11話 休みの間

 ああ酷い目にあった。手桶って軽いくせに当たると痛いことを知った。

 しかし何故か智羽が戸渡さんに対して絡むなぁ。物理的に絡んでいるわけじゃなく……物理的に絡んでたけど、あれは絡まっていたって感じだったし、そういう絡むじゃなくて、ええっと、駄目だ落ち着かない。

 だけどまた壁に耳を付けるわけにはいかない。耳と吸盤の基本構造は一緒だということがよくわかったし。

 これは物理的にそうだという話であり、決して僕が聞きたくて離れられなかったわけじゃないんだ。


 ……誰に言い訳してるんだ僕は。

 だけど気になる。中で一体なにが行われているのか。いや、どんな会話がなされているのか。

 普通の話だったら別に聞こうと思わない。だけどきっと僕の話をしているに違いない。なにせふたりの共通点は僕しかないからだ。


 よし聞こう。ここでストレスを溜めて僕まで同じことになったら大変だ。これは智羽のためでもある。


「あ、あの、終わったよ」

「お、ううぅ」


 扉を開けて制服姿の戸渡さんが出てきた。ちょっと気まずいのは戸渡さんも同じらしく、目を合わせられない。

 それはそうとして、どうやら躊躇う時間が長すぎたようだ。だけどこれでいいんだ。僕は心が落ち着かないせいで血迷っていたみたいだし。


 脱衣所には智羽が着替えさせられ、頭にタオルを巻いた状態で壁にもたれかかっていた。


「どうだ?」

「さっぱりしたよ。やっぱり毎日入らないと」


 これで少しは気分がよくなればいいな。




「よっと、大丈夫か?」

「うん、ありがとう」


 再び智羽を背負い部屋まで戻り、ベッドへ乗せる。すると智羽はぐらんぐらんと頭を体ごと振り、ばたりと倒れた。


「うー……気持ち悪い」


 部屋へ戻る前に酔い止めを飲ませたが効くまでに少し時間がある。それまでに吐かなければいいけど。


「それじゃ大磯君。私、一度出るね」

「ああうんありがとう……って、一度?」

「着替えとか持ってこないといけないかなって」


 ひょっとして泊まる気なのかな。

 そういえば僕の代わりに見てくれるから寝てていいっていう話だったっけ。


 これは非常にまずい。もし志郎にバレたら……そうだ、志郎だ。


「戸渡さん、昨日今日の志郎、どうだった?」

「えっ? 音形? なんかあちこちに謝ってたよ」


 そっか、もう治まってたか。よかった。


「でもさ、大磯君はなんで音形なんかと友達なの? スケベな変態じゃない」

「そういうこと言わないでやってくれ。あいつもそれで悩んでるんだから」

「うぇ?」


 そうだ。あいつのあれは病気なんだ。医者からも見捨てられ、治るかどうかもわからない。あまりにも特殊なケースで難病指定にすらならない。




「────先天性発情症候群?」

「うん」


 戸渡さんなら大丈夫だろうと思い、話してみた。

 いわゆる先祖返りの一種だ。人間が理性を手に入れる前、獣だったころの状態が蘇るというやつ。あいつの場合、それが発情というもので現れている。

 だけど年に1回だし数日から1週間くらいで治まるから、いつも僕か竜一がフォローすることにしている。あれさえなければ根はいいやつなんだ。

 その間の志郎は精神的に落ち着きがなく、性格が荒れて言葉が悪くなる。だから僕らもそれに合わせて志郎に口悪く文句を言う。治まったときあいつが自己嫌悪に陥らないよう、お互い様ということにするためだ。


「ちょっと……というか、かなり誤解してたよ。ごめん」

「そう言ってもらえればあいつも喜ぶと思うよ。だけどあまり広めないでね。奇異の目で見られるかもしれないから」

「わかってる。私と大磯君だけの秘密……だよねっ」


 戸渡さんが味方になってくれれば、あいつもかなり楽だろう。クラスの女子を敵に回さなくて済む。


「それ私も知ってるんです」

「えっ!? あ、智羽ちゃん。そ、そうだよね」


 志郎は僕の幼馴染なんだから、智羽も当然昔からあいつを知っている。とはいえ一緒に遊んでいたとかそういうわけじゃない。智羽は自分の友達と遊んでいたし。


「じゃ、じゃあちょっとだけ実家に行ってすぐ帰って来るから!」

「あ、うんいってらっしゃい」


 戸渡さんは忙しなく帰って行った。


「お兄ちゃん。戸渡さんって面白いね」

「うん……なんか学校とキャラ違うから少し戸惑ってるけど」

「それはそうだよ」

「なんでだよ」

「まぁ、お兄ちゃんにはまだ私が必要ってことかな」

「更になんでだよ」


 人聞きの悪い言い方をすると、僕は別に智羽を必要としていない。いなければいないで生活はできる。

 だからといってもちろん智羽がいらないという話にはならない。家族ってそういうものじゃないのかな。


「それでお兄ちゃんはさ、戸渡さんのこと、好き?」

「なんで突然そんなこと!?」


 戸渡さんはただのクラスメイトだ。いつも色々と助けてくれたり、気を使ってくれるから普通に好意はある。

 だけど智羽が聞いている好きはそういうことじゃないだろう。恋愛とかのことだ。


「だって戸渡さん、お兄ちゃんのことメチャクチャ好きだし」

「そんなことはないだろ。本人から聞いたわけじゃないだろうし」

「見てればわかるよ。メチャクチャ好きっていうのだって控えめな言い方なくらいだから。極ラブだよ」

「極ラブ!?」


 碁クラブの聞き間違い……じゃないだろうなさすがに。どんな話のすり替わりだよ。


「根拠はあるのか? 思い付きで言ったら失礼になるぞ」

「だから見てればわかるんだって。逆に気付かないお兄ちゃんのほうが異常だよ」


 妹に異常扱いされてしまった。

 だけど智羽が気付いて僕が気付かないということがあるのか。女同士だからわかるというやつかな。

 ……だとしたら、やっぱり僕と智羽は違う人間だってことだよな。

 

 だんだん、僕の中から妹の存在が剥離していく。

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