9:問答―Counture―

「……奇特なやつであった」


 言葉を無くした少女の代わりに言葉を紡いだのは、先程まで黙していたローブで顔を隠す男――ラグナスであった。

 ほぉ、とここで初めて青年の声を聞いた修道者ナバンサは、続けてくれと話の続きを促す。


「ルナリアに教会の教えを説いていたやつは、どうにも頭のネジが俺たちとは違うらしい。だがその実、こいつを育てる程度の愛を持っていた。巡礼の旅も、その一環なのだろう」

「なるほど……古いしきたりを用いて、可愛い子には旅をさせよ、と。同じ修道者として、見習いたいぐらい厳格なお方であったのでしょうなぁ」


 ラグナスの虚言を真に受けた教会の代表者は、見も知らぬルナリアの修道者に思いを馳せ褒め称える。彼の中では、古い歴史を重んじ、それでいて若き修道女であるルナリアを子のように愛した素晴らしき修道者になっているのだろう。

 流石にこんな嘘八百な話をされると、先程までの不安よりも困惑の方が勝る。旅に出された修道女は、むぅとラグナスに抗議を示す表情をするが、青年のローブの下の瞳はそんなことはどうでもよかった。


「代表者、ナバンサ。俺はルナリアと違い熱心な信教家ではない。だが、それも含めて問いかけたい。あんたは、この国をどう思う?」


 冷徹に、冷静に――もはや感情などないかのような、抑揚の少ない問いかけ。ルナリアが気にする真意。

 先程まで生まれ始めていた温かさが消え失せる。ルナリアが固唾を飲み、ナバンサもその問いに怪訝な表情を見せ、しかし特に悩む様子を見せずにすぐに口を開く。


「価値無き国――それが私の見解です」

「――ッ!?」

「…………」


 あまりにも簡単な、それでいて断定的な答えであった。それがこの国を任された教会の代表が語るのだ。少女の修道服の袖の下に隠れた手がぎゅっと強く握られる。


「どうしてそう思う?」


 対し、ラグナスは比較的に冷静であった。まるでその答えを予見していたかのような心構え。否、その内心はあまりにも呆れが満ちている。誰に対してかは、言うまでもない。


「この国の経済状況、民の質、何よりも未来のないその光景こそ、あまりにも劣悪。あなた達も見てきたでしょう? 残念ながら、この国には未来などない。浮浪者が路地裏に隠れ生き、回らない経済は硬直するばかりだ」

「それは……」

「この国の民は、皆口を揃えて我らのせいと語るようですが、我々がこの地に辿り着いた時点でこの国の経済は破綻していました。なぜなら――この国には進歩が無いから!」


 張り上げた声でビクリと肩を震わせるのはルナリアだ。一方でラグナスは男の言葉を睨みつけながらも聞き届けるようで、一度もその大きな口を開けてはいない。


「この国は貿易国だということは承知しております。ですが、あまりにも自身の誇れる物が無い。あったとしても木造建築です」

「チョコレートの文化はありました!」

「あれは南の国との貿易で得た文化でしょう。そうではなく、このニーロコが生来から持ちえる絶対的な特色、それがない。唯一のそれは、現代においても古いものだ」


 曰く、チャーチルでは既にコンクリート技術、鉄骨技術が成り立っているようであった。クリェートの建築物は煉瓦作り。

 対しニーロコは木造建築。確かに、純粋な耐久性や文化レベルを考えれば、ニーロコは一歩も二歩も遅れていることになる。


「しょ、食文化! フォーと言う麺料理は美味しかったです!」

「……あれは元々、我々が獲得した貿易ルートから流れてきたものですが」

「え、えぇ……」


 ニーロコは他国の恩恵に与って命を長引かせている国――そうナバンサは言いたいのだ。貿易国の宿命であるが、それでも何かしらの文化が生まれるのは必然。だがこの国にはない。木造建築も、近くに森があったから繁栄しただけのこと。

 そして進化のない国は時代に取り残される。それが貿易国なら尚更。なぜならば輸出する文化が無いのだから。


「かつてこの国には、ある国と同等かそれ以上の技術があったとされます。ですが、それも今や失われたようです。せめてその技術が生きているのであれば、多少は良いのですが……」

「あんた、この国の歴史を調べたのか。熱心だな」

「資料が少ないゆえ、精密ではありませんが。少なくとも自身が住まう国ですから。それに、私だってこの国がこのまま終わるのはどうかと思っているのですよ?」


 国の行く末を、そしてそのための現状を把握していた男は、そう言って小さく息を吐いた。愁いを帯びた、少し熱っぽい吐息。

 偉大なる人物だ。タスクのように未来を見ている――そう感じ、先程まで彼を疑っていたことに申し訳なさを覚え、謝罪の言葉を述べようとするルナリアをラグナスが手で制した。

 彼の影に隠れた赤い瞳が少女の瞳に映る。一つ目が示す感情は――即ち、敵意。


「あんたの言い分は心得た。が、俺にはどうしても聞きたいことがある」

「ほぅ……どのような?」

「確かにあんたの言う通り、この国の未来は明るくない。最もこの国の現状を知り、未来を案じているのはあんただろう。だからこそ思うのだ。なぜニーロコの人は、教会に敵意を向けているのか」

「それは、我々がやって来たことと国の状況の悪化を見て、我々のせいにしたのでしょう。謂われもないことですが」

「……果たして、そうか?」


 疑問は最初からあった。それこそナバンサと言う男の思想が表に出るほどに深まっていった。どうしてニーロコの住人は教会を目の仇にするのか。

 彼の言う通り、国の経済状況の悪化をやって来た第三者に押し付けた――は筋が通る。だが、それはあまりにも理不尽であり不可解だ。人は未知に対して抵抗を示すが、同時に興味を抱く。まったくの見知らぬ相手に悪印象を植え付けるにはキッカケが必要だ。

 そのキッカケこそが鍵。推測であると解りながらも、ラグナスは己が導き出した疑問を教会の代表者へぶつける。


「あんたは本当に、この国の人々と話し合ったのか?」



     【◆】



「ご名答ッ!!」


 ラグナスの言葉を引き裂くように、答えを返した大声と軽い拍手が空間に広がった。高さも低さもちょうど良い、大人と子供の境目のような声。彼らの背後から響くその音に、ルナリアは咄嗟にラグナスに詰め寄り、ラグナスはゆっくりと背後を見る。

 こげ茶色のカウボーイハットを被り、黄土色のスーツに身を包む――いや着られていると言った方が正しい。そのような男が手を叩いていたのだ。

 総じて細い体躯をしており、肩まで伸びている黒髪のせいで女々しいとも言える。が、その無作法にも生えている髭のせいで、彼の性格がよく表れていた。


「カルパ・チョッパー。なぜここに?」

「いやなに、小便をしに行った帰り道に、中々どうして興味深い話をしていたもんだからさ。いいだろ、ナバンサ? この二人は第三者で、俺とお前は当事者だ。不器用なあんたの口から漏れ出す言い訳染みた苦言より、俺のような恥を捨ててしまった戯言の方がよっぽど耳に心地よい」


 ナバンサがカルパと呼称された男の言い分に押し黙る。どうにも、ラグナスが疑問を持った話は彼からすれば苦い過去らしい。同時にカルパからすれば、重要こそすれど、もはやどうでもいい事柄のようであった。

 カルパが悠々とナバンサとラグナスの間に入るように歩き、ゆっくりとその視線をラグナスの方へ向けた。


「改めて名乗らせてもらおう。俺の名はカルパ。元々この地で生まれ捨てた、盗賊だ」

「と、盗賊!?」

「あー、いや、元、盗賊だ。部下をなー、誰かに殺されちまってなー、今は放浪の旅人ときたもんだ」


 盗賊。その存在はルナリアとラグナスも無視できない。何せ、一度は襲われた相手であり、マークスによって目の前で殺された相手。ルナリアに理不尽を教え、それでいて助けることのできなかった相手――少女の目にはそう映っていた。

 その言い回しから、カルパへの警戒心を更に高めたラグナスはルナリアをそっと背の方に寄せる。盗賊への警戒もあるが、同時に彼がわざとらしくそう言ったのが引っかかるのだ。


「まぁ、そんなにピリピリすんなって。俺の方がそうしたいのに、今はこう我慢してやってんだからさ」

「…………」

「構えは解かず、か。いいぜ、そのまんまで。俺の話は短いからよ」


 ニヤニヤと、スーツの下の腰に手を潜らせて余裕のある態度を見せる。敵意はない、と証明しているようであったがラグナスはそれでも警戒心を解かない。

 何せ、彼の一つ目にはその双眸には形容しがたい光が見えたからだ。愚直にも貪欲。たった一つのためならば全てを殺す野望の瞳――それはどこか、獲物を見定めた獣のようであった。


「あんたの言う通り、この男はまともに国民と話をしなかった――いや、実際は違う。全て上から目線だったのさ。自分達が管理するのだから、我らが腕のように従えと。それこそが神の思し召し! ……ってな」

「え……そんな……」

「違う! 何を捏造している、カルパ・チョッパー! 確かに神の名を公言し混乱を招いたのは事実だ。だが、決してそのような――」

「あーあー、きこえなーい――ってか? ちげぇんだよなぁ! お前らは確かにそういうつもりはなかったんだろうが、俺らからすればそう聞こえたんだよ。価値観の違いってやつ? ま、ガキの頃の俺でもそう聞こえたんで、よっぽどだったようだがな!」


 男のネタ晴らしをするマジシャンの如く、あっけらかんと楽しんで真実を語る様子に、ルナリアは絶句しナバンサは酷く狼狽する。

 過去を穿り返し悦楽に浸る様子は、墓荒らしをする盗賊のようだ。


「そんなこんなでニーロコと教会は第一印象最悪の関係を続けてんのさ。退廃する国はそのまま廃れて、神の名を広めんとする教会はそのまま腐り落ちる。最高のバッドエンドが俺の眉の裏には描かれてるんだぜ?」

「だから、それをどうにかしようと――」

「それがどうもできないんだよ。なにせ、この国には何もない! 未来を明るいと表現するらしいからあえてこう言うが、この国に光なんてねぇんだよ!」


 それはナバンサの言う、この国の特色の無さを言っているのか。それとも中身を言っているのか。はたまた、この国を諦めているのか。

 かつてこの国に生まれたと語る男の言葉は重く、軽快なものだった。悲痛、ではない。痛快だ。まるで故郷の衰退を愉しんでいるような、そんな享楽者の戯言。

 口を開けない少女に、抗う言葉を見失った修道者。だが、たった一人、そんな享楽者の言葉に敵対できる存在がいた。


「――この国に、光はある」


 己を押し殺すかのような低く、されどハッキリとした声が三者の耳に入る。少女はその言葉に小さく頷き、修道者は目を見開いて、男は嫌悪感を示す表情を見せた。

 黒のローブの下で赤い光を輝かせる男。この国の光を憧れと称した青年は、もう一度、ハッキリと、断定する。


「この国に、光はある!」


 それは理想ではなく、信頼に満ちた宣言であった。

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