第40話 俺を呼ぶ声に導かれて


 先の見えない、奈落の底に落ちていくようなそんな感覚の中にいた。

 空も視界一杯の緑も消え去った、闇の中。

 大事な誰かを抱き締めていた気がするのに、その温もりも腕の中には無かった。

 目に見える物も、何一つとして無かった。

 空っぽの、心みたいだ。 

 何にも無い、うろのようなそれは、絶望に似ている。

 呼ぶべき相手の名前があった気がするのに、思い出せない。

 伸ばした手の感覚すら無いのに、底無しの闇へ落ちている事だけは分かった。

 ふと、死とはこんなモノなのだろうかと、そんな事を思った。

 誰の存在も思い出せずに、誰の名前を呼ぶことも出来ない、光の存在しない空間を彷徨い続けることが、俺に与えられた死なのだろうか。

 目を閉じて、考えることを止めて、誰にも呼ばれないこの場所で、永遠にー。



『主!』

 

 闇を切り裂く声が聞こえた。

 呼び声にカラダがぐんっと引っ張られた。

 深い闇の底に、赤い光が見えた。

 それに向けて俺は無意識に手を伸ばす。

 そして。


「主!」


 不意に視界が開けて、青白い光に包まれた世界に落ちた。


「うわっ……!」


 地面にぶつかる!

 ぎゅっと目を閉じると、ぼすっと誰かの腕に抱き止められて、やっと落下の感覚が止まった。

 ぎゅうっと抱き締められて、混乱した頭が状況を理解するより先に、何故だか懐かしさを感じて、安堵した。


「双子神っ!!こんな無茶をして、俺の主が消滅したらどうするつもりだ!!」


 不意に頭の上で怒声を発せられて、ビクリと肩が震えた。

 目を開き、誰かの胸に押し付けられていた顔を上げると、風に揺れる赤い髪が見えた。


「炎、王……?」


 呼び掛けると、怒声がぴたりと止まる。

 そして、よりいっそう強く抱き締められた。


「主っ。無事で良かった」


 会いたかった……などと、耳元で切々と語られて、思考が回復し始めていた俺の脳みそは、再びピタリと止まりました。

 え?なんなの一体。

 何が起きてるのでしょうか。


 炎王の肩越しに見えるのは、薄い青色の空で、立っているのか寝転んでいるのか、分からなくなった。

 落ちていく感覚は無くなったけれど、気づいてみれば足の裏がなんとも頼りない。

 地面を踏み締める感覚が無いからだ。

 あ。そーいえば俺、高いところが苦手だった気が。


「え、えええん王っ。いったん離れよう!」


 離れようと言いながらもひしりっとくっついたのは、足の裏に地面が無いせいです!いやーっ!!待って待って!お待ちになって!止めて!!今は離さないで地上におろしてまって落ちる落ちるから、ひぎゃぁぁぁ!!!


 いつかと同じように、俺は叫びました。




「主は、相変わらず軟弱だな」


 地面に両手をつき、ぜぇはぁぜぇはぁと肩を上下させて、片手で胸を押さえました。

 心臓がバクバクしすぎて苦しいです。

 俺の隣に立つ炎王は、いつぞやと同じように俺を軟弱だと言いました。

 自由に飛べるお前と一緒にするなと、俺は言い返したいです。呼吸を整えるのに必死で無理だったけどね、ちくしょー。

 それにしても、さっきまでのしおらしい態度は、どこに行ったんですかね? 

 会いたか……ごにょごにょ、とか言われて、どぎまぎした俺の、なんつーか、こう純情じゃなくって!えーと、心拍数!そう!俺の心拍数返せ!無駄に脈打っちゃっただろ!


 いや……ソレは違うだろ。空中に投げ出されたなら、誰でも心拍数あがるからね、落ち着け坂谷くん。

 別に炎王の言葉にどきど……もとい、心拍が乱されたわけではない。高所恐怖症のせいだ。そうに違いない。


 すっと俺の横に膝をついてしゃがんだ炎王に気づき、顔を向けた。

 そろり、と、壊れ物に触れるように、炎王が俺の背を撫でた。


 撫で撫で、と真剣な顔をして掌が背中をいったり来たりする。

 えっと……な、なにしてんの?


「違ったか?」


 俺の顔を見て、炎王の手の動きがぴたりと止まった。


「えっ……と?」


「人族は具合が悪い時に、背を撫でると良くなるのだろう…………違ったか?」


 真剣な顔をしてそう確認された。

 えーと……背中の手はそーゆう意味でしたか。もしかして心配してくれたの、お前。

 なんか、人族なんて下等だー、なんて言って見下してるくせに、子どものあやし方とかそーゆーのを学んでるのは、ひょっとして俺の為だったりする?

 そんなことを思うのは、自惚れですかね。


 あまりに真剣な相手に、なんだか可笑しくなって思わず笑ってしまった。


「も、平気だよ。ありがと炎王」


 礼を言うと、炎王は一瞬だけ目を見開いて驚いた顔をして、それから、花が開くみたいに、柔らかな笑みを浮かべた。


「……っ」


 いままでに見たことがある、勝ち気で、偉そうで、不敵な笑みでとはちょっと違う。

 ひょっとして目の前の彼は、炎王の偽者でしょうか?

 冷静になって考えてみると、会いたっ……ほにゃらら~なんて言われるほど、炎王の中の俺の好感度は高かったか?

 だ、ダメだ思い出せないっ。

 整った顔で至近距離でガン見されると、思考力が著しく低下するようです。恐ろしい守護精霊だっ。

 いや、ってゆーか近すぎませんか、炎王さん?そんでもって、何故に頬を撫でる?いや、だから近いって……おぃ、何故さらに近くなる、それ以上はぶつかる。


 ちゅっと、軽い音が耳朶じだに響いて思考が完全に停止した。


 額にやわっかい感覚がしたあと、次はこめかみにも同じモノが触れる。それから、頬にも……。

 えーっと、何がどーしてどーなってんの?



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