12:逃前―Countleave―

 ニーロコの地理を見れば、教会の城とタスクたちの拠点は対象に存在している。

 北と南。門が東と西にあるのだから、均等とは言えないがこの関係は非常に利用できる地理であった。

 本当に体力が回復したようでラグナスが先頭に、ルナリアが後を追う形で街中を走る。

 さすがにタスクたちの拠点近くに来ると、まだ教会の手は届いていないらしいことが人気の少ないことで判った。


「ここまで来れば大丈夫だろう」

「そうだね……」


 緊張状態での全力疾走を続けたからか、二人の吐く息は汗が混じっている。

 しかし、そこには安堵もあり意識せずとも少女の顔は笑みを浮かべていた。


「ラグさん!」

「タスクか」


 隠れ家になる居場所の主の声が聞こえ、ラグナスの声も安堵の声音になり少年の名を呼ぶ。

 ルナリアも俯かせていた首を上げ、褐色少年の肌を拝む。


「予定通り、宿から荷物、持ってきておいたぜ!」

「すまない、ありがとう」

「予定通りって……ここまで予想通りなの?」

「一応、だ。何も無かったらそれで良かったんだがな」


 しれっとこの展開を予想していたであろう青年の言葉に、ルナリアはその行動力の高さに呆れと尊敬をこめて頷いた。


「タスク、悪いが今夜は借りるぞ。教会の連中と一悶着あってな……明日の早朝には出ていくつもりだ」

「え、この国をですか?」

「あぁ。災厄の元がいるとこの国に悪い。それぐらいなら出たほうがお前達にもいい」

「そうかも……私たちは旅人。少しでも国の未来のために、と思ってたけどこうなっちゃったし……」


 教会の一件は悪戯に場をかき乱したに過ぎない。ルナリアは少なくとも状況をそう感じ取っていた。

 せめて、ナバンサという教会の代表者の考えを変えられたならば、と見えることのない期待をするしかない。


「……とりあえず、入ってくれ。風呂とか用意するから!」

「ありがとな」


 タスクがタタタッと住まう家に戻っていく。それの後に続き、ラグナスとルナリアは警戒を怠らないように、音をたてずに家の中に隠れるのであった。



     【◆】



 球体のフレームが剥き出しに連結されている継ぎ接ぎの魔人――ゼクタウトが正座をしているすぐ横で、金髪の少女と赤毛の青年は淹れたてのコーヒーで一息をつく。二人の肌からは僅かに湯気が昇っていた。

 その二人の前であぐらをかいているのは、ゼクタウトを扱う三人だ。


「――そうか、教会の人はそう言ってたのか……」


 ルナリアの説明を聞き終えたタスクは、コーヒーの入ったスチールのカップを降ろしながらそう呟く。ボーイッシュな少女――マナナも、筋肉質な男――ガンツも難しそうな表情を浮かべていた。


「しっかし、なんでここで兄貴が関わってくるんだよ……えぇ」

「え、あのカルパと名乗ってた人って、例のタスクのお兄さん!?」

「名前がな、一致しているんだ。ったく、あいつ、国を出たと思えば盗賊をしていて、しかもその後に教会にいたとは……わけが解らん」


 ガンツが珍しく饒舌に盗賊の男、カルパ・チョッパーを語る。

 タスクよりも明らかにガタイと歳が上であるガンツだ。

 カルパをタスクよりも知っている可能性はあるか――ルナリアはそんな三角関係を邪推して、今はいいかと置くことにした。


「はぁ……まぁ、カルパの兄貴が関わってんなら俺がどうにかしないとだろうし、やるしかないかもなぁ」

「やるって、タスクの兄貴は何を考えているんすか?」

「そりゃ勿論、俺たちが教会の人と話を付けるってことだ。路地裏連合……だっけ? 大人が動かないなら、俺たちが動かないと前に進まねぇ。ですよね、ラグさん!」

「それが望ましいな」


 コーヒーを飲みこんで、ラグナスはタスクの計画に賛同する。

 だがそこには二人が入る余地はない。

 むしろ邪魔者であるのはルナリアだって解っている。

 ラグナスの言う通り、早朝にはこの国と別れた方が賢明かもしれない、とも。


「とにかく、明日は早くに出る。いいか、ルナ?」

「……うん。寂しいけど、それが一番だと思うから」

「そっか……」


 ルナリアの言葉で灰髪の少年は諦めたように息を吐いた。

 別れはいずれくる。たった数日だけども、少年にとっても少女にとってもその出会いは貴重なものだ。


「んじゃ、ここで寝てくれ。朝になったら俺らも起きるから」

「うん。ありがとうね、タスク」

「あぁ……んじゃ、おやすみ」


 だからこそ、少年は必死に笑みを作って彼らとの別れに臨む。それが彼にとって二人へ送れる唯一の覚悟であった。

 少年に続き、少女と青年も続いて、おやすみなさい、と二人の元を去っていく。


「ラグ……」

「仕方ないさ。旅をするということは、別れるということだ。湿っぽくもなる」


 残された二人は彼らの今後を想い、それを口にせず残ったコーヒーを啜った。

 ラグナスの赤い一つ目が鎮座する、この国の守護者を見つめる。同じ魔人として――いや、この国の守護者と言われる彼に尊敬の念を抱いて。


「この国の守護者が、このゼクタウトというのであれば……守ってやってくれよ」


 青年は僅かに笑みを浮かべて、六つ目の巨人にそう願った。



     【◆】



 鋼色の家屋の天上にはうっすらとランプが揺れていた。

 ゆらり、ゆらりと光の弧を描く下で少女と青年は、用意した寝袋に入り横になっている。


「……ルナ。寝たか?」

「……ううん。まだ」

「そうか……」


 就寝前だからか、二人の言葉尻はあやふやだ。

 明日の早朝には国を出ないといけない事もある。国の事情にこれ以上の加担ができないという後悔の念も。

 それだけではない。二人の間も、また揺れ動いている。


「……ルナリア」

「なに?」

「お前に伝えておきたい事がある」


 青年は赤い瞳を少女から逸らし、背中合わせで自身を語る。


「俺は、お前と出会う前の記憶を完全に取り戻していない」

「……記憶喪失なの?」

「いや、厳密には違う。一部の記憶が不明瞭なだけだ。だから、お前に伝えられる言葉も限定される……が、そうだな。この国を出る前に、お前が抱いている不信感に応えよう」


 そうじゃないと、これ以上の旅に支障が出る――ラグナスは自身の不透明な実態を認め、少女に謝罪の意味も込めて問いを求める。

 突然の言葉にルナリアは虚をつかれ、思わず最新の疑問を口にしてしまった。


「あなたは、人間なの?」

「…………」


 言った後に後悔をする。それは、一度は信頼した相手にあまり失礼だと気づいたからだ。

 それでも、ラグナスはしばらくの沈黙の後に言葉を続ける。


「人間、だと言いたいが、魔人機になる者を人間とは言えないだろう。少なくとも、俺は自分を人間とは断定できない」

「そっか……」

「だが、俺はあくまで人間と言い張るだろう。それが、俺という化け物が抱いている願いだ。そういう点では、この国までの短い旅路は楽しかった。人間らしさを、少しは知れた」


 たった数日の旅路であった。その間にも、化け物は人間と同じ姿で同じように過ごせたのだ。

 だがそれも終わる。彼は結局、化け物なのだ。魔が人の姿を象った、魔人。


「だから、タスクに慕われたのが嬉しかったの?」

「あぁ。あのような経験を、俺は知らない。頼られた事はあったが、慕われるような相手はいなかった」

「あぁ、そうなんだ……」


 タスクへの異常なまでのスキンシップの理由を知り、少女は僅かに抱いていた誤解を正す。そこに、少なくとも私情が混じっているのも含めて。


「あながち、悪魔だというのも間違いじゃないのかもしれない」

「それは、違う!」


 ルナリアの高い声音が響き渡る。ガバッと起き上がる少女に対し、青年は彼女の表情を見ないように身体を横にした。


「少なくとも、悪い人じゃないよ……ラグは」

「…………」


 少女の叫びは果たして青年に届いたのか。

 夜は深く潜り、鉄色の屋根の先にある星空は少女たちに降り注ぐことはない。

 静寂。少女の柔らかな寝息が聞こえる中、赤い瞳は一度だけ瞬いた。


「人、か」


 その声は、僅かに弾んだ泡のようであった。

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