第3話 千の風になって

 その揺れに、ジョンは慌てて剣を取る。部屋の丸い小さな窓から外をのぞき込もうとしたら、窓にはぺちょとした白いものが張り付いており、なんだかとってもイカ臭い。

「こ、これは……」


『クラーケンだぁぁ!!!!!』


 外から聞こえる大声と共に、船体がまた大きく揺れた。

「やばいやばいやばいやばい!!!」

 転がりながらジョンは叫んだ。

「だから言ったのに!この季節はクラーケンの繁殖の季節なんだよ!!産卵地の上を横切っちまったんだ!」

「どうするんだ!?」

 タンっとニクキュウがジョンの肩に乗ると叫んだ。

「逃げる!」

 ジョンは部屋から飛び出した。

 甲板はすでに阿鼻叫喚の巷と化し、にゅるりとしたクラーケンの巨大なイカ足がマストに絡みついている。

「やばい」

 ジョンは毛穴という毛穴から汗が噴き出るのを感じた。

 こんだけ大きな足がすでにマストに絡みついているというのに、まだ本体が出ていないということは、相当に大きなクラーケンに違いない。

 この足の根元、つまりイカの目にあたる部分に、クラーケンはくぱあと開く口を持っており、その円形に広がる口に吸いこまれたら、もうこの世には帰ってこれない。ジョンはもうイカは食わないので、許してくださいという気持ちになった。

 また大きく船体が揺れて、叫び声とともに、数人が海に落ちた。産卵所を荒らされたクラーケンは、船を海へと引きずり込もうとしているのは明らかだった。

「どっ、どうするっ」

「俺を解放すればいい」 

 肩に乗っているニクキュウが悪魔的にささやいた。ジョンは背筋が凍りつくのを感じた。

「それは出来ない」

 一度だけ、昔の仲間が出来心でニクキュウの封印を解こうとしたことがある。あの時起きた惨劇をジョンは覚えている。そんなことをしたら、クラーケンよりも酷い災厄が降り注ぐことをジョンはよく知っていた。

「じゃあどうするんだよ!」

 ぺしぺしとニクキュウは、ジョンの頬を叩いた。

「みんな死ぬぞ!おいしく、イカのごはんにされちまうぞ!」

「まあ俺はどうせ死ぬからいいけどさ。だがしかし、こんな死に方は予定してなかった。ホビットの冒険、完、か……。俺が死んだら俺の財産はみな、恵まれない子供たちのために財団法人ユニぺスに寄付される」

「お、おお……。マジ気高いな。いや、そんなことより諦めんなよ。楽な死に方するだろ??もっと死ぬために頑張れよ!」

「なんなん?お前のその人が死ぬのをプッシュする感じなんなの?」

「あっ、ドラゴンスレーヤーさんっ」

 そこに間抜けな声がして、振り向けばダイスケがいた。ちょっと酔ってるのか足元おぼつかない。

「まじ困りますよね。クラーケンとか、こんなに船揺らされたら、ただでさえ酔ってるのに悪酔いするっていうの」

「な、なんでそんなにお前、余裕なんだよ……」

 ジョンはダイスケの余裕っぷりに呆れた。

「いや、うちの魔法使いすごいんっすよ」

「え、魔法使い?」

 くっとダイスケが親指で指した方をみれば、きいいいいいんんっと光の粒が集まっていくのが見えた。

 その光の中心をよく見れば、さっきのビッチ、いやさっきの女魔法使いが呪文を詠唱する姿があった。

『千の風よ』

 彼女がそう呟くのが聞こえた。それとともによく聞いたことがあるような、壮大な男性テノール的な音楽も聞こえてきそうなそんな詠唱だった。

『我が願いを聞き入れ、突風となって邪悪なる意思を退けよ……』

「えっ、えっ。もしかして……」

 ジョンは今度は違う意味でどっと冷や汗が出るのを感じた。

「それ、風魔法?こんな船の上で風魔法なんて使ったら……!!」

 ジョンが言い終わる前に、ごおおおおおおおおおおおおおおおっと突風が吹き荒れた。

「ばっばっかああああ!!!!?」

 荒れ狂う突風に、ジョンは掴むところもなく体が浮き吹き飛ばされた。

「うあああああああ!?」


 こうして、遥か遠くにジョンは吹き飛ばされ、どっぼんと海に落ちたのだった……。

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