3:入国―Entry―

 町という小規模な集まりと違い、入国する場合には検査が必要である。危険物、違法品、または危険な思想の持ち主など。国の中には政治が存在し、そこで循環するシステムは刺激に繊細で脆いからだ。


「えー……だから、ね?」

「この人は私の用心棒です。安心してください」

「いや、その、お嬢ちゃん? 確かにお嬢ちゃんの言う通りならいいんだけど、明らかに怪しいと言うか、さっきあった魔人機どこ行ったの!?」


 木の柵で守られた国、ニーロコ。その検査官である男性は困惑を露わにするしかなかった。

 自分達の国の魔人機、ゼクタウトが黒い魔人機と戻ってきたと確認し安堵の息を漏らしていたのだ。ゼクタウトは別方向へ進み、一戦を交えた黒騎士の姿をしたそれが近づいてくる。

 そこまではよかった。問題は、それは足もとに広がった赤い光の中に沈み込んでいったのだ。しばしの強風にあおられて、再び目を開けた先にいたのは金髪の修道女と、傍らに立ちつくす黒いローブで鎧と顔を隠した男だった。

 旅人というのは珍しいわけではない。貿易の中間地点であるなら尚更であり、金を稼ぎにニーロコを出ていく者だっている。それでも、ルナリアほど若い旅人は初めてであった。ましてや魔人機を扱うのだから。


「えーと、あの魔人は……そう! 土の中へ、ズボズボッと潜ったんです!」

「……まぁ、そういうことにしておくよ。私達もよく解ってないし」


 魔人機という存在は、変哲のない国民である検査官でも知っていた。人よりも巨大な機械。ニーロコではあまり主流ではないが、時折に牛のような巨人が搬入されている事がある。遠い国から誰かが輸入しているらしい、と噂を耳にしたのもつい最近だ。

 もしかしたら、騎士の姿をしたモグラのような物なのかもしれない。牛がいるんだから、そういうのもあるのだろう――そう屁理屈で納得した門番は、引き止めたもう一つの疑問を言葉にする。


「用心棒と言うのはいいんだが、その……人の肌にしてはあまりにも黒くないか? まるで影のようだ」

「人種差別はよくないと思います」

「あ、あぁ、いや、すまない……そんなつもりはないんだ。ただ最近、変に色々言う集団が居ついてね……警戒を強めているんだ。すまないね」


 検査官の青年は納得がいかない表情を浮かべながら、シャツの胸ポケットに収めてあったメモ帳に二人の名前などを書いていく。少女の頬を膨らませた様子に負けたつもりはない。ましてや、横で何も語らない怪しいローブ男の迫力にも。

 門番が彼女達に入国許可書と、入国の際の説明――主に騒ぎを起こしてはいけない事などの当然の事――を伝える。

 長くも短い些細な厄介事を終えて、やっとのことでニーロコへ入国できた二人は、木で出来た門をくぐり抜けた。


「どうやら魔人機はともかく、俺は珍しいらしいな」

「そうかもしれないね」

「迷惑をかけるぞ」

「大丈夫。解ってるから」


 短い会話を終えて、門より先の光景を二人で見る。木造建築が発達した街並みは、木々と砂の香りに満たされていた。街路は石がない砂を固めた物で敷き詰められており、そこに人々が草鞋のサンダルを履いて生活をしている。

 人の数はクリェートよりも多い。熱気立つほどではないが、門の先に続く大きな街路に続く店々には、ニーロコの住民であろう肌の焼けた老若男女が入っていた。


「ニーロコ。俺が生まれ育った国さ」


 その声の主は少女達の右方から聞こえた。

 国の中の光景を見て、手を腰に当てて胸を張る少年がそう語る。灰色の髪が太陽の光に照らされて僅かに輝く。肌は焼けていて健康的に見えた。誇らしげに笑みを見せる彼は、細長い魔人機を操っていた少年――タスクであった。


「ニーロコへようこそ! 別に、俺はこの国の代表ってわけじゃないが、一員として歓迎するぜ」

「歓迎ありがとう……それで、あなたのあの魔人機は?」

「向こうにある。見に行くか? 俺の仲間も二人に出会いたがってるし」


 ニーロコへ入国する前に、ゼクタウトに乗ったタスクを迎え入れた集団がいた。男性と少女。ゼクタウトの操縦席で立ちながら会話をする様は、とても綺麗に少女の目には映ったのだ。

 彼らの事だと思い至ったルナリアは、快く頷いて見せる。


「それでいいかな、ラグナス?」

「いいんじゃないか? 巡礼とは言え、基本的には旅だ。観光の中で、知り合いが増えるのも一興だろう」

「じゃあ、そうする。色んな人とお話ししてみたいし!」


 ラグナスの快諾に気を良くしたのか、えへへと微笑んで見せるルナリアを見て、二人のやり取りを羨ましく思えたのはタスクだけであった。

 ハッと我に返り、こほんと顔を赤らめながら咳払いをする。


「それじゃ、ついてきてくれ」


 短パン少年は憧憬から目を反らして先導する。動き出した彼に少し遅れてトテトテと歩いていく少女。それについていく黒服の青年はふと後ろへ振り向いた。

 僅かに視線を感じたのだ。ほんの少しだけ感じた敵意。しかしその視線は途絶えてしまっていた。


「……よほど珍しいのだな、俺は」


 赤毛の下の一つ目が歪む。ラグナスは自分の存在を証明する手段を持たない。彼にとって人間大のサイズまで縮小した現在の姿と、悪魔と呼称される魔人機の姿。どちらが本当の自分か解らないのだ。

 それゆえ、ハッキリと解るのは自分が人間ではないという事だけだ。国という人間社会における喋る異物、それが自分なのだと。


「どうしたの、ラグ?」

「……いいや。なんでもないさ」


 苦笑を交えて、青年は少女の心配を振り払った。

 それでも、彼女が自分の名を呼ぶ。だからこそ、人ではない青年は彼女の後ろへついて行くのだ。

 タスクが彼女とラグナスの方へ振り返って、どうしたー、と聞いてくる。なんでもありませんー、と返すルナリアを見て、彼は密かに笑みを浮かべる。平和な時を、確かにそこで彼は人として享受していたのだから。



     【◆】



 彼女達の前にあるのは、明らかにボロボロになっている建物であった。何度も木の板で繋ぎとめたような、そんな継ぎ接ぎだらけの家屋の中へタスクは入っていく。

 その不完全な建物に多少の不信感を抱いたのか、ルナリアはハッキリと苦い顔を見せた。


「こういうところもあるんだよ」

「えぇ……これじゃ、倒壊した修道院と同じじゃ」

「雨露しのげるようになっていればいいんだよ」


 ラグナスの必死の弁論によって諦めがついたのか、少女は胸に手を重ねながら身を縮こませてその拠点の奥へと進んだ。

 そこには巨大な空間が広がっていた。複雑な構造はなく、ワンルームの大広間。幾つか多色のコンテナが積み重ねられており、少しだけスペースが圧迫されている。

 その中央には、太陽に照らされた魔人が正座をしていた。ラグナスと戦闘した、タスクの乗機――ゼクタウト。活き活きと光っていた仮面の六つ目は、今はその意志がないのを示すかのように消えていた。フレームと思われる球体関節がむき出し、それでいて細すぎる腕と脚は、相変わらず見る者に不安定さを訴えかけている。


「おぅ。おかえり、タスク」

「おかえりなさいっす!」

「ただいま。例の女の子連れて来たぜー」


 最初に声をかけたのは、ゼクタウトの足に触れていたガタイのいい男だった。黒い肌にそれ以上に黒い髪。髭を蓄えており、腰には幾つもの工具がぶら下がっている。服装は藍色の作業服であるが、そのガタイの良さがあってか、腕にかける紐はダランと垂れていた。

 一方で、タスクへの尊敬を表している口調の声音は、ルナリアよりも少しだけ低く聞こえる女の子の声である。健康的に焼けている肌に、少し大きめの黒縁眼鏡。髪は焦げ茶色で、ショートボブ。水色の短パンを履いていて、どこかボーイッシュな少女と言った雰囲気が出ている。


「紹介するぜ。こっちの腕っぷしがあるのが作業屋のガンツ」

「さんをつけろ。ゼクタウトの整備、あとは色々と任されているガンツだ。よろしく」


 よっと右手をあげる男性に、ルナリアは礼儀よく頭を下げる。

 決して老いているわけではない。年齢的に言えば二十代後半ぐらいであるが、若者と呼べない厳格さが確かにあった。肌に付着する黒い油の跡は、彼がいかにゼクタウトの整備に手間取っているかが解る。


「んでこっちのが俺の弟分……女子だけど」

「どうもっす! タスクの兄貴の舎弟、マナナっす!」


 弟分――もとい妹分として呼ばれて、元気よく右手を上げる女の子に、ルナリアは笑顔を向けて頭を下げた。ガンツよりも同性な分、彼女の気持ちも楽なのだろう。小柄なルナリアと同じくらい小柄なのも、彼女の緊張をほぐす要因となっている。

 そして、彼らの前に立ち、胸に手を当て、少年は高らかと名乗り出た。


「んで、俺がここ! ニーロコ木材加工作業工場の社長、タスク・アクターだ!」

「部下二名だけどな」

「経営難っすけどね」

「うるせー!」


 胸を張って元気よく名乗る少年に対し、ガンツとマナナは小馬鹿にしてその威厳を粉々にする。少年はくるっと振り返って地団太を踏み叫ぶしかない。

 ただ、経営難も納得ではある。何せ工場と言う割には、ゼクタウト以外の機械は見えない。外壁の惨状もあるし、むしろ彼が社長などと言わなかったら廃墟に住まう子供と思うところだろう。


「タスクって、偉い人なの?」

「ん? いや、あくまでそう言う団体のリーダーなだけだ。基本的にタスクが実行で、マナナが経理など、俺が実行補助だな」

「ゼクタウトが無いと効率が最悪なんすよー。だから、壊さないでほしいっす」


 どうにも木材加工にはゼクタウトを用いるようであった。確かに両腕の刃を使えば、容易ではなくとも斬る事はできるだろう。それに腕の形状がシンプルで、カマキリのような関節をしている。その縦でしか折り曲げられない関節によって、正確に木材を斬る姿も想像に難くない。

 その自分達の仕事のための道具である魔人機を、戦闘で扱おうとするのだからマナナはタスクにそう言うのだ。タスクがすごく面倒臭そうにマナナを一瞥しながら、こほんと気持ちを切り替える。


「これが俺の仲間だ。よければ、この国で困った事があったらここに来てくれ」

「いいの?」

「お金はないが情はある! この国は、基本的に金よりも協力をするのが常なのさ」


 灰色の髪の下で逞しい笑みを浮かべる少年に、ラグナスはこの国の一つの姿を見た気がした。

 明らかに貧しい生活を送っているのであろう。服はよれよれで、決して上質とは思えない。髪もボサボサだ。だというのに、彼は旅人よそものである自分達にそうハッキリと言う。

 ラグナスはルナリアが何かを言う前に、彼女の前に出て少年の頭を撫でていた。無意識の行動とも言えるほど自然に。ただ彼の中で、どうしてもそうしてあげたかったのだ。

 突然の行動で少し顔を赤らめるタスクに、ラグナスはフードの下で微笑んで見せた。


「ルナ、何かしら困ったら彼らの世話になろう」

「……ラグナス、いいの?」

「信頼に足る。たとえ……ないだろうが、タスクが悪者でも、こいつに奪われるぐらいなら多少の恵みにもなるだろうさ」


 意外にも彼らを信頼するラグナスを、少女は不思議そうに見つめていた。もっと冷静で、疑い深いと思っていたから、そんな彼がタスクに対してはそう言って頭を撫でるのだから、僅かにも首を傾げてしまう。


 ――あぁ、でも。ラグナスはそういう事もできるんですね。


 誰にだって敵意をむき出すのではなく、こういう優しさを出せる悪魔に、ルナリアは彼の視線が見えないように心の中で微笑んで見せた。

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