10:宣言―Knightath―

 その宣言は力強く、少女に浮かびつつあった暗雲を打ち消すには十分であった。しかし、ナバンサは彼の言葉に疑いの念を持ち、カルパは嘲笑うように口角を吊り上げる。


「あんた、マジでそう言ってんのか? やめてくれよ、どこをどう見ればそう見える? この国はとっくの昔に終わるのが決まってんのさ」

「お前こそ、この国の生まれなのに知らないのか? この国には希望がいる。それこそ、愚直までに真っ直ぐで、夢見がちだが、どこまでも今を理解している」

「誰だよ、それは!」

「――子供だよ」


 それこそが彼の見た光。誰よりも快活に、誰よりも未来を見上げて、誰よりもこの国を愛している。

 カルパは舌打ちをする。元より、目の前の二人が復讐対象であることもあってか、ラグナスが言った言葉で相手を理解した。何より、カルパがその相手をよく知っているからだ。


「どんな国だって、夢見る子供がいれば生きていける。その子供の意志が折れない限り。それを支える仲間がいる限り。夢を叶えるために精一杯、足掻いている限り」

「バカが! 仲間がいてもいずれ諦めがつく。終わりが見えれば自ずと人は逃げだす。そうだろう? わざわざ一緒に死ぬ必要はねえ。自由を伸ばせる脚がありゃ、自由を求めるのが人間だ!」

「あぁそうだ。だからこそ、愚直なんだよ、あいつは」


 否定はしない。だが、それをもって肯定もしない。

 ただ、自分達が忘れてしまった、ただ真っ直ぐに進んでいく少年の姿を夢想し、ラグナスは小さく微笑んだ。


「自由が存在する選択肢を選ぶ中、そいつはこの国の未来を選んだ。それを光と呼ばずしてどう呼ぶ」

「そうかよ――」


 カチャリ。そんな音が男の声と共に響いた。

 カルパがスーツの下から取り出した黒い何か。ルナリアにはそれがよく解らなかった。丸い穴が開いていて、それをこちらに向けているのは解る。強いて言えば、手に馴染むような持ち手だなぁ、と。

 しかし、残りの二人の反応は各々に違う。


「カルパ・チョッパー! 教会で何を握りしめている!!」

「チッ!? ルナ、しっかりと俺の後ろにいろ! こいつ――銃を持っていたのか!」

「ご名答! てめぇとの話は終わらねぇ。それにもうそろそろ我慢の限界なんでな……黒騎士ッ!!」


 銃という存在をルナリアは知らない。だから、ナバンサとラグナスの慌てる意味が解らない。あの黒い何かがそんな恐ろしいのか。手のひらサイズで収まる、剣よりも小さなあれが。

 ラグナスが身構える。彼の後ろでその様子がよく解る。ルナリアの瞳が不安で揺らぐ。


「やめなさい、カルパ! あなたがたとえ教会の――」

「るっせーなぁ! 俺はこいつらの命に用がある。魔人機で殺すのがベストだが、こっちのが手っ取り早いんでなぁッ!!」

「ッ――」

「死ねよ、悪魔――」


 茹っていた言葉が熱を感じない言葉に変わり、男の引き金に指がかかる。

ラグナスが叫ぶ――耳を塞げ。意味を理解こそしていなかったが、彼の言葉に焦りが見えたのが解って、ルナリアはその言葉に従う。目を瞑って。それでも片目を開けて。

 そして――破砕音が空間に響き渡った。



     【◆】



 金属音とはまた違う、ガュンッという独特な音が続けざまに響いた。耳を両手で閉じていても聞こえる轟音。ルナリアの瞳は数秒遅れで、その光景を理解していた。

 カルパが握る銃と呼ばれる黒い物の穴から、何かが飛び出したのだ。あまりにも速く、それが何かが解らなかったが、それがいかに危険かは少女にだって解る。何せ、自分がそれを認識するのが、今がやっとだから。

 だからこそ、彼が行ったそれが、いかに恐ろしいことなのかを解ってしまった。


「…………」

「へっ……見たかよ、ナバンサ。こいつ、剣なんて隠し持っていたぜ?」


 黒のローブで隠していたラグナスの右腕が、赤い光を放つ剣の姿に変わっていた。それは彼が成る、悪魔――魔人機としてのラグナスが振るう剣。曙光のグラーボと呼称する、彼の腕を刃とする物。

 それが、銃から放たれた何かを切り裂いたのだ。いや、切り裂いたというよりは――焼き消したというべきか。何せ、切り裂いた後の断片はどこにもない。


「しかも銃弾は切りやがった……化け物が」

「……否定はしない。肯定もしない。俺はルナが騎士と言うのだから、それ相応の行動をしただけだ」


 彼はあくまでそう語る。それはルナリアからすれば嬉しいことだ。でも、その証明となる行動はあまりにも人外染みている。

 言葉が出なかった。目の前のラグナスという相棒は信じている。でも、どこかそこに恐怖があったことを思い出してしまう。信じなきゃいけないのに、信じていたいのに、あの時、彼を呼び出したときに感じた恐怖が――


「ルナ、逃げるぞ」

「――え?」


 青年からの提案に、少女の頭は追いついてなかった。それでも、ラグナスが残った左手で右手を掴んでくるので、ルナリアの身体は勝手に彼の行動に従ってしまう。

 だがそんな彼を止めるはずもなく、カルパはもう一度、引き金に指をかける。


「逃がすかよ!」

「――その銃、粗悪品だ」

「ハッ――ンンッ!?」


 飛んでくるはずの何かは、男のどよめきの声に変わる。

 少女がラグナスと共に扉へ走る中でふと後ろを向くと、銃を床へ叩きつけているカルパの姿があった。どうやら銃が使えないようである。


「待ってくれ! その光は……その子は誰なんだ!」

「やめとけよナバンサ。あいつは得物を持っている。殺す気だった相手に何を言っても意味ねぇよ」

「しかし……」


 ナバンサは言い淀む。逃げ行く彼らに手を伸ばして。

 そうもしているうちにラグナスとルナリアは部屋を脱出していった。彼らからすればここは敵地。それゆえに、行動に迷いはなかった。


「追っ手を出してくれよ。あいつら、魔人機も持ってんだ。暴れられたら、知らねぇぜ?」

「……この国の、光……」

「私からもお願いできないかしら?」


 呆然とするナバンサに、無視できない声が聞こえてくる。逃げ出したラグナスとルナリアの代わりに入ってきたのは、ルナリアと同じ金色と青色の瞳を持つ、カーキ色のロングコートの女性――。


「ソルティ・リーチ……」

「武力を持った人間が如何に危険か、あなただって考えられるでしょう? それがこの国の未来を明るいと言った輩でも、ほら、人間って解んないですし」

「……解った。彼らを追うように働きかける。しかし、生け捕りだ。私は、彼の話の続きを聞きたい」


 その言葉にカルパとソルティはニヤリと口角を吊り上げる。その姿を見ることもせず、ナバンサは自身の想いを打ち砕いてくれるかもしれない、そんな黒肌の彼と対話するために教会の修道者に宣言する。


「修道女ルナリア・レガリシア、用心棒ラグナスを生け捕りにせよ!」



     【◆】



「ハッ……ハッ……ッ」


 城の中の廊下を無理矢理に走る。困惑と焦燥、加えて恐怖が合わさって、ルナリアは現状への拒否感が勝っていた。身体はまだ動く。だが、精神が限界だった。

 ラグナスに握られていた右手を振り払う。数歩先に進んだラグナスが振り返り、荒い息を吐くルナリアを見つめていた。


「どうした? 疲れたのか?」

「ハァッ……ゥッ」


 右腕は赤く光る剣となり、走っていたからか顔を隠しているフードも外れ、今は赤毛と共に赤い一つ目が露出している。

 忘れてはいなかったつもりだった。なのに、彼があまりにも優しく、頼りがいがあったから、ルナリアは信じてしまっていた。


「あなたは……何者なの……ラグナス」

「……俺は、お前がラグナスと呼ぶ存在だ」


 人間だ、とは言ってくれない。嘘でもそう言ってくれるのであれば、ルナリアは騙されたと思えるのに。彼は、そのバケモノの姿で未だに人間と騙ってくれない。


「……私ね、怖いの。ラグナスのことが。あなたは優しい人だって知っている。頼れる人だって、信頼できる人だって……でも、まだ解らないの、あなたのことが」

「……ルナリア」


 少女の名を呼ぶ声が僅かに低い。自分の非を認めているのは明らかだ。それでも、彼はそれ以上の言葉を漏らさない。慰めも、弁解も。

 不信感なんて抱きたくなかった。ルナリアは自分の心に正直に告げる。修道長を喪った彼女に残された拠り所は彼であったのだ。一人では旅になんて出る勇気はなかった。きっと、あの修道院で涙を流し続けていたに違いない。それを知っているから、尚更――


「いたぞッ!」

「――きたか」


 城の中にいた修道者の声が聞こえる。カルパの差し金か、ナバンサの差し金か――二人には解り得ないことだが、捕まればただではすまないのは目に見えている。

 ラグナスは咄嗟に右腕を元の人間の手に戻し、外れていたフードも被り直す。少女の側へ寄り添い、そして、両手を使ってルナリアの肉体を軽々と持ち上げた。


「――ラグ!?」


 その態勢は一言でいえばお姫様抱っこであり、曲がりなりにも女の子であるルナリアは急な相棒の行動に思わず愛称で呼ぶ。

 だが、見上げた彼の顔はどこまでも真剣に。


「……たとえお前が信じていなくてもいい。ただ一つだけ、これだけは信じてほしい」


 ラグナスが城の廊下を走る。その速度は先程までの比じゃない。それこそ曲がるには歩の速度を遅める必要があるほどの速さで。

 前方に見える、ニーロコの街の夜景。透明の窓に遮られた世界。ルナリアを護るように抱きしめて、青年は迷いなくその隔たりをぶち破るつもりだ。

 ルナリアは彼の意図が解ってしまい、咄嗟に目を瞑る。だからこそか――彼のその言葉は、どの音よりもハッキリと聞こえた。


「俺は、お前の味方だ」


 その言葉に偽りはない。騎士としての言葉――いや、それ以上のラグナスとしての言葉。

 過去を明かさぬ青年が唯一向ける真実。確かに、ルナリアの心に届いていた。

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