番外編・炎王のご主人さま〈炎王視点〉
「炎王……」
風の精霊を呼び出し、空気の浄化を行っていると不意に主に呼ばれた。
『呼んだか』
すぐに主のもとへと参じた。
ヒトの器を有するとはいえ、その魂は偉大であり高貴なるモノだ。
ヒト相手に頭を垂れるなど例え消滅したとしてもごめんだが、この主だけは別だった。
双子神がそう望むからだ。
文字通り世界の全てを創った双子神が、俺にヒトの主の守護を望むならば、俺は神の意思に従おう。
小さな俺の主は、銀色の瞳を見開いて驚いた顔をした。
それから、何故だか眉をひそめる。
『主、どうした。足が痛むのか?』
高潔なのはその魂だけで、愚かしく弱い生き物だ。
ちっぽけで虫けらのようであっても仕方がない。主の器はヒトなのだから。
小さな主の体を抱き上げた。
ほんの少し、力を込めれば粉々に砕けて壊れそうなほどに脆い、ヒトの器。
実はこれでもかなり気を遣ってはいるのだ。
主に合わせてヒトガタを模してはいるが、俺の本体は炎の竜だ。
ほんの少し力加減を間違えただけで、主の器は簡単に壊れてしまうだろう。
軟弱であっても俺の主であるならば、炎に焼かれることは無いだろうが、間違って捻り潰してしまったら大変だ。
主に触れるときは、とても気を遣う。
神の園に咲く、薄い水晶の花弁を
『疲れたのか。少し休め。お前の眠りは俺が守ろう』
肯定なのか、否定なのか。
ふるふると左右に頭を振ったあと、主は小さな掌で必死にしがみついてくる。
頭部をもぎ取らないように気を付けながら、その頭を撫でた。
ヒトの親は、幼子の頭を撫でるらしい。
それから……あの女は他にどんなことをしていただろうか。
【……王子、王子。いい子ですね、私のナジィカ王子。
ねんねこよ。ねんねこよ】
幼い主を腕に抱き、背中をぽんぽんと叩きながら女は歌った。
数年前の記憶だ。
まだ、満足に歩けもしない主を腕に抱いて、暖炉の前に座った女は静かに歌った。
夜の寒さから幼子を守るかのように、優しく触れる女の手。
そして数年後、女はその手で主を殺めようとした。
『やはり……間違いではなかった』
壊さないように、慎重に、小さな背中を軽く撫でるように叩いた。
いつしか主は、すぅすぅと僅かな寝息を漏らしながら眠った。
腕の中のあたたかな体温を感じながら、間違ってはいなかった、とそう思う。
あの女を燃やしつくしたことは、間違いではなかった。
正しい選択だったのだ。
『そうだ、双子神が間違うはずがない』
神の国から連れて来た魂が精霊の声も聞こえず姿も見えぬ者だと知ったときは、流石に何かの手違いだろうかと内心焦りもしたが、おそらく全ては神の采配通りであったのだろう。
ヒトに裏切られた主ならば、やがて気づくだろう。この地に蔓延るヒトが、どれ程に愚かで害悪であるか、自ずと知ることになるだろう。
「あ……あにうえ」
時の精霊の背後に隠れた下等種が、怯えを含んだ声音で俺の主を呼んだ。
俺の主がソレを背に庇った時の腹立たしさを思い出し、更には窓から飛び出した時の腹の底が重くなるような、なんとも言えない不快感が甦った。
主にソレを傷つけるなと命じられていなければ、とっくに消し炭に変えていただろう。
『時の精霊。ソレを二度と俺の主に近付けるな』
返事は待たずに主を抱いたまま、割れた窓を目掛けて飛ぶ。
ようやく邪魔者が居なくなった。
部屋の中はガラスの欠片や石や小枝が散乱し、蹴破った扉は粉々で、随分と風通しが良くなっていた。
ひ弱な主は、夜になると風邪を引くかもしないな。
『俺が守らねば』
暖炉に向けて指を鳴らし炎を生み出した。
燃料など無くても、火を灯し続けることなど容易い。
『この程度では足りぬだろうか?』
ヒトの器が軟弱なことは知ってはいるが、程度がわからぬ。
それに、神の国と箱庭では、感覚が違いすぎて暑さも寒さも曖昧にしか感じない。
唯一、腕の中の幼子の体温だけは、確かに"あたたかい"のだと感じることが出来た。
知らず、唇の端が笑みを浮かべ。
「メアリー……あったかい、ね」
主の寝言を聞いて『あ"?』と信じられないような低い声が漏れた。
俺の腕の中で、安心しきった顔をして眠って、間抜けな寝息の合間に呼ぶのが乳母の名前、だと?
俺が側にいるのに……どうして俺以外の誰かを呼ぶんだ。
すぷぷーと可笑しな音をたてる鼻を、きゅと摘まんでやる。
数秒でむむっと眉間に皺を寄せ、ぱくぱくと口を動かし始めた。
餌をねだる雛のように見えて、鼻を摘まむのを止めて唇を指先で撫でた。
『……ふっ』
あむあむと必死に指に食いついてくる姿は、間抜けで可笑しい。
腹の底で渦巻いていた何かが、呆気なく飛散する。
俺以外の精霊に頼ったことも、寝言で乳母の名を呼んだことも、許してやろうかという、そんな気分になった。
「へくちっ」とこれまた可笑しなくしゃみをして、それでも目を覚まさない主を見下ろし、ふっと息を吐いた。
『仕方がない。軟弱な主のために、柔らかな寝床でも用意してやるか』
仕方がないだろう。これは虫けらのようにか弱いヒトの器を持った主なのだ。
優しく優しく、触れなければ。
そっと、小さな体を抱き寄せる。
トクトクと脈打つ心音に耳を傾けて、僅かな時間、両目を閉じた。
◆◇◆◇
そして、汗だくになりながら目覚めた少年に『部屋が暑すぎるんだけど、なんの苦行だ?』と責められた精霊が『解せぬ』と首を傾げるのは、僅か数時間後の話である。
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