8:白城―Offichurch―

「明日、教会へ接触しよう」

「……え?」


 月が天高く昇る夜分。互いに風呂に入り終え、残りは寝るだけとなった段階に至り、黒いロングコートで身を包むラグナスはそう少女に告げたのだ。

 唐突な提案――だが、同時にルナリアが覚悟していたこと。そんなことにならないといいな、と僅かにも考えてしまっていた不安であった。


「ニーロコにどれほど滞在する予定かは知らんが、少なくともお前の信仰する教会だ。せめて顔は出した方がいい」

「で、でも……ラグだって聞いたでしょ? タスクは……この国の人たちは、教会の事を快く思っていないって」

「あぁ。それを理解しての提案だ」


 平然と表情を変えずにそう言うのだから、湿りを残す金色の髪が動き揺れる。

 ラグナスはだからこそ提案した。それぐらい、ルナリアだって聞かずとも理解はしている。自分の相方が存外に理知的なのは、この旅の中で早々に解りきっていたことだ。

 白く柔らかな指がシーツに軽く沈む。躊躇いを覚える口内の言葉を飲み込んで、毅然とした心を瞳に浮かべてみせる。


「確かに、あの城が教会の物なら顔は出した方が良いよね。それに、どうして嫌われているかも知りたい」

「あぁ。少なくとも嫌われるだけの理由はある。問題はその事実を受けての向こうの態度だ。それ次第で、お前は苦悩を覚えることになる」


 それは即ち、ルナリアの信じる心が試される。

 理不尽な悪意は知った。自分とは違う在り方をする教会の騎士も知った。それでも――教会に裏切られることはまだ知らない。


「……これは必要のない行為でもある。俺たちにとってニーロコへの想い入れは薄い。これは国の人間が解決するべき問題だ。だから指摘する必要性はない」

「でも、していけないわけじゃない。私は、この国の人たちには笑ってほしい。せめて、真意を知りたい。解決策だって解るかもしれないから」


 覚悟は、とうにできていた。

 タスクに教会の話を聞いた時――俯きながら歩いている時に少女の中で結論は出ていたのだから。

だが、少し不安だったのだ。その選択のリスクを把握しているから? いいや、ただ相棒である青年にその選択に頷いてほしかったから。

 唇が震えるのを抑えて、少女は口に出した決意に誇りを持つ。白い指を赤らめ、拳はいつの間にかシーツを噛んでいた。


「……はぁ。まったく、お前のその強い瞳には負ける。絶対に決意を変えないという目を向けられたら、選択の余地などないだろうに」

「ラグはどうなの? タスクのこと、大層気に入っているようだけど」

「妬いているのか?」

「うん」


 ルナリアの素直すぎる頷きに、ラグナスは面を喰らったようで、その赤い一つ目が点になる。彼女からすれば、彼の真意が知りたいだけなのだが、ラグナスからすれば少しばかり喜ばしく感じるのは異性の差か。

 そのヤキモチに免じて、黒肌の青年は少年への想いを語る。


「背負う物がある子ほど応援したくなるものだ。それが自身にはない少年時代を歩む男であれば尚更な。タスクはこの国を背負い、足掻いている。その姿を滑稽と笑う者もいるだろう。現実を認めない愚者と憐れむ者もいるだろう。だが――確かに、そこには尊き日の光がある」


 俺にはないものだ、とラグナスは数秒の間をおいて付け加えた。男の過去など知らないルナリアであったが、そこには確かな過去の記憶の残滓を感じる。

 彼が確かに過去に生きた、どこか暗い印象を覚える人生があるということを。


「端的に言えば、俺はあいつの生き方に憧れているのさ」


 そう言って、ありがとうと微笑む。その選択は彼にとっても喜ばしい物であるのだから。

 素敵な笑顔だと、少女は不覚にも感じてしまった。だからこそ強く想うのだ。彼は、本当に何者なのだろうか、と。

 夜は深けていく。少女の思考も謎に塗れていく。それでもきっと、青年の心の中の光は消えること無く瞬いているのだ。胸に宿る心臓の如き鼓動する赤い光が。



     【◆】



 接触の交渉には時間を有した。城の中にいた教会の修道者曰く、代表者との面談は限られた時間のみであるらしい。否定と捉えかねない言葉であったが、ルナリアとラグナスはそこからその面談時間まで城に滞在することで誠意を見せる。

 城の人間からすれば厄介者だ。しかし彼らの言葉は拒絶ではない。客人として迎え入れる態度を見せたのだから、ラグナスはふんぞり返って金の刺繍がされているソファに座り、横でルナリアがちょこんと一人用の椅子に座っていた。


「堂々としてろよ? 別に向こうは追い払おうとすれば追い払えるんだ。だがそうしないということは、代表者と会わせるつもりがあるということだ」

「でも、言ってからもう二時間も経つけれど……」

「向こうにも考えがあるということだろう」


 幸い、このような暇が生まれるのを見越して昼食の弁当は作ってはいた。朝十時に訪問し、そこから二時間。ルナリア特製のサンドイッチをバクリと食らい、モグモグと咀嚼するラグナスを横目に、少女は城の内景をその目に収める。

 自身の住んでいた修道院よりも豪奢であり、教会のような聖堂があるようには見えない。それこそ、クリェートの図書館で読んだことのある御伽話に出てくる王様の城のようだ。天井にはシャンデリアがあり、カーペットは赤く、壁には幾つもの絵が飾られている。

 総じて、金の無駄使い。もしくは金の暴力と言うべきか。ニーロコの質素な光景と比べると、そういう印象を抱いてしまう。


「黄金は目に悪いぞ」

「そうだね。私、修道院の生活の方が好き」


 住まう教会の人たちの視線を感じながら、それから五時間。青年の肩に寄り掛かり瞳を閉じる少女をあやしながら、やはりこうなったか、と誰にも聞こえないようにラグナスは呟く。

 日は落ちつつあり、月が昇り始める。根気よく待ったはいいが、代表者は夜に近しい時まで現れなかった。何かしらするとしたら、あまりにもこの時間は最適だ。懐柔にも、暗殺にも――


「巡礼の旅人を語る聖道の使徒。その見習い、ルナリア・レガリシアとその付き人、ラグナス。我らが代表、修道者ナバンサとの面談を許可する。ついてきたまえ」

「大層遅い出勤で……おいルナ。起きろ」

「……んぅ」


 夢の世界にいた相棒を起こし、青年は修道者に連れられて階段を上ってゆく。窓ガラス越しで城下町とも言えるニーロコの風景が見える。光は疎らで、決して栄えているとは言えない街。それでも、そこで生きている人々はいる。

 三つの踊り場を超え、四階へと至った頃にはルナリアの青い瞳は元々の潤いを取り戻していた。霞んだ思考も明瞭。不安が残る心を奮い立たせて、少女は真っ直ぐと眼前に座る男を見据えた。


「ようこそ、巡礼の旅人よ。我が名はナバンサ。このニーロコへ住まう修道者である」

「初めまして。クリェートの修道院から来ました、ルナリア・レガリシアです。隣の者は私と歩みを共にする者。ラグナスでございます」


 琥珀色の整った髪、白を基調とした金の刺繍が見える修道服、柔和でどことなく人のよさそうな笑みを浮かべるのは、この城を統べるナバンサと名乗る男である。ルナリアの知る聖職者は育て親のラルドであるが、彼よりも若い――四十代前半ぐらいと外見だけでなら判断できる。

 ルナリアが深々とお辞儀をし、ラグナスが彼女からの視線に気が付いて渋々と頭を下げる。ナバンサがそんなチグハグな二人を見て、声を出さずに微笑む。


「しかし、驚きました……クリェートに修道院があるとは聞いたことがありません。教会の記録上、ここが最西の拠点……ルナリア・レガリシア。疑うつもりはありませんが、我らが神の名と、我が信教の主となる伝説の名を口にしてくれませんか?」

「……はい。我らが神の名は、エア。そして神が悪魔シントによって地上に降り立った伝説、エアの落日でございます」

「…………」


 思うところはあるにしても、ルナリアはハッキリと修道長から学んだ、神と伝説の名を語る。聖道教会が崇める、この地に平穏と繁栄をもたらした女神――エア。そして彼女が大地に降臨した伝説――エアの落日。

 ラグナスは、胸を張り語る少女を横目に黙して様子を見る。


「よろしい。この地の惨状を見て、あなたの語る信仰は本物でしょう」

「惨状、ですか?」

「えぇ。恐ろしい話です。我らが神の名を知らぬ者が、この地には多すぎる。だからこそ、我々は派遣されたのです。しかし、あなたに信仰を与えた方は素晴らしい信仰心を有していたのでしょう。喜ばしいことです」


 ナバンサの語る言葉が本当であれば、ラルドは聖道教会の公式の修道者ではない、ということになる。それはルナリアからすれば不安にもなるが、いざ男性が褒め称えると安堵の感情を抱くに至る。

 亡くなった人の評価が下がるのは嫌である。たとえそれが他者でも自分でも。ルナリアの中のラルドは、最後まで自分に生きてほしいと願った崇高なる聖職者だったのだ。


「……しかし、巡礼ですか。あなたの修道院では奇特なことを行っているのですね」

「え、奇特ですか? 修道長から、この歳になれば旅をするのです、と言われて育ってきたのですが……」

「……言いづらいのですが、巡礼の制度は四十年前に廃止になっておりますよ?」

「えっ……」


 ニーロコの教会の代表者は、すごく苦々しい笑みを浮かべて、申し訳なさそうに公式の言葉を述べる。田舎者――もしくは非公式の修道院で信仰を学んだ少女の旅路を否定しかねない、そんな正しくも棘のある現実。

 目の前の男性よりも父とも言える修道長を信じたい。しかし一方で、マークスのような存在、ニーロコの住人の否定的な見解のせいで、聖道教会自体への信頼も揺らいでいる。

 自分の信じてきた物は何であったのか――少女は聖道の城にて息を詰まらせる。

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