戦闘方法だった。

 激情はその抑えるべき鎖を引きちぎるには充分であった。ゴノギュラに秘められた機能――リミッター解除が発動する。

 ゴムパイプで出来た腕は、そのレバーに合わせるように膨張する。パイプ内にある空洞に、多量の空気が送り込まれているのだ。容量限界まで風を与えられることで、その姿は元来よりも太ましい腕を作り上げる。


「腕が、大きくなってる!?」

「そうさッ! こいつには、馬鹿なぐらいヤベェ力を発揮できるポテンシャルがあるんだよォッ!!」


 ルナリアの動揺に答えながらも、その怪力を形にした両腕は斧を握り締めて大きく振りかぶって見せる。

 体躯はさして変わらない――厳密に言えばラグナスよりも小さなはずなのに、その力溢れる姿は明らかにラグナスを圧倒していた。


「肉を切って、骨も砕いてやるさァッ!!」

「――ルナッ!!」

「ひっ!?」


 闘争心の叫びは、未だ覚悟しか定まっていない無垢なる少女に恐怖を伝染させる。

 未知なる敵になら歪むこともなかった赤い瞳だが、それが人間から受ける悪意だと解ると心はどうしても揺らめいてしまう。

 守るために戦う――その決意は偉大だが、少女はまだ理解しきっていなかったのだ。

 戦闘行為とは、それを行うという決意だけではなく、そのために何かを犠牲にするかもしれないという覚悟が必要なのだから。

 轟音――同時に、ルナリアは異常なほどの重力をその身に受けることとなる。言うまでもなく、それはラグナスが馬鹿力の一撃を受けたからだ。


「ルナァッ! 気をしっかり持てッ!!」


 ラグナスの叫びの意味をルナリアは最初は理解できなかった。多分な負荷を受けてもなお、彼女の気は確かだったからだ。

 しかし、すぐさまにその意味が解った。

 パキパキパキ、と頭上にある赤い剣の刃に亀裂が走っていたのだから。


「な、なんで――?」


 そう困惑を口にするが、その答えは誰よりも彼女が解っていた。

 『曙光のグラーボ』は、彼女の「怒り」の心によって形成された、絶望を切り裂く兆しの剣だ。ゆえに、その亀裂は少女の中の心にヒビが入っている証明である。

 如何にその目で自覚しようとも、一度入った亀裂が戻ることはない。必死に敵を強く睨もうと、その瞳はどこか揺らめいてしまう。

 あの夜――修道院で感じた、死に近づく感覚。それがありありと思い出され、同時に自分達が目を逸らした彼らの事が頭に浮かんでしまう。


 ――そう、私は……

 ――見ないフリをしたんだ。

 ――悪人が、盗人だから、死んでしまっても仕方がないって。

 ――そうやって、私は人の命を蔑ろにして!


 であれば、目の前の光景は報いなのだろうか。

 再び振り上げられる鈍く光る銀を見つめながら、彼女は短くも確かな走馬灯を垣間見る。

 理不尽だと叫んだ過去。それでも、自分もまた間接的にそうしていたのだ。マークスの手によって殺された盗人達。彼らに、慈愛の言葉すらかけずに――


「ルナッ! 目を開けろ! 過去など見る暇もない。後悔は後でしろ!」

「で、でも――」

「シャアッッ!! 部下の分まで、死ねよやァァァァッ!!」

「あっ――」


 死が間近に迫る。その中で罪を逆撫でするような言葉を言われてしまえば、必死に凝らしていた思考が暗闇の中へと落ちていく。

 すーっと、した暗闇は心地よく——だからか、その声は確かに彼女の耳に届いたのだ。


『剣を、振り上げろぉぉぉぉぉぉッ!!』

「——ッ!?」


 思考を失ったからこそ、その指示は透き通るようにルナリアの脳に浸透する。それは同時に、ラグナスに明確な指示が届く事と同義だ。

 振り下ろされた怪力の斧を、防ぐように構えた赤き剣が振り払う。硬質化した赤い金属片がキラキラとニーロコの大地に降り注ぐ。

 大きく薙ぎ払う反動で上半身が後退する中、仮面越しでラグナスは確かに、ゴノギュラが仰け反っているのが見えた。

 そして――太陽に向かって跳躍する、空を背負った人の形をした虫の姿を見たのだ。

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