第39話 二度と奪わせはしない


 巨大狼の咆哮があたりに響き、体の輪郭が黒いもやのよう曖昧になったと思った次の瞬間、砕け散ったはずの片足が再生していた。


『異端の精霊か』


 巨大狼と退治するミソラさんの声が聞こえた。

 そーいえば、そこそこ距離が離れているのに、なんでこんなにハッキリと聞こえるんだろう。

 疑問に思った俺の近くで、ミソラさんの声がする。


『精霊と主の繋がりゆえに、といえばよいかのぉ。しかしどうやら余所見をしながら戦うにはちと面倒よの。さて我が君よ、この不埒ふちらモノは我が抑えておこう。危なくなったら必ず我を呼ぶように』


 必ずと念を押された。

 馬車はもうスピードで走り、巨大狼とミソラから徐々に離れていく。

 残りのハウンド・ドッグも、デュッセンさんとルフナードが倒したらしく、迫ってくる獣はいない。


「しっかり掴まってくださいよー!」


 馬車がガタガタと激しく揺れる。

 木が生い茂るのは馬車の左側だけになり、右側は開けた谷のようになっていた。

 緩やかな坂道を駆け抜け、生き延びるために必死に逃げる。


 獣の咆哮が響く。

 氷の盾が空に展開されて、真っ黒なもやの塊のようなモノを弾き返していた。


「ちっこいご主人様ー。あの青髪の麗人はご主人様の下僕ですかー?」


 サラスが叫ぶように俺に問いかけてきた。

 車輪の音が煩くて、そうしなければ聞こえないのだ。


「下僕じゃない。ミソラは守護精霊で僕の大事な家族だ」


「では、あのどでかい狼も、ご主人様の家族で?」


「あっちは知らない。僕の守護精霊は理由もなく人を傷付けたりしないもん」


 いきなり人を踏み潰そうとするような、狂暴な獣と俺の精霊を一緒にしないで。

 ま、事あるごとに、燃やそうとする困ったさんが一匹いるんだけど……俺に危害を加えない限り大丈夫です。


 結構緊迫した状況なのに、サラスの軽い雰囲気にちょっとつられた。

 もしかして、なんとかなるかも?なんて楽観的な事を思った。

 それってもしや数多の死亡フラグのひとつでした?


「サラスさん!左!」

「フィー!」


 ルフナードとデュッセンさんが同時に声を上げた。


 ほぼ真横の空から、黒い塊が砲弾のように飛んでくる。

 氷の盾がそれを弾き返したが、瞬きの間に、それは氷の内側に再生された。

 な、なに、いまの不思議な現象!


 迫り来る黒の塊。このままだと馬車に直撃する。

 てっぴちゃんが、俺を庇うように抱き締めた。


「このっ……曲がれっ!」


 馬車が直角に近い角度で向きを変える。

 馬車の真横を黒い影が走り、後輪を掠めて弾き飛ばし、木々をなぎ倒した。

 折れた木が、馬車に向かって倒れてくる。

 再び無茶な方向転換に、後輪の片方を失った馬車はよりいっそう激しく揺れ、転倒しないことが不思議なほどに傾いた。


 谷側のドアに張り付くように、体が滑る。

 そして、まるでスローモーションのように、その瞬間は訪れた。


 俺の目は、谷底に向かう空の上に、小さな体が投げ出されるのを見ていた。

 彼の真っ直ぐにのびた手が、まるで俺に差し出されたもののように思えた。


『さぁ、王子。鳥籠を出よう』


 塔の窓の前に立つ、木の枝の上。

 僅かな木漏れ日の下で、彼は俺に向けて手を差し伸べる。

 彼の目が、楽しげに細められた。

 赤い、瞳だ。

 炎の精霊の魂と交わる前から、彼の目と髪は炎を閉じ込めた色をしていた。


 赤は嫌いだ。

 私の大事な人を焼いたから。

 それでも、それがお前の持つ色ならば、私は愛せるんだよ。

 お前だけが、私の心を人にするんだ。


「あ"あ"あ"ア"ア"ぁぁぁあ」


 獣みたいに叫んでいるのが自分だとは分からなかった。

 血溜まりの中で同じように誰かが叫んでいた。


【わたしの……かた、はね……。わたしのかたはねが、遠くへいってしまう……】


 行かないでと、誰かが叫んだ。




 そこから先の出来事は、まるで夢を見ているかのようだった。


 馬車の僅かに開いた窓の隙間は、小さな体が潜り抜けるのに容易く、空に向けて飛び出した感覚は、塔から身を投げた遠い日のようだった。


 空と、谷底に広がる木々の緑が視界を埋め尽くす。

 その中心に、落下していく片羽かたはねの姿が見えた。

 幼いその顔が絶望を宿して、それから、くしゃりと歪む。

 王子、どうして?と、彼の唇が声にならない声を発した。


『どうして?』か。そんなの決まっている。

 許せないからだ。

 何度も何度も何度も!

 いつだって大事な者を奪っていく運命それが、どうしようもなく許せないからだ!


 泣き方を思い出したのも、楽しい時の笑い方も、戦場で励ます手の温もりも、死の痛みを乗り越える勇気も、すべてお前が側にいたから知ることが出来た。

 いつだってお前だけが、ケダモノのようなこの心を、ヒトに変えてくれる。

 凍えた魂を、抱き締めてくれる。


「行くな!ルフナード!!!」


 伸ばした手が熱い。

 左手のバングルが赤く輝き、はらはらと光が零れるように崩れていく。

 飛び散ったそれは赤い炎を形成し、俺の背中へと集まっていく。

 腕に巻き付いていたそれの殆どが崩れ、手の甲の真ん中に赤いぎょくを残すのみになった頃、背中に集まった光は翼を形成した。


 赤と、黒の、二枚の翼が風を斬る。

 遥か先を落ちていく、片羽かたはねのもとに追い付き、しがみついた。


 空のただ中で、視線が交わった。

 赤い目が、揺れている。

 それはメアリーを奪った、憎らしい色だ。

 床に広がった、血の花の色だ。

 昼の終わりを告げる、太陽の色だ。

 愛さずにはいられなかった、お前の色だ。


 もう、二度と奪わせるものかと、片羽かたはねを抱き締めながら、誓った。

 緑の大地に、ひとつになった影が落ちていく。

 そしてー。


『主!!』


 呼び声に引っ張られるかのように、俺の意識はそこで途絶えた。



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