4:貧国―Pountry―
タスクによる仲間の紹介が終わり、ルナリアが旅の目的を告げると、社長のタスクは残る事となりマナナが彼らの宿になる場所を紹介する事になった。
ゼクタウトの整備をするらしい。タスクは二人について行きたいような様子だったが、整備屋のガンツにタンコブを作らされ、あえなく別れることになったのだ。
「タスクの兄貴はワンパクっすからね~」
「妹分のマナナちゃんがそれ言うんだ……」
夕暮れ時。ニーロコの街路を歩きながら、少女は生意気にもそう言いきってみせる。
明らかに母や、姉、そういう慈愛に満ちた言い方をする快活少女に、ルナリアはタスクの立場がどうであるかを悟る。考えてみれば、ガンツもどちらかというと保護者のような立ち位置にいた。
だが、家族というものを失った少女にとってそれは羨ましさを覚える。もう二度と会えない家族の事を想い、ルナリアは一瞬だけその表情を曇らせた。
「どうしたんすか?」
「あっ、いえ……と、とても活気が良いね、この街。もう夕暮れなのに」
必死に、心の中で浮かび上がった感情を押し殺す。心に残る傷が開かないように。忘れられないから蓋をした、大切なあの人の記憶を思い返さないように。
そのような様子など解るわけがなく、短パン少女はでしょでしょ、と言葉を弾ませる。
「この国はこういう元気な感じが醍醐味っすから。誰もが……あー、一部を除いて」
マナナは視界の端に映った暗闇を見て口を濁らせる。二人がその視線の先を追うと、建物と建物の狭間の闇にモゾモゾと動く何かがいた。
男だった。痩せ細っており、まるで街の光から逃れるように影と一体化している。なのに、その目は獲物を見つけたハイエナのように光って見えた。その視線が、ルナリアに向けられている事を理解した瞬間、咄嗟にラグナスは彼女の前へと出る。
言葉も出せないルナリアと、言葉を挟まないマナナを余所に、フードの下の赤目を尖らせて沈黙が続く。数十秒が経ち、すごすごと闇の奥へ男性は消えていった。
「……あぁいう輩もいるのか」
「まぁ、貧乏な国っすからね。あぁやって、身なりが良さそうな旅人を襲おうと算段してる感じっす」
「えっ……そうなの?」
「気付いていなかったのか? もう少し警戒心を持て。誰もがお前に優しくすることはないと、道中で解っただろうに」
ラグナスが力を抜きながらルナリアの瞳を見る。少女の瞳は信じられないという言葉が浮かぶほど揺れていた。
敵意は感じていたのだ。けれど、その理不尽にも自分よがりな理由で向けられる敵意を理解できていなかった。
盗賊との戦闘で、そういうのはあると解ってはいたのに。自身の警戒心の無さにルナリアが胸を抑える中、マナナは庇ったラグナスを褒め称える。
「良い反応っすよ。最近は人身売買とかもあるらしいっすけど、ラグナスさんがいるなら大丈夫っすね」
「それほどでもないが、気を付けておこう。お前も気を付けるんだぞ」
「へへっ、大丈夫っすよ! 伊達に十一年間、この国で育ってないっすから」
それは逆に言えば、十一年間もの間、あのような恐怖の横で暮らしてきた事を意味する。修道長の下で命の危機など知らずに過ごしてきたルナリアは、たとえ年下であっても彼女のその生き方に尊敬の念を抱く。
明らかに彼女を見る目が変わったルナリアの瞳に呆れを覚えながらも、ラグナスはマナナに宿屋への先導を促す。どちらにせよ、この場で留まるのは得策ではない。闇が深くなればなるほど、ルナリアの危険性が増すのだから。
【◆】
月が見える頃にはマナナと別れて、ルナリアとラグナスは静かな宿屋へと泊まる事となった。タスクが勧めた信頼のある店であるようで、外の闇に隠れた敵意などその場にはない。
木造建築の国らしく、壁も床も天井も加工された木で出来ている。電気も通っており、温かみに溢れた空間の中、少女は口を引き攣らせて契約書にサインをした。
「うっ……二人一部屋」
部屋の都合上、一つの部屋で二人が寝泊まる事になったのだ。ルナリアからすれば予想外だったらしく、眉間に皺を寄せてラグナスを見る。
ニーロコの性質上、むしろ部屋がとれた事自体が奇蹟であるのだが――っと、贅沢を唾棄する説教を喉の奥にしまいこんで、ローブの青年は冷静に彼女を促す。
「先に上がってシャワーでも浴びておけ。そうすればお前の嫌な事は解消されるだろう」
「覗かないでくださいね!」
ラグナスが背負っていたカバンを奪い取った少女は、頬を膨らませて指定された部屋へと歩んでいく。その足取りはカバンを引き摺りながらで遅いが、彼女がいかにシャワーを浴びたいかが解る健闘ぶりだ。
年頃の少女が、数日も水を浴びずに生きるのは酷である。それぐらいの感性はラグナスだって持っており、彼女が部屋の中へ入り込むまで呆れて物も言えなかった。
「反抗期か?」
「……さぁな。まぁ、少なくとも俺で反抗期を済ませてくれるならいいさ」
「あれぐらいの子は面倒だからな」
宿屋の店主である初老の男性が、茶化すように溜め息を漏らすラグナスにそう聞く。二人の会話を眺めていた彼からすれば、ラグナスとルナリアは歳の近い親子か、歳の離れたカップルにでも見えたのだろう。浮ついた声に、ラグナスは心の中で面倒だなと思う。
「しかし、驚いた。タスクのやつめ、女の子を誑し込める歳になったか」
「あいつ何歳なんだ?」
「確か十四だ。まぁ、この国では大人と子供の違いは体力とかその程度しかないがな」
ルナリアよりも歳が上なのか、と体格からは予想できなかった真実に驚く半面、引っかかるような言い方をする宿屋の店主に、ラグナスは目元を隠しながらも口を開く。
「子供と大人の差がない?」
「この国では子供も労働力だ。昔は学校とかあったんだが……今は家の職を親から教えてもらい、自分の職とする時代なのだ」
「その言い回しだと、今はないのか?」
「貧乏な国だからな……本当、昔は良かったんだ」
眉間に皺を寄せて味気のない息を吐く店主の姿は、先程までの陽気なイメージを損なう。この国を憂う事はできているが、打破できない現状に憐れみを唾棄する事しかできていないのだ。
過去を思い返し、そして現在の問題を想い溜め息を吐く。
「だが、中には家族のいない子もいる。そういう子達は野たれ死ぬか、物乞いになるか、奴隷になるかだ」
「……タスクもか?」
「あいつと、あの集まりは違う。あいつらはそんな国の中で必死に生きようとしている。受け継ぐ職がないなら作り出せばいい。木造加工技術を、あの大きな巨人を使ってやっているんだ」
そう言う意味でも俺は応援しているんだ、と店主は淡く笑みを浮かべて受付から去っていく。
残されたラグナスは、冷静にタスクとマナナが語っていたこの国への言葉を思い出す。
「元気だけが取り柄、か」
子供と大人では見える世界が違う。知識と過去があるから大人は現実に直面するし、夢と未来を信じるから子供は現実をプラスに解釈する。
タスク達が見るこの国はまだ死んでいない。それが果たして現実逃避ゆえの妄言なのか、それとも無知ゆえの理想の押しつけなのか――もしくは、志高い少年が語る実現したい夢なのか。
「あながち間違っていないな」
それは国ではなく、少年少女の未来への希望なのだろう。
旅人の青年は、この未来が曇る国をそう語った少年に敬意と希望を覚える。理想を見た。口にした。そしてそれを実現しようと動いた――それは、青年にとって共感すべき行動なのだから。
「……さて」
物思いに耽るのは終わりであった。
受付で店主と語り合っていたのは、言うまでもなく少女のシャワータイムを邪魔しないためである。しかし、あれからおよそ十分ほど。青年としては、もう大丈夫だろうと考えていたのだ。
……それが男の思考なのである。
「ルナ、入るぞ」
「っふぇ?」
素っ頓狂な声が聞こえた。同時に響くのはドアのノブが回る音。
ガチャっという音が響き、黒肌の青年は部屋の中へ入る。待たされたからこそ逸る気持ちがそうさせたのだ。加えてラグナスは自身の感覚を基準として行動する。
「…………」
「…………」
湿った空気がラグナスの肌に馴染んだ。
水の粒玉が白肌の上に浮かぶ修道女の肢体がそこにあったのだ。湯によって火照った成長期に入り始めた少女の柔肌。スラッと、それでいてふんわりと、そこにか弱さを混ぜ込んだルナリアの健康的な肉体を見て一言。
「悪くない」
「~~~~~~~ッ!?」
声にならない絶叫。青年の赤目以上に茹で上がった顔に羞恥の涙が目尻に溜まる。
わなわなと身体を震わせて僅か数秒後。少女の拳がラグナスの顔に叩きつけられるのは、考えるまでもない必定であった。
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