第一話:白亜――罪を断つ騎士

1:出町―Outown―

 太陽の光が葉陰の合間から差し込む木々の下で、白衣と豪奢なマントで着飾る男はその廃墟を睨んでいた。明らかに何かしらの手で破壊された後であった。聖堂に当たる大広間の天井は破られており、祭壇は見るも無残な瓦礫の山と化している。


「酷い物だ……しかし、経年劣化ではないと見える」


 少なくとも、金髪の男が訪問しに来た理由であるエセ修道長は、碧眼の少女にちゃんとした聖道教会の教えを学ばせていたようであった。人の気配がない事を確認して潜り込んだ彼は、修道院内の個室で古ぼけた教本を片手に持ってそう確信する。

 問題はその質。かつての教徒である事は理解できたが、その教本はあまりにも古い。


「彼の老人……まさか、八十とは言わんだろうな」


 およそ五十年前の教本に目を通し終え、大事に仕舞う青年は対面した時の感覚を思い出していた。強い殺気。決して自身が劣るとは思っていないが、それでもその言葉に纏う意志は厳かであった。だからこそ、あの場で道を譲ったのだ。

 しかし、八十の老齢であるとは思ってもいない事だ。せいぜい五十か、六十もいいところだと思っていたのだから。


「……気配なし。場合によれば、フランベルジュの使用もやむなしかと判断していたが……」


 聖堂に戻ってきて、天井を仰ぐ。覗くようにそれはいた。太陽より白き鎧を持つ騎士。人の大きさを遥かに越えた姿。男はそれをフランベルジュと呼称した。


「さて、それでは帰還へと足を伸ばそう――」


 元より、命を奪う必要もない。彼がここへ来たのは、あくまで追求であり、なぜと問うだけのために来たのだから。抵抗するのであれば武器を破壊するまで。黙言に徹するなら口が割れるまで痛みつけるのみ。下らぬ戯言を吐くのであれば矯正するのみ。

 だからこそ、後はこの場を去れば終わりであった。白衣の青年――マークス・ベンゼンは興味もなく純白の騎士の下へ向かおうと振り返り、そして――


「やぁ」


 彼の視線の先に陽気に声をかける少年がいた。



     【◆】



 おじである修道長が亡くなり、住居である修道院から離れた碧眼の修道女ルナリアは、なし崩しに用心棒として雇う事となった青年ラグナスを連れて、隣町クリェートの酒場に数日間の滞在をする事となる。

 生前、修道長であるラルドが酒場の二階にある宿屋の予約をしたのは、旅をする上でルナリアの社会経験をさせるためである。


「ルナちゃん。ペペロンチーノ、作れる?」

「はい! カルボナーラとか、ナポリタンも作れます」

「ちょいと食堂任せた! お願いねぇ」


 酒場と言えども、クリェートは大きな町ではない。それゆえに食事処としての営業もしており、ルナリアはおじとの生活で培った料理の知識を使用して手伝いをしていた。

 キッチンのルナリアに指示を飛ばしたのが、宿屋と酒場の妙齢の女将である。古くから修道長との親交があったらしい彼女は、彼の遺した少女の世話を託された。仕事と言う仕組みを教え込んでいるのだ。

 フライパンを片手に扱い、細く舞う麺をその右手でいなしていく様は、修道女というよりは家庭的な幼妻だ。揺れる金髪、真剣な青の双眸、自然と綻ぶ口元をラグナスは遠くから覗き見ていた。


「おい、小僧。次だ。薪割れ」

「薪?」

「そうだ。電気だけで火が起こせると思うな」


 一方で、黒のフードつきのローブを身に纏う黒肌のラグナスは、女将の父である老人に手斧を渡されて丸太の目の前まで誘導される。老人は歳なのか、腰を手で抑えながらゆっくりと近くにある椅子に座った。


「働かざる者食うべからず。ルナちゃんがあぁやってんだ。用心棒も多少は働いてもらわないとな」

「それはいいが……ガスは無いのか?」

「ガス? なんだそりゃ。そんな事よりほら」


 老人の反応に目を細めつつも、ラグナスは手斧で丸太を均等に切り分けていく。作業こそ単調だが、剣を振るう事に慣れているのだから苦労はない。

 カコン、カコン、と割られて生まれてくる薪を見て、ほぉっと満足げに老人は溜め息を吐く。


「動きに躊躇いが無いな。あれか、小僧、木こりか?」

「悪いがそのような仕事はしていない。万年用心棒だ」

「そうか。用心棒と言えばだ。道中の盗賊には気を付けろ。近頃、輸出入の失敗が増えている」

「盗賊……腕が立つと?」

「さて……生き残った者が言うに、化け物を見たらしい」


 化け物、と老人の語った言葉をラグナスが興味深げに口で繰り返すと、老人はただでさえ細い目を更に細める。厳格に、しかし諭すように。


「巨大な体躯をした牛の化け物とな。それらが積み荷を奪い、人を殺したとか。恐怖と月が見せた幻覚、としか言いようのない事だ」

「ルナなら悪魔と言いそうだ」

「わしは聖道の教えなど知らんが、ある意味でそうかもしれんな。どちらにせよ、そのような情報はある」


 カコン、と己の刃は薪を割って土台に食い込む。話の間にも薪を割り続けていたからか、残り数個となった段階でラグナスは手斧から手を離して老人を睨んだ。


「なぜそのような情報を教える。ありがたい話だが、その理由が知りたい」

「言うまでもない。ルナリアのためだ。彼女は修道長の娘同然。彼女が我々も知り得ない地への旅をするのであれば、わしができるのはこれぐらいだ。それを、あの子を護るお前に教えて何が悪い」

「……いや」

「人の善意に疑いを持つのは決して悪い事ではないが、お前さんはもう少し他者を信用したほうが良い」


 カコン、とラグナスは丸太を分断させる。青年の赤毛の下に隠した赤の一つ目は、老人の言葉を反芻させているように小さくだが揺れていた。



     【◆】



「ラグナス。どうしたの?」

「いや、なんでもない」

「そっか」


 その翌朝。酒場の女将から二人の三日分の給料として、明らかに多めな金貨の袋を貰ったルナリア一行は、遂にクリェートから足を踏み出す事となった。おじの頼んでいた用心棒が現れなかった事が決め手となったのだ。


「依頼者がいなくなったんだ。向こうからしたら大損の依頼。向こうの判断で破棄したのだろう」

「でも、一言謝っておきたかったなぁ」

「必要ない。向こうは金で雇われた身。親身になってもどうにもならんよ」


 ルナリアは相変わらず紺色の修道服であった。動きやすい私服は持ち歩いているが、できるだけ旅の中ではこの正装を貫き通すつもりらしい。その私服の入ったトランクや、他の旅の道具のリュックなどは全てラグナスが持っている。

 おかげで少女は、伸び伸びと腕を伸ばして走ったり回ったりと自由気ままであった。クリェートから次の町へ続く道は、緑の芝生が豊かな野原が続く。危険な生物もいないと事前に調べているし、次の町まで歩いて数日なのだから初心者であるルナリアでも不安は少ないのだ。


「しかし、盗賊か……」

「盗賊って、盗みをする悪い人達だよね?」

「そうだ。金品や食料などを奪う、他者の迷惑など知らない自己満足の塊だな」

「やっぱりいるんだね……そういう人も」


 人の悪意など曝された事も無いのであろうルナリアは、ラグナスの語る盗賊像に複雑な気持ちを覚えたのか俯いてしまう。とても数日前、悪魔をその手で殺した少女には見えない。


「人は複雑怪奇な生き物だ。多種多様、決して同じ者なんていない。お前が正しいと思っている事を、正しくないと断ずる者だっているだろう。逆に、お前が間違っていると思っている事を、正しいと語る者もいる」

「そんな……」

「面倒な生き物なのだよ、人間という生き物――ッ?」


 そうルナリアを諭そうとするラグナスであったが、言葉を途中で止めてしまう。不思議そうに見つめるルナリアを余所に、彼は自身が感じた違和感を短く語る。


「音がしないか?」

「え? ……確かに」

「一つや二つではない。もっと、そう……大多数の人間が動いている、そんな音が」


 ルナリアが耳の裏に手をやって広げると、確かに大地を踏みしめる音が聞こえたのだ。ずしん、ずしん、と。それも一つではなく、もっと多く音が重なり合っている。

 同時に感じ始めるのは身体が揺れる感覚だ。地響きと言ってもいい。地面は重なり合う音に合わせて揺らされており、それは大地に足を付けるルナリアとラグナスに確実に伝わる。


「なん、だろう?」

「さてな――ただ」


 その音の方向は全方であり、何よりも近付いてきている。

 ズシズシズシ、と感覚の短くなってきた振動音と、ラグナスはある決断を下す。


「覚悟しておけ――厄介な奴が来るぞ!」


 瞬間、その姿を現したのは後方からであった。背中合わせになって、ラグナスとルナリアはその姿を見る。

 巨大な体躯はとても硬く、力強さを覚える。薄茶色の体色をしており、その腕は筋肉質を思わせるほど頑丈で太い。足も脚も、その巨大な肉体を支えるために大きくなっているのだろう。極めつけはその顔。頭からは天へと伸ばすように角が生えており、鋭角な瞳は紅く光る。巨大な鼻の造形には金色の輪がかけられており趣味が悪い。

 それは――とてつもなく巨大な、牛人間に見えた。

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