第38話 敵襲

 

 悲しみも怒りも寂しさも憎しみも優しさも、愛も、私の中をすり抜けていく、とナジィカは言った。

 なにも、なにひとつ、己の心には残らないし、響かないのだと、そう言った。


【何もない。この手の中も、心の中も空っぽだ。年月を越える度に、ますます稀薄になっていく。

 私は何も持ってはいないし、これから先も一つとして私自身のモノを得ることはないだろう。お前にも、なにひとつ与えてはやれない。

 それなのにどうしてだろうな。

 お前だけは、と、そう願ってしまう私がいるんだ】


「王子さま?」


 どうか、なさいましたか?と俺を真っ直ぐ見つめてくる少年に【あぁ、彼が私の魂の片割れだ……】と、そう思う。同時に、心のどこかで違うと否定する。


「るふ」


「はい、王子さま」


【ルフ、誓ってくれ。お前はいなくなったりしないと。私が吐き出す数多くの嘘の中から、真実を見つけると、そう誓ってくれ】


 それは本の中のナジィカの願いだ。

 俺でも、俺の中にいるナジィカさんでもない、この世界には存在しない創作物つくりもののキャラクターだ。

 でも、原作のナジィカがつくりものなら、俺たちは一体?


「側に、いて」


「もちろんです、王子さま」


 無意識に形となった願いに応えて、ルフナードが俺の手をぎゅっと握りしめた。


 どうしてだろう。

 原作のナジィカは何処にもいないのに、どうしてだろう。どうして俺はルフナードに、物語のナジィカと同じことを望んだのだろう。

 なぁ、ナジィカさん?

 ひょっとして、ルフナードに一目惚れしたとか、そんなんじゃないよね?


 心の奥底に向けて語りかけても、もう一人の俺はなにも答えてくれませんでした。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 遠くの空が白んで来た頃、御者台から発せられた声に、眠気がぶっ飛んだ。


「後方!ハウンド・ドッグ、数4!」


 え?猟犬?異世界の壁を越えちゃうくらい英語がパネェのはわかったけど、なに、犬に追われてんの?


 馬車の後方を確認すると、遠くに黒い影が見える。そして耳を澄ませれば、僅かに聞こえる……気がする獣の鳴き声。

 わー……あんな遠くの存在に気づけるとか、サラスさん優秀。しかもこの人、ぶっ通しで馬車を走らせてるんですよ?


 ん。

 あれ……?

 なんか、追っかけて来てる犬の姿がだんだんハッキリしてきたんだけど、もしかして滅茶苦茶速い?それに。


「な、なんか、おっきい」


 追ってくる影が四つ。

 まだ距離はあるが、どうも俺が知っている猟犬とは別物のようです。

 大きさが、ポニーぐらいあるとか、あれはもう犬ではない。


「フィー!馬が狙いだ!」


「わかってますよー。止まっていいですかねぇ?逃げ切るのは無理なので迎撃しましょーか」


 さ、サラスさん。緊張感が感じられません。


「ちょっと、上から狙えないか試してみます」


 ルフナードが座席の下から、ボーガンみたいなモノを取り出して。矢が入った筒と一緒に背負うと、窓から外へと移動を始めた。

 ちょっ!馬車はすごいスピードで走行してんですよ!危ないから!


「るふ!」


「馬車の上から狙撃してみます。王子さま、少しだけ側を離れますね」


 ちゃんと守るからと笑って、ルフナードの小さな体が窓の外へと消えた。

 身軽ですね。身体能力の高さに惚れ惚れします。運動不足なナジィカの体の為にも、簡単に出来る筋トレを後で教えてもらおう……って呑気に見送ってる場合じゃなくね?

 あの子、まだ8歳(推定)です。

 精神だけとはいえ、高校生が子どもに守られてちゃダメだろう!


「デュッセンさん!ルフを」


「ルフナードの心配は無用です。柔な鍛え方はしておらぬゆえ。メリー殿、殿下をお頼みする」


 ああ、デュッセンさんまで!だから、馬車は高速移動中だってば!

 はらはらしながら馬車の窓に張り付いて、追いかけてくる獣を見る。

 うわっ!もうすぐそこまで迫ってきてるっ!


 食い入るように後方を見つめる俺の目が、馬車の上から飛んだであろう矢を捉える。それは一頭の胸に命中し転倒させた。


「すご」


 何度も言いますが、ルフナードはまだ8歳(推定)だからね!


 それから何本か矢が飛び、命中こそしなかったが若干の足止めにはなったようだ。しかし、獣たちはこっちの攻撃を警戒して森の中へと進路を変えた。

 木々の間を縫うように走りながら、距離を詰めてくる。スピードは落ちたようだけど、すぐに追い付かれそうだ。

 どーしよう。あいつら滅茶苦茶、頭が良いじゃん。


 そして、馬車の真横まで追い付いた一匹が、歯を剥き出しにして襲ってきた。


「ぬんっ!!」


 額の真ん中を斧らしきもので割られて、そいつは地面へと落ちる。

 今のはどうやらデュッセンさんらしい。

 デュッセンさんも規格外のようです。

 いや、でもまだ二匹いる。どーする、どーする……って、俺には心強い味方がいるじゃん!


「炎王!!」


 がむしゃらに、俺は一番信頼している相手の名前を呼んで……。

 …………。

 ………………。

 ……………………。

 こないし……。

 ちょっ!なんで来ないの!折角、俺の中のナジィカさんの反応がないのに!頭痛とか胸の痛みを覚悟して呼んだんだよ!坂谷くん勇気を出したんだぞ!それなのになんで来ねぇーんだよ!

 あれ……これって、ひょっとしてあれか、愛想つかされたってやつ?

 俺はてっきり俺サイド(本来の主であるナジィカさんの意識が炎王を拒否った等)の問題でアイツが来れないんだと思っていたのだけれど、そーじゃなくて離縁、もとい主従契約破棄とか、実家に帰らせていただきますレベルって落ち着け俺は何を言っているホント落ち着けどうしよう。


「グRrrrRロロロォオォoOO!!」


 木々を揺らす咆哮に、思わず耳を塞いだ。

 見開いた目が捉えたのは、森の木々よりも大きな狼のような獣の姿だった。


「な、なんですか、あの闇のような塊は……」


 隣で、てっぴちゃんが呆然と呟いた。

 巨大狼に向けて矢が飛ぶが、それは獣の体をすり抜けて森の中へと落ちていった。


 な、なななんなのあれ!森の主みたいは巨大生物ぅ!!つーか今までどこに潜んで居たんだよぉぉぉ!!


 

 矢も、その他の武器も、そいつの体をすり抜けて落ちるのに、巨大狼は地響きを生み出し木々を破壊して、僅か数歩で俺たちの後方まで迫った。

 獣が前足を上げる。

 巨大な影が馬車を含めた地面を、薄暗く染めた。

 あ、これ死ぬ。

 

 うん。緊急事態ーっ!!!!

 やべ!これ死ぬ!ガチ死ぬ!コメディ要素が皆無で即死する!ペチャンコになって潰されるっ!なんだよあのラスボスクラスの巨体な敵わぁ!王子さまLV0の状態でラスボス戦に挑ませるとかどんな鬼畜展開なのっ!メーデーメーデー!炎王!いや神さま仏さま炎王さまぁぁ俺が悪かったからちょっぱやで戻ってぇぇ!!


「炎王ぉぉぉぉ!!無理ならせめてミソラさんっっ!助けてぇー!!」


 巨大狼の影の下から逃れようと、馬車は傾きそうなほど無茶に走り、そんな人間の必至の抵抗を嘲笑うかのように、獣は足を踏み下ろして……。


 バシンッと木が弾け飛ぶような音が辺りに響いた。


『まったく、水の精霊の頂点に座する我を、2度も炎のわっぱの"身代わり"扱いするとはのぉ』


 俺達を踏み潰そうとしていた巨大狼の片足が、付け根まで巨大な氷に覆われていた。


『さぁて、我が君は後で仕置きをするとして、そこな精霊の端くれよ。【王】の【主】に手を出したこと、その命をもってあがなって貰うぞぇ』


 ミソラが片手をさっと振ると、氷付け片足が粉々に砕け散って、バラバラと氷の粒が地上に降りそそいだ。


 あー。うん。俺悟ったわ。

 俺の守護精霊が一番の規格外でした。

 そんな精霊に後でお仕置きされるらしい俺を、誰でも良いから助けてくれませんかね?


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