第53話 王子と従者③
〈ナジィカ視点〉
従者は、一度も止まること無く森の中を進んだ。
この世の何も見たくない、何も聞きたくない、知りたくもない。空っぽのままの僕でいたいと、そんな望みが「眠りたい」という呟きとなって零れ落ちた。
それを聞いた従者は「ではゆっくり進みますね」と言った。
従者はプミラを集めて上着で包み自分のカラダ……胸の辺りに縛り付ける。それから僕を背負った。
小さいとはいえ、数が多ければそれなりの重量となるだろう。前にたくさんのプミラを抱え、後ろに子どもをひとり背負い、従者は弱音のひとつも吐かずに進んだ。
流石に息切れひとつしない、とはいかなかった。
ぽとりと、ひとつぶの汗が手の上に落ちてきた。
なぜか、それを不快に感じたりはしなかった。
日が傾きかけた頃、大きな木の
ここへ来る少し前に小さな洞穴のようなものも見つけたのだけれど、最近崩れた後があり危険だったので、そこは避けることにした。
巨木まで辿り着いた従者は、
上着を敷いてベルトにぶら下げていた筒の蓋を開けて、落ち葉のまわりに液体を撒いた。
「虫や獣の忌避剤です」
すべての虫や獣に効くわけではないので、気休めですが、と申し訳なさそうにそう言った。
それから、背の低い木の枝や、細い幹を手足やナイフで切り落としていく。
集めたそれらを巨木のまわりに重ねて並べていった。特に洞のところには念入りに。
最後に忌避剤を取り出して、巨木の回りをくるりと囲むように重ねて積んだ枝に、まんべんなく液体を撒いた。
巨木の
ポケットから取り出した石を打ち付けて火をつけた頃には、随分と辺りが暗くなっていた。
うぉぉーーん。と遠くで獣の鳴く声が聞こえた。
「ナジィカさま、こちらへ」
従者が僕の手をひいて巨木の
「落葉の中に潜ると暖かいですよ。お腹が空いたらプミラを召し上がってくださいね。夜はちょっと暗いですけど、眠ってしまえばすぐに朝になりますから」
腰に巻き付けていた布をくるくるとほどく。どうやら一枚の大きな茶色の布だったようだ。従者はそれを僕の体に巻き付けるように被せると、ひとつだけプミラを持って外へと向かった。
「落下地点からここまでの道の途中に、目印を残しています。デュッセンのおっさ……将軍なら、きっとすぐに見つけてくれるから、だから、何が聞こえても、将軍がくるまではここから出たらダメですよ」
にっこりと、不敵に、彼は笑う。
薄暗くなった、森を背に笑う。
見るものを安堵させるような、幼い外見にあまりに似合わない無敵の戦士の顔で彼は笑う。だけど、武器を取り出すその指や、外へと向かうその足が、ほんの僅かに、震えていたんだ。
「……っ」
何かが、胸の奥から込み上げてきて、だけど結局、なんのカタチにもならなくて、消えていった。
無意識に従者に向けて伸ばしかけた手が、落葉の地面に触れて、カサリと鳴った。
ガザガサと葉が擦れ合う音がして、
長い夜が、駆け足で迫ってきた。
僕が知っている『ルフナード・クレイツァー』という男の話をしよう。
小説【孤独な王に捧げる人形】に登場する彼は武芸に秀でた家系で、歴代の王族の側近を多く輩出してきたクレイツァー家の生まれだ。
僕の父、セイリオス・リヒト・サウザンバルト王の側近を勤めるアルバート・クレイツァー将軍が彼の父親だった。
アルバート将軍の息子たちは、陛下を御守りする近衛や騎士団に所属し、国の盾や王の剣と呼ばれるほどに優秀揃いだ。
その中でも末の息子は【剣王】の名をもつ父をも唸らせるほどの才を秘めた子どもだったらしい。つまり、その優秀な末の息子こそが彼『ルフナード』だ。
立って歩く前から、おもちゃの剣をもって遊ぶほどに、徹底した英才教育を施された彼は、剣はもちろん、弓や槍、棒や盾と、あらゆる武器を使いこなすらしい。
若干8歳でありながら、精鋭揃いの騎士団に混じっても遜色無い働きをしてみせた。
彼を自分や子息の側近にと望む声は貴族だけでなく、王族にも多くあったのだが、彼は『私は父と共に王を守る剣でありたい』と答えて小説の『ナジィカ』に出会うまで、誰か特定の人物に仕えることはなかった。
そんな彼が小説の『ナジィカ』に仕えたのは、彼の魂が炎の精霊王と融合したからだろうか。
いったいどこまでが神の定めたシナリオなのか……僕にそれを知るすべはない。けれど今夜、彼が生き延びる可能性が限りなく低いことだけは、誰に教わらずとも理解できた。
彼はきっと夜明けが来る前に、獣に引き裂かれて死んでしまうだろう。自分が守ろうとしている子どもが、神が生み出した死なずのバケモノだとも知らないで、彼は死ぬ。
「……無駄、死にだ」
遠くで鳴き交わしていた獣の声は、闇が深まるにつれ近づいてきて、枝や葉で隠された木の
なにも出来ない僕は、祈りの言葉も唱えない。神は僕たちを救ったりしないと、知っているからだ。
聞きたくない……僕は、両耳を掌で塞いだ。
なにも見たくないと、目を閉じる。
空っぽの僕でいたいから、頭の中でごちゃごちゃになっているモノを、必死に追い出した。
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