第19話 水が飲みたかった!それだけです、いや、あの、マジでごめんなさい


 空から一匹の竜が地上に向けて落ちてくる。


 真っ赤な鱗の巨大な竜だ。

 竜は雲を切り裂き風を起こした。

 彼がその気になれば、この箱庭と呼ばれる世界にある命など、残らず消し炭に変えることも可能だった。


 神々が住まう楽園から、箱庭の世界に渡ってきた竜の存在を感じ取った精霊たちは、歌い躍り偉大なる王を讃えた。


 竜は、火の眷属の頂点に立つ、王だった。


 そして炎の竜は全身から光を放ち、瞬く間にその姿を消した。

 残光の中から現れ、そびえ立つ塔の上に降り立った一人の男。

 燃えるような赤い眼と髪を持つ男だ。

 その男の手の中に、俺は抱かれていた。

 

 俺は男の手の中から小さな世界を見渡した。

 

 遥か空の彼方を行く鳥の羽ばたきも、街角に立つ女の唇の赤も、靴底に潰される小さな羽虫の最期おわりまで、全てを知ることが出来た。


 赤い髪の男は眼下に広がる街並みを一瞥し、つまらなそうに視線をそらして、建物の中へと侵入する。


呪師まじないしさま・祈祷師さまがお見えです!」


「清潔な布と湯は足りているか!」


「もう直ぐお産まれになります!」


 俺たちの側を、何人もの女たちが慌ただしく駆け抜けていく。


 その後を彼はゆっくりと追った。 


 辿りついた部屋の中。ベッドの上で、女がひとり、叫んでいた。

 痛みを和らげるために焚かれた香の煙が、部屋の中にたちこめている。

 大きく膨らんだ女の腹を見ながら、男は呟いた。


『お前が俺の主となるべき器か』


 炎のような見た目とは裏腹に、氷のように冷たい声音だった。

 彼は女に歩み寄りながらふっと掌を開いた。そこにあったのは真っ白でまるい、原始の光。

 そうだ、それが俺だ。

 

『さぁ、主殿。艶やかに現世げんせに現れよ』


 そして彼は俺を、女の腹に押し付けた。

 女の悲痛な叫びが木霊する。


 それを聞き流しながら、艶やかとはどんな感じだろうと、そんな事を考えていた。


 男の赤い髪がちらちらと揺れる。

 燃え盛る太陽のようなその色に、ならば銀にしようかと、そう思った。


 これからどんな運命が待ち受けていたとしても、数多の道のどれを歩んだとしても、彼だけは最期まで俺の側にいるのだろう。


 ならば、銀にしようか。

 赤の側で映えるような。

 太陽の対となるような。

 冷たく静かな月の銀色。

 一滴ひとしずくの青を混ぜた、銀色にしよう。


 止めて!と女が悲鳴をあげて、俺は全てを見渡すことが出来た両目をゆっくりと閉じ、ひとときの眠りについた。



◇◆◇◆◇◆◇



「……うぅっ」


 息苦しい……。

 よく覚えていないけれど、なんだか嫌な夢を見ていた気がする。


 そのせいかな、寝汗をかいて、気持ち悪いぃー……つーか、なんか、ビショビショじゃね?


「あ、つい……」


 目覚めの一言はそんなでした。

 だってね、気持ち悪いを通り越してビックリするぐらい全身ぐっしょぐしょだったんだよ、汗で。

 こんなに水分でて大丈夫なの?って心配になるレベルっすよ。


「……おい、なんの苦行だ、これ」


 案の定、体に熱がこもって頭が痛い。

 思考が鈍くて、意識がヤバイ。

 それから、吐き気とめまいにも襲われました。

 脱水症状だ。

 何てことだろう、味方だと思っていた守護精霊に殺されかけるとは……。


 暖炉の前で毛布にぐるぐるまきにされて、炎王に抱えられた状態です。

 お前の優しさが今は辛い。

 そしてなにより水が恋しい。


 テーブルの上の水差しを取るように炎王に頼もうとして……あー、そーいやコイツが触ったら消し炭になるんだっけ?と気づく。

 仕方なく起き上がろうとするが、身体に力が入らず、鈍った頭でやべぇなコレと危機感を感じた。


 俺の守護精霊は『なんだ、また寝るのか?』なんて呑気なモノだ。


「み、ず」


 水が飲みたいんだよ。

 人間は水が無かったら死んじゃうんだぞ。

 ああ、暑い、喉が渇いた……水が欲しい。プール一杯分くらいの水が欲しい。あー、ここに、水の精霊がいたら、思う存分、水が飲めるのに。


『水が欲しいのか?ならば……』


 水の精霊がいたら……思う存分……。


「氷、王……」


 双子神の涙から生まれた君。

 俺に力を貸して……。



『主!』


 ぽたりと、一粒の雨が頬へとあたり。


「ぎゃぁぁぁ!」

「な、なんで水がっ……!」

「王子っ!」


 ざばーん、と大量の水が部屋の中に落ちてきて、窓やドアをぶち壊しながら階下へと流れていった。


 な、なんか、兵士さんたちの悲鳴が聞こえた気がするけど……気のせいかな。


「……」


『……』


 俺は炎王の冷たい視線攻撃を、炎王の腕の中で受けながら縮こまりました。

 炎王が防御壁を展開してくれたので、俺は濡れ鼠になったくらいで、得に怪我なんかはしてません。


『……主どの?』


 おおうっ!

 主"殿"っていわれたー!

 とうしてでしょう?その呼び方の方が威圧感パネェのは?

 炎王の赤い目の中で、炎が揺れてる気がしますよ。

 めまい?

 そんなもん、恐怖でぶっとんださ!


「いやっあのね、み、水が飲みたかっただけで、こ、こんなつもりは」


『俺と言うものがありながら、他の精霊に頼るとはどういうつもりだ!』


 そうだよね!本当に考え無しだった!下手すりゃ大惨事だもんね、マジで申し訳ない……って、んん?

 あれ、炎王。なんか怒るとこ違くね?


『ははは!これはまた随分と珍しいモノが見れたの』


「……っ!」


 不意に頭上で笑い声が起こり、視線をそっちに移動させた。


 そこに、髪の長い一人の男がいた。

 宗教画の天使が着てるみたいな白い布の服を纏い、空中に腰掛けるように足を組んで、こっちを見下ろして笑っていた。


 とんでもなく美形なんですけど、炎王といい時の精霊といい、みんな顔面偏差値高すぎません?

 因みに三人の中で一番見た目が精霊っぽいのはこの男かもしれない。


 男の髪の色は青だ。

 ファンタジーはなはだしい色なのに、違和感がなくて、逆に懐かしささえ感じた。


 それは雲ひとつない晴れの日の記憶。

 晴天を見上げたのは前世の俺だろう。狭い鳥籠の世界に生きるナジィカは、視界一杯の青なんて見たことがない。

 この塔からだと、木々の間に僅かに見えるだけだ。

 僅かに見えるの色だ。


 それは美しい空の色。

 晴れ渡る日の、その優しい色をなんと呼べば良いのか。 

 みそら?……ときたら、ひばり、しか思い浮かばねえ。ダメじゃん、俺。


『はっ、ははははははは!水を司る我に空と空を飛ぶ鳥の名を授けるか?面白い幼子よの!』


 は?

 え?え?なんで爆笑してんのあの人。

 ってゆーか、なんか名前を授けるとか、スゴく嫌な予感が。


『主……』


 ……見ないよ。

 俺は絶対そっちを見ないからね。

 

 炎の精霊なのに、何故だか冷気を感じさせる守護精霊から、全力で視線をそらしました。

 出来れば、その腕の中からも逃れて、安全地帯に避難したいです。

 ごそごそとミノムシ状態の毛布から脱出しようと試みる。


いぞ。ならば其方そなたに仕える間、我はミソラと名乗ろうか』


 軽快なその声にびしりと空気に亀裂が入った気がしました。


「王子!ご無事ですか!」


 ぶっ壊れた入り口の前に、武装した兵士と門番とアルバートさんが走ってきた。

 みなさんずぶ濡れな上息切れをしております。

 ああ……逃げ道か塞がった……。


『おや。塔の一番下まで水で流してやったがもう登って来たかえ。どうする我が君よ?邪魔ならば再び流そうかの?』


 もちろん、何処かのあほうと違って、我は主の知己に怪我など負わせぬよ?と、晴れやかに男は笑った。

 

『このっ!水のっ!俺の主に気安く近づくな!!』


『おやおや、もはや我の主でもあろうてな、炎のわっぱ。これこれそんなに強く押さえつけるな、我が君が潰れてしまうぞぇ?』


『五月蝿い、そんなヘマなどするか!それ以上近寄るな!これは主だ!』


『物分かりの悪ぃ童よの』


 部屋の中ではふたりの精霊が言い合いをしてるし、部屋の前には武装した兵士が押し寄せるしで……どうしたら良いのか坂谷くんには分かりません。


「うん。きっとこれは夢だ……寝よう」


 俺は、目と耳を塞いで現実逃避しました。


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