第二話:貧しき中に灯る光

1:跳躍―Jumce―

 頭上には太陽が見える。数えるならば正午過ぎ。ズシンズシン、と青い芝の上を音を鳴らして歩いているのは、黒い騎士のような悪魔のような――野原に散在するクヌギの木よりも大きな魔人の中で、金髪の少女は三角座りをしながら本を眺めていた。

 彼女の周囲は闇ではなく、その魔人を中心とした外の世界を細かに描いている。上部は空を描き、下部は緑色の草原。まるで透明な水晶の中で揺蕩う人魚のようだ。


「……ふぁ~」

「おい」

「あ、ごめん」


 紺色の修道服を着る少女の欠伸は、大地を歩く魔人からすれば苛立ちを覚えるものだ。何せ、少女はそこで暇をしていればいいが、彼はずっと歩いているのだから。それに、最初こそ話などをして気持ちを紛らわせていたが、それにも飽きたのか少女が本を読み始めたのだから尚更だ。


「しかし、あの優男の言う通り、この姿なら襲われる危険性はないものだ」

「……そういえばラグナスは、マークスさんの事、そう呼ぶよね。なんで?」

「あまり好かないんだよ、あぁいうタイプ」

「そうかなぁ」


 お前には解んねぇよ、とラグナスと呼ばれた悪魔は呟く。マークス。彼らを助け、同時に争った少女の信仰する教会の騎士。戦闘後に話し合い、食事を共にした間柄であるが、彼からすれば悪印象の方が勝るようだ。

 少女からすれば恐ろしい人でこそあるが、クリェートで助けられた事もあるので憎めない人でもある。


「ルナリア。それで、次の国の事、解ってるんだろうな? お前、そのために本を読んだんだろう」

「うん。予習は大事だからね」


 欠伸こそ出したが、それはあくまで昼の陽気に当てられて~、と言い訳をし始めた少女の言葉を再び止めてから、大地を闊歩する悪魔は情報を聞き出す事にする。


「ニーロコ。物品の輸出入の中間地点として栄えた国。木造建築が盛んで、特産物はフォーと呼ばれる麺だって」


 ルナリアと呼ばれた少女は、パラパラと素朴なメモ帳を捲っていく。クリェートの酒場で働いている段階で、図書館で調べた旅に役立つ情報を纏めた物だ。


「フォーかぁ……となると、米が採れるんだろうか」

「米?」

「白い粒粒とした食べ物だ。黄色の植物から採れてな、水と火で上手く炊けばこれまた美味い料理になる。フォーはその米を磨り潰し、粉にした物を麺状に固めた物だ」


 へぇー、とラグナスの豆知識に相槌を打つ彼女の反応を見て、得意気に鼻を鳴らす悪魔は順調に歩を進ませていた。マークスと別れてもう七時間は経過している。あれからどれくらい進んだかは解らないが、邪魔者のいない旅路は快適そのものであった。

 そして、ルナリアが本を片付けてふと前を向くと――


「あっ」

「見えたな」


 僅かにだが、地平線にそれらしき建物の集まりが見え始める。茶色の木の柵で覆われて壁のようになっているが、その壁を越えて見える城のような建築物がその証拠である。ニーロコに最近できたとされる、石造の城。あれこそがニーロコの象徴と言っても過言ではない。

 やったー、と笑みを浮かべるルナリアを余所に、ラグナスは微かに何かの振動を感じていた。ジョイン、ジョイン、と何度も大地を踏みしめる軽くて変な音を。


「ルナ、警戒しろ。明らかに何かが近づいてきている」

「何だろう……まさか、悪魔?」

「……魔人機だ。今後はこの呼称をした方がいいだろうよ」


 魔人の如き機械――魔人機は、ラグナスと同じ十メートル以上ある巨体を有する兵器の名だ。ルナリアの信仰する聖道教会ではそれを悪魔と呼ぶが、一般的にはこちらの方が浸透している。

 音は確かに聞こえる。前方。自分達の目指すニーロコの方向。ラグナスの耳の感覚を受け取っている少女は、嫌な予感を覚える。


「ラグ。剣のイメージ――前みたいに、盗賊だったら嫌だから」

「戦闘方針は?」

「腕を狙うのはどうかな? 流石に腕に人が乗っている事はないだろうし、腕を破壊できたら降参してくれると思うの」

「了解」


 相棒の返事を聞き終えると、ルナリアは頭の中で悪魔の形を思い浮かべる。彼の右腕に同化するように生える赤く光る剣の形を。それこそが彼女の中に生まれる抵抗の証。暗澹やみを切り裂きし、曙光きぼうグラーボ

 そのイメージが伝わったのか、悪魔の姿をした騎士の右手が一度弾ける。粉々に、木端微塵になった黒い闇は、しかしもう一度右手に集まって造り上げるのだ。右手首から作り直される無機質な剣。紅く光るそれは、まるで光が刃の形で固まっているように見える。


「……あとは、できれば話し合いで解決したいな」

「それが一番だが――ッ」


 修道女の理想に賛同しようとする魔人機であったが、言葉を途切れさせる。

 音が消えた。確かに近付いてきていた、ジョイン、ジョインという特徴的な音が。ラグナスは周囲を警戒する。ニーロコの方面から聞こえていた方向を見やり、剣を構えながら――


「ラグ、上からッ!」

「チッ!!」


 ラグナスとはまた違う目線を持つルナリアが、第三の目として機能して上面からやってくるそれを言葉で指さす。それに気づけなかった自分に舌打ちをしながら、ラグナスの兜で隠した赤い一つ目は上からやって来るそれを見た。

 細い何かであった。少なくとも盗賊の使用していた牛男ゴノギュラではない。二つの牙がある顔には、赤い目に相当する丸が六つあり、白い髪の毛みたいなものが生えている。球体関節が続き、人体でいう腕に相当する部分は、黄色で細長い板のような物がくっつけられている。そしてその先端には、銀色に鈍く光る刃が確かにあった。

 両腕にあるその刃を交差させて、空からラグナスに目がけてそれはやって来たのだ。少女の声に沿って動いた悪魔の右腕は、その剣で二つの刃を受け止める。


「な、なんなのッ!?」

「何だか知らねぇ――がッ!!」


 少女の戸惑いを振り切るように、ラグナスはその二つの刃を切り返す。細長いそれの全体重がかかった一撃は、思いの外に簡単に弾かれて、ラグナスの前方へと後退させられる。

 その姿に違わず機体の重量が軽い。押し返したラグナスは、それを見越して音が消えた理由を認識した。


「跳躍したのか……」

「カエルみたいに?」

「あぁ……やつの脚は、どうにも跳躍を得意とするらしい」


 細長い魔人機の脚部は、下腹部の球体関節に繋げられているが、それはとても細い物であった。人体で例えるなら、膝から足にかけての肉がほとんどない。しかし、それは正面から見た場合である。

 攻撃を押し返した際にラグナスの目に映った脚の機構。穴開きのように見えて柔軟に稼働する、バネの如き脚部のフレーム。事実、押し返されて着地したその魔人機は、ジョインと音を立てて一度跳ねて着地した。

 これに加えて、軽量であるならば、ラグナスが見失うほどの跳躍は可能であるかもしれない――ルナリアは咄嗟に上を向けた自分に安堵しつつも、目の前の状況に向き合う。


「あのー! すみませーん! どうして襲うんですか!!」

「…………」

「無視ですかーっ!?」

「たぶん、聞こえてないんじゃないか?」


 必死に声を荒げるのに返事がない事に涙目になるルナリアに、ラグナスはフォローの意味合いも含めてそう考えを漏らす。そんなぁ、と嘆く少女に反して悪魔は冷静に考える。

 一見、貧相に見えるその機体は、跳躍を介して高速で移動する事ができると推測する。肉眼で確認できる武器は、両手の代わりに生えている刃のみ。強いて言えば、あの跳躍力を支える脚部でのキックが怖いか。

 装甲という装甲はなく、胴体部は見事に球体が人の姿になるように骨組んでいるだけ。機動性を得るために、肉を削ぎ落としたと言うべきか――そうであれば、とラグナスはイメージを少女に伝える。


「腕を落とすか――いや……ルナ、眼前をしっかりと捉えてくれ」

「うん。こうなったら、腕も脚も剥ぎ落として、中身に出てもらうしかないものね!」

「……いや、そこまでは言ってない」


 返事無しが堪えたのか躍起になるルナリアを諌めてから、ジョイン、ジョインと左右に跳ねる魔人機を見据える。向こうはこちらの動きを見ているようで仕掛けてくる様子はない。だが、攻撃の意志はあるようで、腕の肘に該当する部分が稼働して刃はラグナスを向いていた。

 騎士は、その肩から伸びる影のマントを靡かせて右足を軸に跳躍する。前方へ、右手の剣を左腰に添えるように忍び込ませて。単刀直入の突撃に、隙を見出した細長い魔人は同じように脚部のバネを利用して、前方へ跳躍する。

 速度は――確実にカエル脚の方が早い。加えて現在のラグナスは攻撃を仕掛けるために防御の策はない。六つ目の巨人にとって勝利の必定を感じる一瞬――それが仕組まれた物だと知らず。


「盾のイメージ、シルドーッ!」


 ルナリアの叫びに呼応して、ラグナスは何も持っていない動きの余裕を持つ左手を胸の前に曝した。瞬間、二つの刃の斬撃はラグナスを斬る――否、ラグナスの生み出した円盤の盾を。

 夜の如き闇を内包する盾――暗夜のシルドーの発生により、思いがけない斬撃をしてしまった六つ目が驚きを表現するように点滅する。跳躍の体重移動は止まらない。加えて、体重が重いのは明らかにラグナスの方だ。

 それらが大地から足を離してぶつかれば――軽い方が弾き飛ばされるのが自然のルールだ。


「ぶっ飛べッ!」


 盾に思い切りぶつかる高機動魔人機に悪態を吐きながら、ラグナスは体重のままに押し倒す。僅かな衝撃がルナリアに襲い掛かるが、事前に仕掛ける内容を受け止めていたからか、その表情はまだ冷静であった。

 馬乗りになり、咄嗟に右手の光の剣で、細長い魔人の左腕と球体関節の狭間を突きつける。左の盾は逆に右腕の稼働を抑制するために押さえつけていた。

 完全に戦闘続行が不能となった今、ラグナスの役目は終わり少女の役目がやってくる。


「えーと……聞こえますでしょうか? これ以上の戦闘はお互いに無益ですので……腕、斬る前に出てきてくれませんか? あっ、脚まで斬っちゃいますよ?」

「…………」


 しばらくして、装飾のしていない下から二番目の球体がパカッと開いた。操縦席を指しているのだろう、座席にレバーが幾つかあり、それを握っている少年の姿が見える。肌はこんがりと焼けており、髪色は灰色。ぶかっとした黄色の服を着ていて、下半身は藍色の短パンがみえる。


「やめてくれー!! これ直すのに時間かかるんだ! パーツ集めから、接着の手間とか、ただでさえ再起動に時間がかかるし! こ、降参するから! ほんと、本当にやめてくれー!」


 両手を上げて、情けない声で叫ぶ少年の姿が少女と悪魔の赤目にハッキリと映る。

 正午が過ぎてほんの少し。あまりにも理不尽で、それでいて何だかこちらが悪いような気さえしてしまう、そんな状況になった少女は、


「えぇ……」


 と、どうしようもない罪悪感に戸惑うばかりであった。

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