11:光見―Refleyes―

 星空の光が、バラバラに散るガラスに反射する。その瞬間だけ、ラグナスとルナリアの周囲は煌びやかに輝き、夜の闇などに負けない光を纏っていた。

 が――


「……着地、できるか?」

「――えっ!?」


 一方で、その渦中にいる二人は寒い空から落ちていた。白城からルナリアを抱きかかえ、窓から飛び出したはいいものを、当然ながら二人は重力に引っ張られて降下する。

 少女は恐怖から瞳を閉じているが、下から舞い上がる風の感覚で更なる恐怖を感じる。その中で自分を守ってくれるはずの彼がそう呟いたのだから、内心で残っていた希望もヒビが入るというものだ。


「ら、ラグ!?」

「俺を信じろ! 大丈夫だッ!!」

「う、うんッ!」


 ぎゅっとラグナスに寄り添い、近づいてくる衝撃に備える。だが、人間がおよそ五十メートルの落下に耐えられるわけがない。その事実は、逃避するルナリアは考えずともラグナスは理解している。

 自分の命だけならば、とラグナスは思考するがそれではいけない。第一に考えるべきは、自分を信じようとしてくれる少女の命だ。

 赤き瞳が闇夜に堕ちていく。眼下のニーロコの光へと――ギリっと歯を噛み締める音が聞こえ、彼は絞り込むように声を上げる。


「――フル、ギーロォッ!!」


 彼の叫びが夜天に木霊した。少女は、瞳を閉じながらもその言葉の意味を思い起こす。ラグナスの使う武器の名と同じ古代聖道語。そしてその意味は――翼。人が持ちえぬ、空を翔ぶための機構。

 黒きローブは風によって舞い上がり、その黒い肌は世界に露出する。同時に、その鎧の下にある赤い心臓の光が溢れ出していた――その背面から。


「えっ……?」


 彼の声、瞳を閉じても見える赤い光、そして何よりも――


「温かい……?」


 寒空の中で感じていた風をも超える、その温度を感じる。恐る恐る、その水色の瞳が世界を見るために開かれる。

 青年の表情は見えない。なぜならば、その背後から溢れだす光が彼女の瞳を奪っていた。赤い光。二つに分かれた、言葉に違わぬ翼が、確かにそこにあったのだ。


「グッ……ゥゥ」

「ッ!? ラグ、大丈夫?」


 逆光で見えぬ顔から苦悶の呻き声が漏れる。背部から漏れ出すそれが、まるで血が噴き出しているように感じられるほどに。

 しかし、下降速度は確かにゆるやかになり始めている。翼は光が放出するような形であり、羽ばたくような動きを見せるわけではない。それでも、まるで風と重力が味方をしてくれているように、ルナリアを包む冷気は溶かされていく。

 ふわり、とラグナスの足が地についた。同時に、彼の後方から発生していた光の翼は霧散する。降り注ぐ赤い光鱗の中、ゆっくりとラグナスは少女を降ろした。


「ッ――ハァッ……クソッ……」

「ラグナス!」

「大、丈夫だ……ほんの少し、無理をした」


 彼にしては珍しい、息を荒げ膝をつく様子に少女の指が震える。自分のために何かの力を無理やり引き出したのは明白だ。

翼という、明らかに人外染みた力。それでも、その痛々しい姿を見れば、彼女の心は怖気よりも罪悪感に包まれる。

 それでも――失いかけた声を、力無く握った拳を持って取り戻して。


「ラグ。逃げるよ。立つことできる? 腕、引っ張ろうか?」

「……大丈夫だ。ただ、お前を抱えて走る体力は、ない。腕だけ貸してくれ」

「うんっ」


 ラグナスの右手を両手で握って、力を込めて立ち上がらせる。一度だけふらっとよろめくが、それでも片方の足でしっかりと大地を踏みしめる。

 彼の指は震えてなどいない。少女の指も震えは消えた。着陸した地点は、白城の影となる部分だ。月の光が少女たちに味方をしてくれているが、それも時間の問題。耳を澄ませば、靴が何度も土を叩く音が聞こえてくる。


「走るよ」

「あぁ」


 城下のニーロコの街並みに逃げ込むために、ルナリアとラグナスは影を背に疎らな光を目指して走り出す。耳に残る、一つではない足音たちを置き去りにして。



     【◆】



 走る。走る。走る――額に浮かび上がる滴は金糸に沿って宙を舞う。

 体力には自信があった。少女は旅に耐えられるように、幼少期からラルドから運動を教え込まれてきていた。ランニングは勿論、木登りや水泳――潜水は特に得意なほどに。

 それでも、ラグナスやマークスのような年上と比べると劣る。それは仕方がないと彼女だって解っており、だからラグナスを頼りに感じていた。


「ラグ、急いで!」

「……あぁ」


 街中を走る中、ルナリアは何度も振り返っては相棒にそう声をかける。何度も感じる、彼が立ち止まる気配。俯いて、膝に手を当て荒い息を吐く姿を何度見たことか。

 明らかに体力が削がれている。それも怪我ではなく、内から生じた要因である。背中からあの赤い光は消えており、血が噴き出しているわけでもない。外傷はないため、ルナリアは手当てをすることも叶わない。


「――ッ、音……」


 バタバタ、と音が聞こえた気がしてルナリアはラグナスに寄り添う。彼を担ぐなど到底無理で、引き摺るにも時間がかかる。しかし、彼が体力を取り戻すには更なる時間が必要だ。

 タスクたちの拠点に向かって店と家屋に囲まれた一本道を走ってきたが、それは同時に挟まれてしまえば逃げることができない状況でもある。家屋と家屋の狭間――路地裏はあるにはあるが、そこには彼女の心に残っているあのギラついた視線がある。


「くそ……教会の奴ら、思いの外に早く来やがるか……ルナ、お前だけでも逃げろ」

「ダメだよ!」

「大丈夫だ。……体力が回復さえすれば、剣でも使って逃げればいい」


 それは、一度は捕まることを前提としている。戻ってしまえば、あのカルパという男に殺されるかもしれない。あの黒い銃弾に今度こそ撃ち抜かれる青年を想像し、ルナリアはより一層に声を張り上げて拒絶する。

 カツカツカツと、音は秒単位で大きくなってくる。逃げないルナリアと、逃げられないラグナスは二人で寄り添い蹲り、そして――


「――ッ!?」


 声を潜める。そうせざる負えない状況となる。


「おい。これぐらいの金髪の少女と、黒いローブを羽織った男は見なかったか?」

「……知らぬ」

「むっ、そうか……おい! こっちには来てないらしい」

「本当か? 窓からもし逃げたらとしたら、この直線だと思ったんだが……別の所に行くか」


 二人の男の声が聞こえなくなり、一人の男だけが残された。ボロボロの服と伸びてパサパサな髪を持つ老人。先程、少女たちを知らないと嘘をついた男だ。

 男の後ろ――路地裏の影に、二人は安堵と困惑の溜め息を漏らしていた。


「よ、良かったぁ……」

「追われているのか?」

「え、えぇ。まぁ……」


 しわがれた老人の声に少女は動揺を隠せなかった。何せ、あの目がギラついた路地裏の住人に助けられ、その視線に敵意が無くなっていたからだ。

 蹲り覚悟をしたあの一瞬。ルナリアは僅かな声が聞こえた。それは老人の声であり、こちらへこい、というもの。藁に縋る気持ちでラグナスに耳打ちし、路地裏に滑り込むように身を投げ出したのだ。

 結果――老人の奥、その暗闇の中に隠れた少女たちを彼は売ることもせず、一時の平穏を手に入れた。


「おじいさん……どうして?」

「教会、の名が聞こえたからだ」

「え?」

「教会は敵だ。その敵に追われているのであれば、お前は敵ではない」


 抑揚も少なく、冷徹を装い彼はそう語る。厳格な声であった。どこまでも折れることを知らない強い意志を感じる声音だ。ただ、どこかタスクとは違う硬さを持った真っ直ぐな姿であった。

 警戒心は解かない。ルナリアは息を整えようとするラグナスを横目に、老人との対話に試みることにする。


「どうして、教会を目の仇にしているんですか?」

「……奴らが来てから、様々な変化が起こった。貿易のルートは幾らかが奪われ、経済管理能力は大半を向こうが掌握している。それはいい。問題は、失職者が増えたことだ」


 遠く路地の影の先に見える疎らな光を見つめながら、浮浪者は眩しそうに目を細めている。どこか、遠い過去に思いを馳せているように思えるが、この国の過去を知らないルナリアには見えない光景だ。


「失職者……別のお仕事とかは――」

「お嬢ちゃんはこの国を知らないようだからハッキリ言うが……この国は人一人に役割がある。キッチリ収まった枠内で、キッチリと役を担う。それがこの国の在り方だった。そこに第三者が介入すれば……あぶれた輩は路上を彷徨う。当然の、当然すぎる摂理だ」


 結果、この国は教会を憎むことになる。教会との邂逅を失敗したことから始まる、歯車のずれた偏見が年月と共に酷くなっていった。

 それでも、この老人やまだ国の路地の闇に隠れている浮浪者は生きている。それは即ち――


「教会の連中をこの国から引き摺り下ろす……それが俺達、路地裏連合の誓いだ」

「ろ、路地裏連合……」

「……笑ってくれるな。そういうこともあり、教会の連中と同じ服を着ていたお嬢ちゃんを狙っていた輩もいただろう。俺もそうだ。連合の一人として謝る」


 潔く組織の非を認め、顔を下げる老人に、少女は声を返すつもりはなかった。恐怖は勿論あった。だがそれ以上に、その潔さをなぜ教会との話し合いに持ち出せなかったのかと考えていたのだ。それも、口に出すことはしない。


「ルナ」

「ん、どうしたの、ラグ?」


 頼りがいのある声が帰ってきて、少女は喉に言葉が詰まりながらも相棒の名を呼ぶ。振り返れば、闇の中でほのかに赤い瞳が輝いて見えていた。おかげで、その下の口角が少し上がっているのが見える。


「すまん。息は整った。担ぐのは無理だが、走れるぞ」

「よかった……なら、行こうか」


 安堵の息を吐いて修道女は背後の老人を一瞥する。祈りを捧げることはしない。彼の行いを否定するつもりもない。だけど支持もしない。

 教会の意見と、この国の怒りを聞き届けた少女はそれに関してはもう何も言うつもりはなかった。


「ありがとうございます。さようなら」


 短く、どこか冷たく。

 少女も思っていなかった声音を残し、路地裏の闇の奥の光へラグナスと共に向かう。目指すはタスクたちの拠点。そこへ辿り着きさえすれば、安心して状況を考えることもできる。

 老人も何も言わない。ただ光へ向かう二人を見て、眩く光景に目を細めるだけであった。瞳に宿る光を超える、今を走る光に。

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