10話 ロングビーチ

「えー、あー……こほん」


 バタバタしていた戸渡さんが急に落ち着きを取り戻した。感情の変化が激しい子だ。

 そして今度は智羽をじろじろと見る。


「ねえ大磯君」

「なに?」

「智羽ちゃん、お風呂入れてあげたいなーって」


 風呂? そんな状況じゃないと思うんだけど、どうなんだ。


「流石ですね戸渡先輩」

「えっ? あ……」


 智羽の言葉で寂しげな顔をして力なく手を前へ出す戸渡さん。なにかおかしかったのだろうか。


「智羽、入りたかったのか?」

「そりゃ入りたいよ」


 言いかけてたのはこれだったのかな。確かに言い辛いことだ。流石にこの歳で一緒に入ったりしないし、なにより重労働だ。短時間──階段の昇り降りくらいは背負ってできるけど、人を洗うだけの体力が果たして残っているかどうか。


「わかった。戸渡さん、申し訳ないけど任せていいかな」

「うん、もちろん! じゃあ着替えを用意しないと」

「それなら向こうの棚だよ。ワンピースみたいなやつがいいらしい」

「んー、じゃあこれだね。下着は?」

「立って脱げないらしいからつけてないよ」

「えぇっ!?」


 戸渡さんは信じられないと言いたげな顔をした。普通に考えたら露出狂かそういう部族の人、或いは派閥の人だもんな。でも今回は仕方ないんだ。



 流石に背負って階段の昇り降りは任せられないから僕が智羽を背負い、風呂場まで連れて行く。


「ここからは私が代わるね」

「うん、頼んだ」


 戸渡さんは結構力があるっぽいから任せても平気だろう。とはいえいつでも助けに行けるよう、ドアの前で待機していないと。


「わっ、お風呂広いね」

「私もこのお風呂気に入ってるんですよ」

「いいなぁ……っと、座っていられる?」

「寄りかからないと無理です」

「そっかぁ。じゃあ……」


 なんか盗み聞きしている気分になりいたたまれない。少し離れよう。


「あっ、大磯君。ちょっといいかな」

「お、おう」


 離れたところ、戸渡さんがドアを開けて話してきた。危なかった、もう少しで疑われるところだった。

 でも戸渡さんは怪しいと思ったことでもしっかり見てくれているから、そこらへんは安心できる。


「プールとかで使うエアマットがあるって聞いたんだけど、出せる?」

「廊下の押し入れだからすぐ出せるけど、なんで?」

「危ないから寝かせて洗ったほうがいいかなって」


 なるほど、風呂場の床に直接転がすわけにはいかないし、あれならばクッションとしても最適だ。そもそも人が寝転がるものだし。


 廊下の押し入れからマットをエアポンプを取り出し、戸渡さんに渡す。暫くするとシャワーの音が聞こえたから、空気を入れ終わったんだとわかる。

 戸渡さんを信用していないわけじゃないが、彼女だって万能ではない。だからすぐ対応できるよう、再び風呂場の近くで待機しよう。


「な、なんか恥ずかしいですね」

「お風呂場で寝転がるなんて普通しないもんね。シャワーかけるよ……どう?」

「丁度いいです」

「よかった。じゃあ体洗うね」

「うやぁ、くすぐったいぃ」

「我慢我慢」


 ううん、片や妹とはいえ、女の子ふたりで風呂に入っているのを聞いているのってなかなかの変態チックな気がする。

 なにかあったら多分悲鳴が上がるだろうから、もう少し下がろうか────。


「戸渡先輩、学校でお兄ちゃんってどうなんですか?」


 ピタッ

 ……何故か動けなくなった。なんてことを聞くんだ智羽は。


「えっ? 大磯君? どうって言われても……」

「彼女とかいないんですか?」

「えええっ!? い、いないいない! いない……はず」


 なんでそんなことを聞くんだよ! 悪かったないなくて!

 くそっ下がろうとしているのに体が言うことを聞いてくれない!

 耳が、耳が壁に貼り付いてしまった。これじゃあどうしようもない。なんてことだ。


「そっか、いないのかぁ」

「気になるんだ?」

「そりゃあ、うん。だってひょっとしたら私のお義姉ちゃんになるかもしれないんですよ」

「そ、そそ、そうだよね」

「戸渡先輩はお兄ちゃんをどう思いますか?」

「おい、ち……っ!」


 思わず大声で叫んでしまいそうになり、必死に堪えた。そんなこと聞くもんじゃないだろ! これで悪印象だったらかなりがっかりだ。

 ……僕はなにも聞いていない。中での出来ごとはなにも知らないんだ。


「えええええっ!? どう、どうって!?」

「どうって、好きとかですよ」

「そそそそんなことより体、洗わないと!」

「そんな誤魔化し方……うひゃうぅっ」

「聞かないで! 聞かないでえぇぇ!」

「わかわかりましたから! 止め……あぅっ」


 ……なんかやばい。声がだんだん妖しくなってきた。


「きゃあああぁぁっ」


 ドシンという音と共に悲鳴が。その瞬間、耳が壁から離れた。

 なにかあったら大変だ! 救出しないと! どうせ脱いでるのは智羽だけだ! マンガ主人公みたいなことにはならない!


「大丈夫か!?」

「あっ!」


 風呂の扉を開けるとそこには、裸で抱き合うふたりの姿が。


「ぴ……ぴゃああああああああぁぁ!!!」

「ま、待って! 誤解だ! おごぉっ」

「ふびゃっ! ふびゃっ!」

「お兄ちゃんさいてー」


 痛い! 手桶が顔にクリーンヒットしたっ。

 慌ててドアを閉め、双方とにかく落ち着こうとする。


「な、なんで戸渡さんまで着てないの!?」

「だだだだって濡れちゃうから!」


 ……だよね! 制服だったし!


「そ、それよりもなにがあったの!?」

「ちょ、ちょっと滑っちゃって」


 全くもう……びっくりしたじゃないか。



 それより戸渡さんのことそれほどじっくり見たことなかったけど、意外と胸があるんだな。智羽よりも……というか智羽はまだこれからなんだろう。

 ……駄目だ僕は。事故とはいえ最低じゃないか。忘れよう。


 だけどあの姿が脳から離れず、心臓はいつまでもドキドキとしていた。

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