7話 できない会話
「お……おはよう、お兄ちゃん」
「う、うん」
翌朝、僕は智羽とロクに目を合わせられずにいた。昨日のもやもやが今朝になっても晴れないんだ。妙に意識してしまうというか、顔が熱くなってしまう。
それは智羽も同じようで、先ほどから顔を赤くしてこちらを見ようとしない。
「あなたたちどうしたの? 喧嘩でもした?」
「別に……」
「そうよねぇ。ふたりとも喧嘩の仕方なんて知らないみたいだし」
母さんは小首を傾げながら僕らを比べるように見る。
僕と智羽は生まれてこのかた喧嘩をしたことがないからな。
智羽は妹として僕をたてることをするし、僕も兄として妹に譲る。それが当たり前に思っていたがよく考えるとなかなかいいバランスを保っていたわけだ。
「まあ別になにもないならいいわ。ほら、お母さんたち今日から居なくなっちゃうでしょ。本当にふたりだけで大丈夫なのか少し心配で」
そうだった。
母さんは海外出張する親父に付き添い、暫く留守にするんだ。僕らが生まれてからずっとふたりだけで出掛ける機会なんてなかったから、折角だから行っておいでと僕らが勧めたんだ。国内ならまだしも、これでもしなにかがあっても助けてもらうことはできない。
だけどたったの1週間だ。それくらいなんとかなるだろう。僕も智羽も食えなくはない料理程度ならば作れるし、数日もすればこの気持ちは治まるはずだ。
「心配しなくても大丈夫だよ。それより親父のほうが心配だ」
「それもそうね。じゃあ頼んだわよ」
さて、それじゃあ学校に行かないと……さて、どう言い訳しようか。
「よぉー! 今日も元気に智羽ちゃんペロペロしているかなぁー?」
「マジやめろよ気色悪い」
朝から教室でなんてことを言うんだこいつは。本当に勘弁して欲しい。
「ミツ、昨日はごめんね。ちょっと悪乗りしすぎたよ」
竜一が謝ってきたが、謝るくらいなら今すぐ志郎をなんとかしてくれないかな。
とはいえいつものことならあと1日かそこらで治まるはずだ。それまでは耐えるしかなさそうだけど。
「そんでどうだったんだよ!」
「あー、やらなかったよ」
「どうしてだよ! 妹は自分みたいなものなんだろ?」
「お前は自分の股を舐めたいのか?」
「それはあれだ……てかそうじゃなくても智羽ちゃんのパンツくらいは見たんだろ!? どんな妹パンツ履いてたんだ! それくらいは教えてくれよ!」
「ちょおっと待て!」
僕は慌てて志郎の口を塞いだがもう遅い。周囲から奇異の目で見られている。
「ね、今の聞いた?」
「妹のパンツがどうこうって……」
「うわ、きもくない?」
あああ、終わった。このクラスにおける僕の平穏なポジションが無残にも潰されてしまったんだ。
「ちょっと、あなたたち!」
頭を抱えている僕の耳に先ほどとは別の女子の声が聞こえ、つい目を向けた。
声の主は
他の連中は気が強いって言うけど、実際にはそんなことなくてちょっと変わってるけどとてもいい子だ。
「あっ、有利」
「あれちゃんと見なさいよ! どう見ても音形だけがおかしなこと言ってるだけでしょ! 大磯君、困ってるじゃない!」
「あー、うん」
「悪くない人まで悪く見られるの嫌でしょ!」
「そ、そうだね」
なんてことだ、戸渡さんが僕のフォローをしてくれている。しかもちゃんと他の女子たちが納得しているし、これはとても嬉しくありがたい。
そして戸渡さんと目があった。僕はありがとうと声に出さず、笑顔で小さく手を振った。
さて、僕は自分のポジションを取り戻したぞ。これで心置きなく志郎を退治できる。
「やぁん、手を振ってもらっちゃったぁ」
「はいはいよかったわね」
「ち、違、そういうんじゃないから!」
女子たちがまたやかましくしているが、そんなことよりも僕の前でつまらなそうな顔をしている志郎をどうにかしないといけない。
「いいか志郎。そういったことをなんで僕がやらないといけないのかが問題だ」
「そりゃあ俺が智羽ちゃんに……」
「だからそれがおかしいんだ。僕の妹だぞ。家族が他人から脳内で弄ばれたらいい気はしない」
「ミツの言い分のほうが正しいよ。今日からいつも通り僕が引き受けるから安心して」
今日からって言われても、いつもの発作なら今日か明日には治まるはずだ。それより不安定になった兄妹関係をどうにかして欲しい。
家にいるとき、大抵智羽はリビングのソファーでごろごろしながらテレビを見ている。
だけど今日は部屋にいるらしいし、僕も部屋でくつろぐつもりだ。なんとなく顔を合わせ辛いから。
普通に接すればいいと頭の中でわかっていても、理解できていれば実行できるほど僕は理性的にできていないらしい。
……だけどリビングには行かないといけない。今日の食事当番は僕なんだし、それに食べるときは嫌でも顔を合わせる。
もうじき6時。そろそろ食事の準備を始めるか。
「……あっ、この人また結婚するんだ」
智羽の第一声がこれだ。
食事ができて呼びに行ったときの「んー」という返事と、食べる前の「いただきます」を除いてだけど。
さてこれをどう読むべきか。会話のきっかけとして持ち出したのか、それともただ単につぶやいただけなのか。
……一応乗っておこう。黙って黙々と食べながらテレビを見ているだけというのは気まずい。
「バツ4だっけ? 相手もなにを考えてんのかな」
「……えっ? あ、うん。そうだね……」
智羽は慌てたように返事をする。どうやら後者だったようだ。余計気まずい空気が濃くなる。
「んー……ごちそうさま」
智羽は皿を流しへ持っていくと、早々に部屋へ戻ってしまった。ううむ、これはかなりよろしくない。
時間が経てば経つほどこうしていることが普通になり、やがて挨拶すらしなくなるかもしれない。
それは嫌だ。息苦しい環境に慣れようなんてアスリートじゃないんだから。家の中くらいはくつろげる空間であるべきだ。
だからといって無理やり話そうとしても逆効果になりかねない。さっきの会話がいい証拠だ。
とりあえず……両親が戻ってくるまでにはなんとか決着をつけないと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます