6:魔断―Dever―
「そうだ。お前こそ、ルナリアでいいな?」
黒騎士の問いかけに小さく頷くルナリアであったが、見つめ直してみるとその姿はあまりにも騎士に程遠い。
騎士の兜は、後頭部を守っているわけでは無く前面にしかない。視界を確保するために開けられたバイザーの縦に長い穴からは、巨大に赤く光る一つ目が見えて不気味だ。口元を隠す部分も分割されており、ガバッと開くであろう野性味あふれた口と牙が見える。鎧こそ独特な形状をしているが騎士のそれであり、黒き鋼に包まれた胸部には、顔の赤い瞳を模したマークが鈍く光っていた。肩の鎧からは布のような物が靡いており、まるでマントのようである。
騎士の姿を真似ている悪魔。もしくは月光の下でも存在がある、影の魔人とも呼べる姿に、ルナリアは恐怖よりも見惚れていた。
「……こちらを見るのはいいが、気を付けろ?」
「え――きゃあッ!?」
ラグナスの忠告が終わった瞬間に、ルナリアの真下からもう一つの手が浮かび上がってきた。ごつごつとしたそれが、ルナリアの足場となり地上から離れていく。
突然現れたそれに驚いて、か弱い声を上げてしまうルナリアであったが、共に上昇していくラグナスを見つめて少しの安心を得る。しかし、赤い瞳はその感情とは裏腹に強い疑問が生じていた。
「あなたは……誰?」
「ラグナスだ。お前もさっき言ったろう?」
「そうだけど……」
彼女はその名を知ってこそいたが、何故、どこで、いつ知ったのかが解っていなかった。何よりもその名をこれまで憶えていたわけでもなく、修道長に教わったわけでも無い。自然に口から出てきたフレーズ。彼女にとってその名は、そういう無意識の言葉であったはずだ。
それに、名を呼び現れたのは騎士に扮した悪魔。聖道教会が否定する存在である事を知っている彼女からすれば、まさに悪魔憑きが悪魔を呼び出してしまった事となっている。
強い罪悪感と信仰心から来る背徳感に頭を抱える中、ラグナスと自分が呼んだ悪魔は、魔法陣から下半身も抜け出して完全に解放された。獣のように巨大な爪が生える騎士の鉄靴が祭壇を踏み潰し、開かれていた赤の魔法陣は収縮して消えた。
「疑問は後でいい。悩む必要もない。それよりも、先にやる事があるだろう」
ラグナスは前方に顔を向けるので、少女をそれは追って彼の視線の先を見つめる。剣を右手で破壊された浮浪者の悪魔は、慄くように一歩、左足を下げていた。修道長を殺したそれは、逃げようとしているようにルナリアの瞳に映る。
それは、とても赦されない事だ。大事な人を殺して、自身の命さえ消されかけた少女は、その瞳に恩讐の炎を浮かび上がらせる。その彼女の背中を見て、ラグナスはニヤッと笑みを浮かべた。
「乗れ。お前のその心は、お前の手で果たすべきだ」
彼女を乗せた左手で胸部の前に持ってきて、その瞳を模した赤いラインの中央へ誘導する。呼び出してしまい、復讐心に駆られるルナリアでさえ、悪魔と一体化する事は躊躇してしまう行為だ。乗ってしまえば最後、その身体も乗っ取られないかと不安を覚える。
「乗る必要は?」
「ある。俺は鎧であり武器である。担い手がいなければ、多少動けるガラクタに過ぎん」
選択肢はない。悪魔と言う不確定の敵である彼を信じる事は難しいが、逆に言えばこの悪魔は一度でも自身の命を救った。何があるか解らない相手でも、それだけは事実としてそこにある。
ルナリアは意を決して、その瞳の中心へ入り込む。広がるのは虚無であり、騙されたと思い込みかけるが、瞬時に世界が広がった。聖堂が広がり、天には月が、地には破壊された祭壇の残骸と、その中で死んでいる修道長の姿が見える。
そう。今や形勢は逆転した。敵の剣は無くなり、自分には己を武器と語る悪魔がいる。これならば、敬愛せしおじの仇を殺す事だって出来る――ルナリアの心は、その瞳と同じく燃え上がっていた。
「どうすれば、いい?」
「イメージしろ。簡単な事だ。あれを壊すイメージを思い浮かべろ」
何かを壊すという行為には小さな抵抗があった。だが、武器を得た事により生まれた怒りは、彼女のその良心を軽々と越えて破壊衝動を刺激する。絶対に赦さない――それはまさしく殺意の発現だ。
目の前の悪魔が振るう剣を模すイメージを構成する。すると浮かぶ言葉があり、彼女は無意識の内に口ずさんでいた。
「
古代聖道語で『剣』を意味する名を呼び、静寂なる聖堂の絶望を裂くように兆しの光がラグナスの右腕に同化し剣を形作る。赤く光る、太陽の剣。彼女の中にある光が怒りと混ぜ合わさり生まれた、悪魔を断つ破壊の剣。
剣など扱った事はない。刃と言えば包丁がやっとのルナリアであったが、それがどんな物かは知っている。剣は他者を傷つける物。切りつければ肉は裂かれて血が噴き出し、自身の手を穢す物。だけど今は、その手は自身ではなく悪魔の手である。
そうであるならば――躊躇はない。
「――いくよ」
敵を破壊するイメージが出来上がったルナリアの声に、ラグナスは逃げ出そうと足をもう一歩下げた悪魔に、剣を縦に構えて突撃していく。迫りくる黒騎士に動揺を覚える悪魔であったが、揺れる心よりも決断した意志の方が速度は速く、ラグナスはその姿を完全に捉えきる。
「まずは左腕を裂く――」
逃げ惑う悪魔に恐怖を与えるように、左腕を裂いた。血は溢れる事はなく、ただ闇が闇に溶けるだけで中身がない事を見出す。ラグナスの中にいるルナリアは、あれは人間ではなく、それに類する動物でもなく、悪魔という敵だと改めて認識する。
人ではないのであれば、もはや僅かな良心など必要が無かった。
「右腕を――引き裂く」
更なる恐怖を与えるために、右腕を切り裂くイメージを作り上げ、ラグナスにそのイメージを与える。左腕を失い、どうにか逃げ出そうと、黒騎士に背を向け振り返った事により無防備になった右腕を、ラグナスの左腕がガシっと掴み、強引に引き寄せる。
伸びきった右腕の根本に向けて、ラグナスの光の剣は振り下ろされる。肉体と腕は見事に分断されてしまい、右腕は光の中で焼け消えてしまった。本体は支点を失ってバランスもとれず、無様にも俯せに倒れこんでしまう。
両腕を失った悪魔は、脚をバタつかせながら仰向けになる事には成功したが、ラグナスはすぐさまにその両脚を踏み潰して、それ以上の逃走の手段を根絶する。
「……ラグナス、もっと切り裂いて」
「どれほどだ?」
「私の中にある、怒りが治まるまで」
そうか、と淡く呟いたラグナスは馬乗りになって何度も、何度もその悪魔の肉体を切り裂き、突き刺し、削ぎ落としていく。そこに慈しみなどなく、ルナリアはただ真顔で悪魔を見下ろす。いつもあったはずの、慈愛に満ちた紺碧の瞳はそこにはない。
「あなたがいるからおじ様は死んだの。私は赦さない。たとえ神様が許したとしても、私だけは赦さない。おじ様が受けた痛みも、私が感じている痛みも、全て! 全て!」
目の前の悪魔が切り刻まれていく光景を見てもなお、少女に手を止める事はない。深緋の瞳だけが悪魔を捉えている。心に刻まれた切り傷から炎が漏れ出していく。
半刻。悪魔を形成する闇が、もはや人の形を保っている事でさえやっとにまでなると、ルナリアは彼に最後の心を伝える。
「
「――あぁ」
痙攣をするような動きを見せる悪魔から足をどけた。無残な姿になった悪魔の首と呼べる場所を左手で掴みあげ、ラグナスは見上げながらニヤリと狂喜に笑む。
斬殺に、明確に、殺しのイメージを作り上げたルナリアは、その終わりを告げるように言葉を連ねた。
「我が始まりにして終わりへ導く曙光の剣……今ここに、その名を果たせ――」
ラグナスはその言葉を聞き終えて、その悪魔を前方へ突き上げて手を離す。宙を舞う悪魔は意識と呼べる物は残っておらず、ただ成されるがまま、聖堂の暗澹の闇の中を飛んだ。
右手にある光の剣が、聖堂の天井を突き破るように振り上げられた。ラグナスは全身の体重を剣に乗せるように身を翻して、剣を豪速に振り落とす。
「
光の剣は『斬撃』の意味が乗せられた言葉と共に、聖堂に眠る闇ごと悪魔を切り裂く。焼き払うように、存在を消し去るかの如く、その刃は悪魔を跡形もなく滅する。
「やった……」
その言葉は仇を取れた喜びなのか、己が残虐性を垣間見た後悔なのか。
いとも容易く裂かれ消えた悪魔に、ルナリアはやっと自身の中に溢れていた怒りを失い、ラグナスの中でそう呟く。悪魔は消え去った。この手でやった。それが果たして正解なのか、それとも間違いなのか――もはやそれを答える人はいない。
「あぁ……ぁぁぁぁぁぁッ!!」
彼女の涙を否定できる者はいない。ボロボロと落ちる大粒の涙は、ラグナスに溶けて消えていく。こんな事をしても、修道長は帰ってこないと知っているのに。
聖堂の中。響き渡る少女の嗚咽が静寂を沸かす。開かれた天井から覗く月光のみが、彼女の涙に光を照らしていた。
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