3:守戦―Voword―

 その魔人は突如として現れた――それがこの国の人々が語る現実だ。

 ニーロコを蹂躙する牛鬼に立ち向かうかのように、その黒き騎士はニーロコの中心地に現れたのだ。

 地中から這い出てくる様は、国を守る者に見えるか? それとも、恐怖を与える悪魔に見えるか?


「な、なんだよ……あれ?」

「お、俺の家がーッ!?」

「何よ……何なのよ、あれは!」

「ルナリアさん……」


 恐怖から困惑を口にする者。ラグナスによって壊された家屋を嘆く者。唐突なる非現実な光景にヒステリックを起こす者もいる。

 ただでさえ同じような巨人が国を壊そうとしているのだから、その黒騎士に畏縮してしまうのは仕方がないのかもしれない。それほど、この国の人々は魔人機を知らなかった。

 優しさに溢れた少女が、その鎧を青年と共に纏った事を知るマナナは、不安げに彼女の名前を呼ぶしかない。

 この数日、ルナリアという人間がいかに知に溢れており、慈しみ深いかをマナナは知っている。だからこそ不安に思うのだ。そのような少女が、果たして悪鬼に抗えるのか、と。


「兄貴……早く来るっすよぉ……」


 この状況を打破できる――そう信じている、少年を想う。

 少女は真っ直ぐにラグナスの背中を見上げる。靡くマントが、暁から受ける光から影を作り出している。

 チラリ、チラリと映る光は、確かにニーロコの国民を照らしていた。

 



     【◆】



『――ね、カルパ?』

「あぁ。そうだ。そしてこっからは、俺がぶっ壊す時間だ……」


 ゴノギュラの下腹部の操縦席で、相棒から渡された通信機と呼ばれる機械を片手に、口角を大きく歪ませる。今すぐにでも、笑ってしまいたいほどに。

 それが合図となり、カルパはニーロコの城の背面に隠しておいた牛の巨人を起動させた。

 傍らにあるレバーを引き上げて、魔人はその瞳に二重の虹彩を浮かび上がらせる。鋼の肢体に血を通わせるように風が浸透していき、ゴノギュラの腕は豪腕と呼べるまでに変化した。

 背負う半身以上のハルバードの柄に手をやりながら、横暴にもニーロコを揺らしながら近づいていく。


「しっかし……このツウシンキ? もそうだが、ナバンサに協力を仰げるあの女、いったい何者なんだ?」


 ソルティという女に会ったのは、部下が殺されるその日であった。今後の盗賊生活における戦力補給が目的のスカウト。それがキッカケで接触し、そして二人で部下が白騎士に殺される瞬間を遠くから目撃していた。

 それらもあって彼女はカルパの意志を理解し、彼の復讐に手を貸してくれる事となった。

 問題は、そんな彼女がカルパの知らない知識を有し、ナバンサの城への入城をいとも容易く許された事であった。むしろ、あのナバンサが動揺を見せるぐらいである。


「まっ、今は気にすることもねーかッ!」


 利用できる物は何でも利用してきた男は、そう抱く疑問をすぐさまに捨て去った。彼の操るゴノギュラも、部下も、ソルティでさえ彼にとっては自身を支える柱としか思っていない。

 自身こそが最上――カルパ・チョッパーは、そのためならばかつての支えであった国でさえ、その足で踏みにじることをいとわない。


「国をぶっ壊せて、やつもおびき寄せられる! 最高じゃねーかよォッ!!」


 レバーを引き上げ、ペダルでゴノギュラを操縦するカルパの表情は笑顔に満ちていた。その笑顔に悪意などない。玩具を与えられた子供が、それを使って遊んでいる姿に似ている。

 操縦席から見下ろせる、木造の家屋が粉砕されていく様。一歩踏み出すごとに、逃げ惑う人が浮き上がってこけていく。

 その様子が、本当に、彼は楽しく感じられる――意のままに操れる圧倒的な力、それが簡単に振るえる様は断末魔によって実感のあるリアルを彼に与える。

 それこそが快楽。それを得てしまえば、彼にあるかは解らない良心が働くことはない。


「さぁ、早く来いよぉ! そこにいるのは解ってんだ! そーじゃねーと……どんどん、ぶっ壊していっちまうゾォッ!!」


 強大な力に溺れる男の狂喜は、無言で国を闊歩していくゴノギュラを悪鬼のように魅せるアクセントとなる。傍目から見れば、その愛嬌ある姿も生物を殺す悪魔に映るだろう。

 だから――その騎士が、現れるのは必然であったのだ。


「来やがったか――悪魔野郎ッ!!」


 大地に浮かび上がる赤い光の魔法陣。そこから這い上がるように浮かび上がる、黒き騎士――魔人機、ラグナス。

 浮上と共に、その肉体に降りかかるのはニーロコの木造の家屋の残骸だ。人間の住まう家と同等かそれ以上の姿を持つ魔人が地から現れたのだから、側面の家屋が犠牲になるのは規定事項であった。

 それほど、魔人機という物は人間生活において逸脱した存在である。だからこそカルパはそれを強大な力と笑い――ルナリアは過ぎた力だと嘆く。


「っ……下手に、動けない」


 ラグナスの出現と共に彼の内部へと至ったルナリアは、そこでやっと自分が想像していた以上に魔人機の姿が厄介なことに気が付く。

 人が住むために作り上げた国は、魔人にはあまりにも小さすぎるのだ。

 良心の鎖が少女の首に絡まる。今、破壊してしまった家の主は嘆いていないだろうか。ましてや、今の破壊で死んでいないかと――


『ルナ。戦闘方針』

「こ、こんな状態じゃ戦闘はできない!」

『良心に囚われるな……と言ってやりたいが、そう単純ではないか』


 ルナリアの優しさは、戦闘行為においては邪魔にしかならないが、同時に戦士が捨ててしまう希少な足枷だ。

 それを捨てろと、言えるほどラグナスも非情ではない。

 チラと、ラグナスの兜から覗かせる一つ目が後方を向く。誰もが、黒騎士の登場に恐怖しているようであった。瞳を揺らめかせ、騎士の背中を見やる観衆から目を背けた。


『お前の意向に従おう。それを成してこそが騎士だ』

「ラグ……」


 ルナリアの優しさを肯定し、彼女だけの騎士は逃げ惑う国民達の盾となるように、牛の巨人を睨みつけた。

 搭乗者の気持ちを代弁するように、その鼻輪で結ばれた鼻穴から蒸気を噴出すゴノギュラ。ゆっくりと、右手で背中のハルバードを引き抜き、両手で構えて見せる。


『こねぇならさぁ……こっちからいくゾォッ!!』

「声が――ッ!?」


 何度も大地を叩き付けるように接近してくるゴノギュラ――そこから聞こえてくるカルパの声は、確かにルナリアの耳に届いていた。

 これもラグナスが言っていた通信機と同じものだろうか、と緊張の中で浮かんだ疑問が、少女にほんの少しの心の隙を生み出してくれた。

 ほどけた緊張は、同時に少女の呼吸を整えた。


「戦闘はできない……けど――ッ!!」


 双眸の赤い瞳に浮かぶハイライトがくるりと回る。突き出した右手は、同時にラグナスの肉体も同期させ、彼女の闘争意識を反映させる。


「剣を、守るために振るうならッ!!」


 彼女の発言と共にラグナスの右手は赤光の粒となり霧散する。それは一見、自壊のように見えるだろう。

 しかし、それはラグナスという本質不明の魔人が引き起こす戦闘前行為。人が鞘から剣を引き抜くように、かの影の魔人は光の剣を右腕に纏わせるのだ。


「この国の暗澹あんたんごと切り裂いて――曙光しょこうのグラーボッ!!」


 少女の願いは力となり、ラグナスの隠された赤い瞳を力強く光らせる。心なしか口角を釣り上げた彼は、霧散した赤い光を再び一つに束ねさせ右手の再構築を行う。

 だが――言うまでもなく、その形は彼の右手などではない。彼女が形作るのは万物に差し伸べる手などではなく、巨悪を裂く拒絶の剣。

 何もかもを傷つけてしまう、血色の光で出来た腕と一体化した彼女の怒りだ。


「ラグ! 戦闘方針……これ以上、進ませないッ! そのために、私たちはこの剣で、この国を――守るッ!!」


 出現した右手の凶器に対し、カルパは躊躇いすら覚えずに両手に持つ斧を天に掲げる。隙の大きな大振り。されど、歩を進める事を捨てたラグナスはその隙を活かす事はできない。

 それでいい――彼女の言葉がある限り、魔人は騎士として振る舞える。剣振るいし殺戮者ではなく、剣掲げし守護者として立ち向かえる。

 ならば、その次の言葉は、行動は、彼女の意のままに。


『よかろう……なればこそ、この右手に握りし刃は一閃の盾となり――』


 右腕を曲げ、赤刃の先に左手を添える。盾にしてはお粗末であり、剣には想定されていない守る為の構え。

 脳天を破壊するに足る巨大な斧に対するには貧弱に見えるか――否。それは盾であり剣。ましてや、鋼ではなく光だ。

 交錯する凶器達。瞬間、彼らを中心に国には衝撃の風が巻き起こる。それほどの一撃。しかし、剣は折れるはずがなく、


『お前の願いを叶える、我が誓いの刃となってみせようッ!!』


 むしろ、斧を一撃を弾いてみせた。赤き光が空を切る中、弧を描く。

 歩は進まずとも、騎士はここにあり。守護騎士は暁を受け、確かにそこに存在していた。

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