2:牛男―Mattle―

 突如現れた巨大な牛男は一体だけではなかった。ラグナス達の後方の一体が先行して現れ、右方、左方、そして前方と次々に現れるのだ。


「悪魔……ッ!?」

「いいや、それよりは――」


 巨大な体躯をするだけならばそれは確かに悪魔と言えようが、それ以上に該当する言葉はかつての作家が生み出している。

 牛の姿をしながら人のように二足歩行を行う、筋肉隆々の化け物。


牛男ミノタウロス

「それって、御伽話で出てくる人を襲う牛の化け物の事?」

「それが妥当だろう。問題は、それに取り囲まれているこの状況だが」


 四方を囲まれてしまったラグナスはその赤い目で抜け目を探すが見つからない。困惑するルナリアを庇うように自身のローブの中にそっと入れて、青年はミノタウロスの姿を観察していく。

 その顔に当たる部分は胴体とのバランスを考えると明らかに大きく、朝だというのにその瞳は紅く光っているのが解る。角には幾つもの丸い穴が開いていて痛々しい。だが、顔に負けじと大きいのは脚と腕か。脚はどっしりとアンバランスな肉体を支えられるようになっているし、腕はその背中に装備している巨大な斧を扱えるぐらいには太ましい。

 そして――何よりもそれが、鋼鉄で構成されているのはラグナスの目で見ても明らかであった。


「動くなよ、嬢ちゃんと兄ちゃんッ!!」


 がなり立てる男の声に、ローブの下のルナリアがビクリと身体を震わせた。そんな彼女を右腕で支えつつも、ラグナスはその人間の声をした前方を睨みつける。

 ミノタウロスの胴体にある服の装飾である、赤色の宝石の部分がパカッと開いてそこから髭面の男が二人を覗いていた。そのモグラに無理矢理に服を着せたような姿と人相の悪さは、状況も相まって彼らの味方には見えない。


「動けばどうなる?」

「俺達のゴノギュラの斧の錆にしてくれるわ! そういうわけだ、悪いが金品とそこの嬢ちゃんはもらうぜ?」


 そのミノタウロスはゴノギュラと呼称されているらしかった。向こうの目当ては金品とルナリア。狙われる本人はなぜ自分なのか、と戸惑っているが青年からしたら簡単なものだ。

 恐らくあれが噂の盗賊なのだろう。ゴノギュラと呼ばれるミノタウロス型の悪魔を使役しているのだ。それを使って次の町とクリェートの輸出入を阻害しているに違いない――と、ラグナスは多少の違和感を覚えながらもそう認識する。


「ルナ。覚悟を決めろ」

「え……?」

「差し出しなよ、兄ちゃん! 若い女はそれだけでも価値がある。あんただって抵抗さえしなければいい労働力になるんだ。命を落としたくないなら、抵抗せずに言う事を聞きな!」


 盗賊の一人の言葉に、フードを被っていた青年はゆっくりとその布を捲り取る。曝される赤黒い髪は、僅かに吹く風にあおられてゆらりと揺れる。

 ルナリアはローブの下から彼の表情を窺っていた。その異形染みた一つ目は真剣そのもので、ぱくりと開きかねない口は不服そうに曲がっていた。


「悪いが、ルナは渡せない。こいつには託された願いがある。その願いを阻むなら――お前達を殺す」

「……そうかい。それじゃあ、仕方ねぇ」


 啖呵を切ったラグナスに対し、盗賊の男はゴノギュラの中の操縦席に入り込んだ。そして息を吹き返すように紅い瞳は更に爛々と輝き、ゆっくりとだがその厚い右腕を背中に付けてある、肉体の半分はあるであろう巨大な斧の柄に手をやる。


「九メートルオーバーの鋼を受けて、死ねよォッ!」


 そのまま遠心力を利用して振り上げた巨大な斧は、ラグナスとルナリアの頭上にある。残り数秒でその鋼の塊は二人の命を奪うであろう。

 ラグナスはぎゅっとローブの中にいるルナリアの肩を掴んで、大きくその名を呼ぶ。


「名を呼べ――ルナッ!」

「ッ――ラグナスッ!!」


 ルナリアがその碧眼を瞑り、祈るように手を重ねて隣の男の名を叫ぶ。

 瞬間――その名に呼応するようにラグナスの身体は影に溶け、ルナリアの全身から映し出される赤い光の線が彼女の踏みしめる大地に漏れ出す。描かれるは目を象った魔法陣。そしてそこから彼女を包み込むように影が溢れだす。

 それは少女を護る騎士が如き姿をしていた。灰色の兜で瞳を隠し、黒の鎧を身に纏う騎士の姿をした悪魔。紫色の光放つ金具に挟まれた影のマントは、鬱屈した空気を吐き散らすように翻されて、四方に囲んでいたゴノギュラは弾き出された空気によって吹き飛ばされる。


「――え?」


 痛みを覚悟し、瞑っていた少女の瞳は困惑と共に開かれる。満たされていたのは、海の如き青ではなく、血の如き赤。ラグナスと同じ、炎を思わせる深緋の双眸だ。

 ルナリアはいつの日か見た、あの世界に浮いている感覚の中にいる。見開いた瞳には、倒れこんでいる三体のゴノギュラが見え、耳には後ろからも倒れこんでいるのであろう音が聞こえていた。


「これって……?」

「名を呼んだのだから顕現したのだ」


 動揺を捨てきれないルナリアに、その鎧となったラグナスは静かに語りかける。何の事も無い。再び悪魔騎士の姿をとったに過ぎないのだ。

 その事を認識して、少女は覚悟の意味を理解した。今から行われるのは戦闘。四方に囲まれているこの状況を打破しなければならないのだ。


「待って、ラグナス。戦うの?」

「戦わなければ死ぬだけだぞ? それに、悪魔を殺したのだ。お前には出来る」

「違う……あれには人が乗っているの!」

「どう違う?」

「人は殺せない。殺してはいけない……だって、そうでしょ!」


 なまじ、悪魔と認識している物から人が現れたのがいけなかった。ルナリア・レガリシアはその時点で戦闘の覚悟は無くなっている。人を殺すという行為はいけない事だと認識しているからだ。

 ルナリアの言葉に絶句するラグナスを余所に、倒れこんだ盗賊はゆっくりとゴノギュラの身体を起こしながら突然現れた騎士に驚きを覚えていた。


「どこにあんな魔人機を隠していたんだ?」

「あの型、見た事がねぇ。ワンオフか? マカシーンの最新機か?」

「馬鹿野郎! ここからマカシーンまでどれぐらいあると思ってんだ」

「落ち着け。考えるのはボスの仕事だ。俺達は目の前の現実を見て、それが障害ならぶっ潰せばいい」


 動揺を壊すのは先程までラグナス達に声をかけていた男であった。弾き飛ばされた斧を拾い上げて、ゆっくりと構える。

 自分達と同じ大きさの存在が現れたのだ。それを、自分達と同じ道具を使っていると認識するのは当然であり、それが自分達の目的の邪魔をするのであれば、排除するのが道理だ。


「てめぇら! やるぞォッ!!」

「うぉぉぉぉぉッ!!」


 斧を構えた前方のゴノギュラの雄叫びを始めとし、同じく斧を構えた右方、左方、後方のゴノギュラがラグナスに迫りかかる。


「ルナッ!」

「――剣のイメージッ!」


 あの夜に作り上げた、光り輝く剣のイメージをラグナスに伝える。ラグナスの右腕にあった手に覆いかぶさるように光の刃を携えた剣が構成される。同化するように生み出された剣、曙光のグラーボを構えながらもラグナスは更に叫ぶ。


「イメージしろッ! 殺しの、それが無理なら戦闘の!」

「戦闘の……そんなの、どうやって……」

「ルナッ!」


 彼が名を呼ぶ。戦闘のイメージなど、これまで喧嘩もした事が無い少女には想像のつかない領域だ。あの夜に思い浮かんだイメージは、あくまで怒りに任せて生まれた本能のイメージ。そんな物が、怒りではなく恐怖に侵されつつある少女に浮かび上がるわけがない。

 ラグナスが露出した歯を強く噛みしめる。迫り来る斧を前にして上手く動けないこの状況。あまりにも早い旅の終わりを予想してしまう。

 だからこそ――その一瞬に見えた一閃が何なのかを理解できなかった。



「――ザンッ!!」



 後方と右方のゴノギュラの胴体を切り裂く、白き閃光がラグナスの瞳に映る。それは真白の鎧を身に纏った、まさしく騎士と呼べるような姿をした悪魔であった。

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