夜空を見上げて。

藤井さくら

第1話

 ――なあ、聞こえるか?


 届いてるか?俺の声。


 届いてる頃にはもう、死んでるだろうなあ、俺。


 まあ、いいや。どうせ最期だし、俺の話に付き合ってくれ。



『雪が落ちてきた』

 そんなことを感じて、気付いたら、左右を氷の壁で覆われてた。

 簡単に言えば、雪崩が俺らの隊に直撃して、俺だけがこのクレバスに落ちちまったって訳だ。


 仲間の声も聞こえず、暗闇の中、とんでもない恐怖に襲われたよ。それで、どうしようもなくなって、仲間を探しに行こうとした。

 でも、できなかった。

 肋骨がボッキボキに折れててなあ、体がビクともしねえの。

 そこで俺は悟ったよ。


 俺はもう、戻れない。

 愛する家族が待つ我が家にも、仲間の元にも。


 普通に考えれば絶望するはずが、不思議と、恐怖が無くなったんだ。

 今考えるべきこと。それは、“どう生きるか”ではなく、“どう死ぬか”。

 そこに気付いたからだと思う。

 冷静になった俺は、ふと、空を見上げた。

 空には、数え切れない星がまたたいてた。

 綺麗だった…それはもう、涙が出るほどに。


 この無数の星屑のように、俺の命の灯は儚いのだろう。


 俺は、じきに死ぬ。

 ならばせめて、世界で一番大切な者達に、何か残さなくては。

 そんな結論に至って、今こうして、ボイスレコーダーに自らの肉声を残してる。


 愛する妻が、俺を失っても、未来を照らす光を失わないように。


 もうすぐ生まれてくる息子が、父の面影を少しでも感じられるように。


 俺は今まさにこの瞬間、力を振り絞って言葉を紡いでいる。

 その熱量があまりにも強すぎてセンチメンタルになっていることは大目に見て欲しい。


 さて、これからも生き続ける君たちに、最後の最後、一つだけ伝えたいことがある。


 俺が死んでも悲しんではいけない。

 俺は登山家だ。

 山に生き、山に死ぬ。

 そんな俺を家族に持ったことを大いに誇りたまえ。

 俺は世界一の登山家!

 俺の名は――ピーッ、ガッガガッ、ピッ――――





 何度も聞いた声。何度も聞いたノイズ。

 この世に自らの存在を確かめるために放った、痛々しいほどに激しい最期の叫び。

 イヤホンを通して聞いたこの声に、何度励まされたことか。


 そしてとうとう、僕は父と同じ場所に立った。

 父が生前眺めた星空の下に。


 ここからは、父も見たことのない景色。

 でも、恐怖はない。なぜなら、この場所に愛を残してくれたから。


 ねえ、聞こえますか?


 届いてますか?僕の声。


 僕は登山家。

 山に生きる者。


 あなたの息子であることに誇りを持って、


「いってきます」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜空を見上げて。 藤井さくら @sakura22

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る