13話 嫉妬

 僕は痛いほど喉をごくりと鳴らした。

 まくった裾から覗くのは、智羽の綺麗な白いふともも。やばい、ドクドクいってきた。

 再び数日前の光景が頭に浮かび、それと同時に五感まで戻ってくる。あのとき感じた湿度の高い空気と、鼻につく匂い。


 これ以上進むのはやばい。引き返すなら今しかない!


「変なこと言うなよ。これ以上は冗談じゃ済まなくなるぞ」

「冗談じゃ済まないとどうなるの?」


 どうなるの!? 僕だって知らないよ! そういう言い回しなんだから、そんなこと聞かないで欲しい。


「だ、第一風呂に入ったばかりじゃないか。あまり僕をからかわないでくれ」

「結構気持ち悪かったから、いつもと違うことをすれば気が紛れるかなって思ったんだよ」


 僕の気持ちを掻き乱してどうするんだよ!

 だけどよかった。本気じゃなかったってことだよね? 全く、無駄に心臓が働いちゃったじゃないか。


「……あ、やっぱ駄目だ。お兄ちゃん、体持ち上げて。あと袋」

「ま、待ってろ!」


 智羽の上半身を起こして僕の体に寄りかからせて支え、袋を口へ当てつつ背中をさする。辛そうな智羽を見ているとさっきまでのもやもやした気持ちは吹き飛び、家族としての心配と不安に切り替わった。


「うぎゅぅ」

「ほら、水で口の中一度濯いで。もう一度薬飲もうか」

「はぁ、はぁ……」


 呼吸が荒い。本当に数日で治るのか不安でしかたない。

 だけどここで僕が弱気な顔を見せてはいけない。智羽を元気付けてやらないと。


「まったく。変なことをした甲斐がなかったな」

「ほんとだね。私、結構頑張ったんだけどなぁ」

「結局僕がドキマギしただけじゃないか」

「私だってドッキドキだったよ。多分そのせいでもどしちゃったのかもね」


 完全なやり損じゃないか。

 ……おや?


「それってひょっとして、僕のことが気持ち悪いからってことじゃないよね?」

「まさか。お兄ちゃんのことはちゃんと好きだよ」


 それならよし。もし僕のことを気持ち悪いと思っていて、それを我慢してたから吐いたとか妹に言われたら数日立ち直れなかったかもしれない。


 そんな会話をしていたところ、部屋のドアがノックされた。戸渡さんが戻って来たのかな。

 開けてみると案の定だ。ちゃんと私服に着替えている。短パンとトレーナーで動きやすい恰好だ。


「おかえり。思ったより時間がかかったね」

「うぅ、もっとうちが近ければよかったのに……ってただいま!? やぁん」


 戸渡さんは頬に手を当てぐねぐねしはじめた。

 そういえば戸渡さんってどこに住んでいるんだろう。

 でもきっと急いでくれたんだろうな。申し訳ない。


「智羽は今吐いたばかりでぐったりしてるから、放っておいてあげてね」

「あっうん。大人しくしてる」


 戸渡さんは不思議な踊りをやめ口を閉じ、代わりになにかを買ってきたのかビニール袋をごそごそした。

 そしていくつか品物を出し、小声で話しかけてくる。


「これ、経口補水液。吸収率が凄くいいんだって。あとこっちはペットシート。吸水率がいいみたい」


 効果は一見似ていそうだけど全く異なるものだ。だけど両方ともとても助かる。ありがたく使わせてもらおう。


「……えっと、ちょっと上着脱がさせてもらうね。走ってきたら暑くて」

「わざわざ急いでくれてありがとう」


 戸渡さんがトレーナーのファスナーを開放させると、中に含んでいた湿気が出てきた。

 ……下はタンクトップか。胸が大きいから目のやり場に困る。


「うー、戸渡先輩。殺兄剤なら棚の上にありますから」


 ぐったりしていた智羽が、棚にある制汗スプレーを指さした。


「さっきょうざい?」

「殺虫剤のお兄ちゃん版です。それを腋に吹けば舐められずに済みますよ」

「おい智羽!」


 なんてことを言うんだ。いらぬ誤解を受けてしまう。ほら、戸渡さんが唖然とした顔で僕を見てる。


「大磯君……」

「誤解だよ! あれはほら、狂ってたときの志郎に無理やりやらされて……」

「そ、そうだよね! そうじゃなかったらやるはずないもんね!」


 よかった。戸渡さんはちゃんと信じてくれる。そして智羽は何故かつまらなそうな顔をしていた。


「なんでそう僕を貶めることを言うんだよ」

「お兄ちゃん、さっきどこ見てたの?」


 聞かないで! ぐったりしてると思ったら、しっかりと監視されていた。

 だけど智羽ってこんなに僕や僕の友人とかをじっくり見ているような子だったっけ?

 ……女子が来るのは初めてだったか。やっぱり何年も一緒にいたってわからないことはあるものだ。


「お前が壊滅的にかわいくないって言ってたポニーテールの妖精うなっじーのロゴが入ってたんだよ」

「えっ、嘘っ」


 智羽はそれを見ようと勢いよく上半身を持ち上げ、目がくらんでまたベッドへ倒れ込み唸りはじめた。僕をはめようとするからお仕置きだ。


「辛いよぅ」

「なるべく頭を動かさないようにしろよ」


 軽く扇いでやる。あまり変わらないだろうが、少しは気が紛れるだろう。


「私もお兄ちゃん、欲しかったなぁ」


 戸渡さんが呟くように言う。


「ひとりっ子なの?」

「弟がいるんだけどね、小生意気でどうしようもないのよ」


 そうなのか。小生意気ねぇ。なんとなく想像できる。


「姉弟仲良くないのかな」

「もう最悪。智羽ちゃんみたいにかわいい妹だったらよかったのに」


 戸渡さんは笑っているけど、隣の芝は青く見えるって言うし、よく見えてるだけなんじゃないかな。

 だって実際智羽だって……だって……うむぅ、智羽で苦労した覚えがない。

 今の状況は大変だが、もとを正せば僕が悪い。自業自得に智羽を巻き込んでしまっているという最悪な状態だ。


「戸渡先輩」

「どうしたの?」

「そんなこと言ってもお兄ちゃんはあげないよ」

「え……ち、違うよ! そういうつもりで言ったんじゃなくって!」

「じゃあいらないの?」

「欲しいけどそれと智羽ちゃんのこととは別問題で……」

「……欲しいんだ?」

「……ぴゃああああああああぁぁ!!!」


 戸渡さんは顔を両手で覆いしゃがみ込んでしまった。


「お兄ちゃん、戸渡先輩って面白い人だね」


 青白い顔で智羽がいやらしい笑みを浮かべる。

 

 妹が、僕の知らない妹になっていく。

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