第3話 5歳の僕の本音


 王さまも僕が憎いですか?



 俺の問い掛けにゆっくりと振り返った王さまは、驚いたように目を見開いていた。


「私がお前を?どうして、そんなことをっ。そんなハズがないだろう」


 困惑する王さまの顔に、声音に、そして言葉に、俺はホッと息を吐き出した。

 王さまの気持ちは小説を読んで知っていたけれど、ナジィカは不安で仕方なかったんだ。

 父親にさえ憎まれて、疎まれているなんて、僅か5歳の幼子には……いや、幾つになってもそんな現実で生きることは辛くて悲しいだろう。


 安堵と同時に、涙が決壊する。

 ふぇぇん、と声をあげて、ナジィカは泣いた。


 ナジィカは物心ついてから、泣いたことなど数える程もなかった。

 塔の上の鳥籠のような小さな世界には、ナジィカと少しの本とメアリーだけが存在していて、それしか知らない彼は、それだけで満足だった。

 時折、僅かな時間、訪ねてくる父親は、新しい本を彼に与えてくれた。

 もっと会いたかったのは本当だけど『王さまはとても御忙しい方なので、あまりワガママを言っては困らせてしまいますよ』とメアリーが言うのでナジィカは我慢した。


 だって必ず来てくれるから。

 新しい本を持って、ちちうえは会いに来てくれるから。

 頭を撫でてくれるから。


「ナジィカ、ナジィカ?誰がお前にそんな酷いことを言ったんだ。お前に憎まれこそすれ、私がお前を憎むことなどあるハズがないだろう」


 泣きじゃくるナジィカを抱き締めながら王さまはハッキリそう言った。

 バカ野郎!最初からハッキリそう言っとけよな、バカ親父!と心の何処かで王さまを罵倒しながら、俺は父上の肩に額を押し付けた。


「ぼっ僕はの、呪われてるから……僕に近づくと、みんな不幸になり……ます。だから、みんな僕が怖くて嫌いで、ちちうえも、僕に近づいたら不幸になって、だからっ」


 ひっく、としゃくりあげながら、ナジィカは言葉を紡ぐ。

 幼いナジィカが言えなかった本音、

 知りたかった真実。


 解り合えないまま、たがえてしまった、父と息子の道。


 うん、俺は全力で自分の運命に抗いますよ。

 5歳の息子おれから折れてやるから、親父おうさまも頑張れ。


「だから、私を遠ざけようとしたのか?バカな子だ……いや、私のせいだな。私の言葉が足らないせいで、私の力が及ばぬせいで、お前を苦しめた。頼りない父を許してくれ」


 王さまの湿った声に、心が震える。

 肩口に王さまの後ろを見ると、門番の若い兵士が二人、半分開いた扉から部屋を覗いて貰い泣きをしていた。


 王さまが連れていた護衛のガタイの良い大男は男泣き。

 もう一人の長身の美丈夫が、微笑まし気な目をして俺たちを見ていた。


 ぎゅっと痛いくらい抱き締められて、温かなモノで心が満たされていく。

 ナジィカは世界の全てだった乳母に裏切られたけれど、父親を無くす事はなかった。


「愛しているよ、息子よ」


 メアリーを亡くしたのはとても悲しいし、彼女に殺されかけたことや、俺が彼女の命を奪う要因になった事実は変えられない。

 今夜の出来事は、心に深く残る傷跡となるだろう。

 それを消すのは難しい。

 だけど、あたたかな何かで、そっと包んで癒すことは出来ると思う。


 彼女ともっと話してみたかったな、と俺は思った。

 5年間も育ててくれた乳母のことを、俺は良く知らなかったのだと、亡くしてから気づいた。

 どうして、ナジィカを殺したいほどに憎んだのか。

 笑ってくれたのも、抱き締めてくれたのも、交わした言葉も、その全てが偽りだったのかな。

 知らなかった、知ろうとしなかった。

 苦悩も、迷いも、見ようとさえしなかった。

 

 だって、側にいることが当たり前だったから。

 

 王さまの腕に抱かれながら、今度こそ間違えないでおこう、とそう心に誓った。

 あたたかな腕を失うのは、一度で十分だ。



 泣きつかれて眠った後、窓から差し込む光が眩しくて目覚めると、ベッドの側に王さまがいて俺は驚いた。


「王さま、まだいたのですか?」


 目を覚ました俺を見てぱあっと顔を明るくさせた直後、俺の問い掛けに目に見えて落ち込むおっさん……って言っても10数人も子どもがいるようには見えないくらい若いんだけどな。

 王さまの表情が段々暗くなるのを見た俺は『ヤベェ折角関係修復してんのに』っと内心慌てて「王さまはお仕事がたくさんあって忙しいから、僕の事で煩わせてはいけないと思って」と言い繕った。


 王さまは少しだけ寂しげに笑って、俺の頭を優しく撫でた。


「煩わしいと思ったことなど一度もないよ。顔を見るたびにお前が不憫で、憎まれやしないかと不安ではあったが」


 いつもいつも会いに来る度に、腫れ物を触るようにナジィカの頭を撫でた王さま。

 何処かよそよそしい雰囲気だったのは、王さまも不安で迷っていたからか……。


「王さまをお恨みしたことは、いちどもありません。いつも本を持ってきてくれて僕の頭を撫でてくれるのが嬉しかったから、次はいつ会えるんだろうって、楽しみにしてました」


 今まで伝える事が出来なかった本音を、王さまに伝える。

 勿論、物凄く恥ずかしくはあるが、対話が少なすぎて擦れ違う未来を知っているだけに、本音を押し込めるのは得策ではないと俺は判断しましたです、はい。


 まぁ、内心では『いぎゃぁぁ!この年になってお父様大好きって伝えるのはちょー難易度高ぇーよぉぉぉぉぉ!5歳児だけど!同時に15歳でもあるですぅぅ』とじたばたしておりますけどね!

 ぶっちゃけ頭撫でられんのも、嬉しい半分恥ずかしい半分!

 父上格好いいと思うと同時にイケメン爆せろ畜生め!と思っているのも本当です。

 男の嫉妬は醜いのです。


 息子の言葉に悲しげだった表情は何処へやら。「そ、そうか」と、嬉しそうに口許を歪めながら、わしゃわしゃと俺の白銀の髪をかき混ぜた。


 背景に花畑の幻影が見えるほど機嫌が良くなった王さまを見て、父上って結構可愛いんだな、と思ったことは永遠に秘密です。



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