7:旅人―Soltraveller―

 ルナリアと少女の視線が交差する中、咄嗟に二人の前に出たのは灰髪の少年――タスクであった。ラグナスの代わりを務めるように、少女と変わらぬ背丈の少年が、困惑の中で背後のルナリアに問う。


「……ルナリア。この人は?」

「えっと……前の町でお世話になった人。その……名前は……」

「そういえば言ってなかったね。ソルティ。そう呼んでほしい」


 決して上品ではないが、それでいて粗暴とも違う。野性味がありながらも気品を宿す印象を覚える女性は、自身をそう呼称する。

 ルナリアの澄んだ金髪とは違い、どこか濁りつつも決して汚れぬ金色を宿す髪は、青のリボンで一つに結ばれている。ポニーテール。健康的な一面を魅せる反面、行動力の高さが窺える、彼女らしい髪型だ。


「この人、信頼できる人か?」

「そこの少年君? それ、初対面の人的にはすごーく失礼な言葉なんだけど……」

「あんたには聞いていない。それに俺はタスクだ」


 ラグナスの警戒心を継いでか、それとも彼本人の気質なのか。

 酷く殺伐とした気を感じたルナリアは、タスクに大丈夫だよと制し、心を落ち着かせるために小さく深呼吸をする。先程まで残留していた嫌な毒気は抜けた。


「ソルティさん、お久しぶりです。まさか再会できるなんて」

「それはこっちのセリフよね。酒場で絡まれていた見習い修道女さんが、まさかニーロコにまで来ているだなんて。えーと……」

「ルナリアです。この国には、巡礼の旅のために」


 自己紹介をして目的も明かす。そんな少女の姿を見て、やっとニーロコの少年は警戒を解いた。ルナリアが信頼しきっている。そのような姿を見れば、彼女の目の前で戦意をむき出す必要はない。

 へー巡礼、とわざとらしく驚いてみせるソルティは、ふと周囲を見て一言。


「立ち話は良くないわね……折角だし、お茶でもしましょう。そこの少年君は、どうする? 女の子のリアルで生々しいお話、聞いちゃう?」

「ゲッ……」


 誘うように、小馬鹿にするような撫で声にタスクの口角はヒクヒクと揺れる。彼よりも年が上の女性にペースを奪われてしまっていることも含めて、どうにも少年は彼女が苦手なようであった。

 しかし、思わぬ再会は魅力であるように、助けてくれた恩人である女性とのお茶は見過ごせない提案でもある。


「タスク。近くに美味しい喫茶店ってある?」

「お茶飲むの!? 俺、嫌だぜ? 女の話は長いって、宿屋のおっかさんで知ってんだからな!」


 それを女の子であるルナリアの前で言ってしまうほど焦るタスクは、ギャーギャー言っては頭を抱える。

 だが悲しいかな、彼が慕いつつある青年に少女を任せられたのだから、彼の意志は空回りするだけであった。



     【◆】



 とはいえ、ニーロコの純情少年が焦り慄くほど、彼女達のお茶会は女性特有の宴などではなかった。タスクがその事実に気付いたのは、互いのお茶が出そろった時。いざ弄られることへの覚悟を決めたというのに、二人の会話は全く生まれなかったのである。

 お茶を嗜むがお茶の話をするのではなく。出会ったとされる前の町の話をするわけでもない。ただ、ズズズーっと頼んだ各々の飲み物を飲むばかり。


「いや、その、お二人さん? 募る話とかしないのか?」

「だって、考えてみればこの子とお話をしたのって、それこそ数分だし」

「お互いの名前を知らないほどの関係ですからね……」

「……帰りてぇ」


 心からの嘆きを吐き出すタスクに、ソルティはハハハっと渇いた笑みを浮かべ、垂らした金色の尾を揺らす。軽快な人物である。


「ま、旅の道中に知り合いにあったのなら多少は話したいものさ。特にお茶は一人で飲むのは面白みに欠けるしね」

「ソルティさんも旅をなさっているのですか?」

「うん。こう見えてベテランよ? チャーチルからクリェートまで」

「チャーチルですか!?」


 ルナリアの水色の瞳の光がくるりと回った。思わず机を支えに身を乗り出し、店内に響くほどの大声を出してしまう。

 他の席から感じる視線――特に煩わしいと言うよりは可愛らしいという視線を受けて、目立ってしまったルナリアは顔を赤らめて俯いてしまった。


「チャーチルって?」

「私の生まれた国……彼女からすれば、聖道教会の本堂がある国と言うべきかしら。この国から遠く離れた東の国。歴史深き始まりの国ね」


 言葉を失う少女を余所に、外のことを詳しく知らない少年がそう聞くと、ソルティは饒舌に故郷の国を語る。

 誇り高く、嬉しそうに。凛々しい印象を抱く彼女が、少女であるような印象を覚えるほど朗らかに。


「教会って、あの城の……」

「そうね。正直、ここまで教会の手が届いてるとは思ってもいなかったけど」

「……コホン。そうなんですか? 私、隣町のクリェートで育ちましたが、修道長は聖道教会の信徒でしたよ?」


 早々に気持ちを落ち着かせたのか、わざとらしい咳払いを挟みながらルナリアがソルティの会話に加わる。彼女の答えは、女性の不思議そうな表情を更に深めさせた。

 女性のルナリアとは似て否なる青い瞳が僅かに揺れる。


「予想外。宗教も所詮は人の思想と思っていたけど、侮ってた。風の噂ほど厄介なものは無しか」

「……それってどういうことですか?」

「いえ。単純に宗教の広がりの恐ろしさに溜め息を漏らしただけよ。それも踏まえてルナリア、旅をする上でいいアドバイスをあげる」


 未熟な旅人を想ってか、それとも聖道教会という宗教を信じる少女を憐れんでか――はたまた、ただ彼女よりも年上だからの助言か。

 少なくともそこに悪意のないような、そんな声音で幼き修道女の滴の如き瞳を見つめる。


「旅は主義、思想が命の危機に繋がるわ。あなたにとって教会の教えが全てか……は解らないけれど、少なくとも自分の心だけを信じるのは控えておいた方が良い。必要なのは目の前の現実を如何に受け入れて、如何に受け流すか――えぇ、それが世を渡るのに必要なスキルよ」


 まだ湯気が立つお茶を飲みほして、語りが過ぎたわ、と薄く笑ったソルティは少女の応答を待たずにゆっくりと立ち上がる。

 旅人の女性の助言を受け止めきれる時間はない。必死にその言葉の真意を理解することを一度やめ、幼き旅人は気にかけてくれた女性に誠意を返す。


「助言、ありがとうございます。また出会えたら……お茶をしたいですね」

「……そうね。そこの少年君も、また会えたら飲みましょう? 金は払っておいてあげるから」

「だから、タスク・アクターっていう名前が! ……はぁ、まぁお茶に関してはサンキュー」


 最後まで少年の名を呼ばなかった女性は、そのカーキ色のロングコートを羽織って、それではいずれまた、と再会の捨て台詞を吐いて喫茶店をあとにする。

 残された二人は、まだ残っている各々のお茶を飲む。ルナリアはミルクの入った紅茶を。タスクは茶柱の立つ緑茶を。そして、砂糖の大量に入った赤い紅茶の跡を残して、カップは役目を終えたように湯気の残り香を立たせている。



     ●



「巡礼……クリェートの修道院……そして、ルナ、か」


 直していた煙草を口にくわえながら、ふふんと鼻を鳴らすのはソルティと名乗った女性だった。

 カーキ色のロングコートは凛々しい雰囲気の女性の肢体によく馴染んでいる。一見は美しいのに、そこに気品以上に警戒心を抱かせるポニーテールの金色の髪も、彼女ならではか。髪を分ける青色だけが、彼女をかよわき女としている。

 紙で包まれた煙草から溢れだす煙は、ニーロコの空気を汚染する。チャーチルからやって来たとされる彼女は、ある酒場で待つ男の元へ戻るのだ。


「戻ったよ。カルパ」

「……あぁ」


 ぶっきらぼうに答える無精髭を生やす男。ソルティはその光景を見て、これは飲んでるな、とすぐさまに判断する。髭を生やして態度もデカいが、彼の年齢は二十前半。まだひよっ子で、酒に飲まれているだけなのだ。

 カルパ・チョッパー。ソルティからすれば一応、依頼者となる。最初は用心棒の契約であったが、今はどちらかというと協力者だ。何かをしたいから手伝え、と言われそれに手を貸す。金で結ばれたシンプルな関係。


「はぁ……たくっ。酒に飲まれるのは、せめて事を終えてからにしなさい」

「うるせーな。んで、どうだったんだ?」

「あぁ……会ってきたよ。黒騎士を操る少女に。あと、あんたの言ってた弟分にも」


 言葉に反応して、男が苦虫を噛み潰した顔をする。女性がカルパを知るために身の上話を聞いた際に、何度も出てきた存在である。

 ソルティだって元々の目的は修道女の方だった。その傍らにいた彼の名前が、カルパの嫌々に語っていた弟分の名前と同じだっただけ。


「タスク・アクター。でしょ?」

「……クソっ。あいつも関わってきてんのか」


 ボサボサの黒髪を掻き、酒の臭いの深い溜め息を吐く。それほど思い入れのある相手なのだろう。彼の語る少年像は、あまりにも現実の少年と同じだった。

 ソルティの抱いた少年の印象は、元気で初々しい男の子、というものであったが。


「んで、どうするんだ? 見つけたなら、やれるだろ?」

「んー、まー、もうちょい待ってみてもいいんじゃない?」

「なんでだ?」

「状況次第では、面白く化けると思ったのよね。何せ――」


 ソルティは笑みを隠しきれないようで口角を上げながら、不思議そうに見つめるカルパの濁った茶色の瞳に答えた。


「ここの教会の連中、程よく腐ってるから」


 チャーチルからやって来た女はあっさりとそう言う。悲嘆するわけでも、非難するわけでもない。

 ただ、そうであるならば仕方がない、と言うように。その興味の対象は、あくまであの幼き修道女に向けられていたのだ。

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