第4話『夜への招待状』

 その男が『桃色ピクシー』に来たのは、僕がこの店で働き始めて一週間目のことだった。手入れの面倒くさそうな口髭をたくわえ、葉巻を吹かし、でっぷりとした身体に高級そうなスーツ、毛皮を纏い、ステッキを持っている。成金―――そんな言葉がぴったりだった。くそ、こいつ年収いくらだよ。頭髪だけは僕といい勝負だったが。


「女主人はおられますかな?」

「少々お待ちください」


 僕はカウンターを離れ別室に向かい、書類の整理をしていたママに来客を告げた。


「ママ、お客様です」

「わかりました。今行きます」


 ママを連れて戻ると、男はチャイナ服の彼女の全身を舐めまわすように眺め、いやらしい笑みを顔に貼り付けた。


「マダム・マジョリーナ。相変わらずお美しいですな」

「お上手ですね、ミスタ・ディルティ。今日はどういったご用件です?」

「ここでは何なので、ワシの馬車でよろしいですかな? 店の外に待たせてあるので」


 ディルティと呼ばれた男は僕のほうをちらりと見て言った。嫌な感じだ。

 ママは営業スマイルのまま僕を紹介してくれた。


「この人はカズキさん。私の信頼するパートナーです」

「ほお……」


 ディルティは僕を値踏みするように眺め、そして言った。


「ふむ、良い髪形だ。見所のありそうですな若者ですな。しかし若さゆえの過ちをワシは認めたりはしない。つまりどういうことかというと、マダムに手を出したら許さんということだ。ペットのワニの餌にしてくれるぞ」

「は、はあ」

「ミスタ・ディルティ、悪い冗談はやめてくださいな。ではカズキさん、お店のほうはお願いしますね」

「わかりました」


 二人は店を出て馬車に向かった。ディルティはママをエスコートするふりをしながら彼女のお尻を撫でていた。ママは気にしていないようだったが、あのハゲ許せん。

 三十分後、戻ってきたママはひとりで、顔を上気させ、フラフラしていた。


「だ、大丈夫ですかママ!」

「あう、すみません……」


 僕はママに肩を貸し、休憩室のベッドまで連れて行った。


「どうやら、出された紅茶に一服盛られていたみたいです……ミスタ・ディルティらしいですね」


 具体的に何をされたとは言わないが、ママの目は潤み、頬を赤らめ、呼吸が荒い。僕が冷たい水を飲ませると段々落ち着いてきたようだった。


「あんなスケベオヤジ、野放しにしておくべきじゃないです。警察に突き出してやりましょう!」

「それはいけません……ミスタ・ディルティはこのお店の大事なスポンサーですから」

「でも―――」


 ママは人差し指を僕の唇に押し当て、それ以上の言葉を言わせなかった。


「先述したように、今は魔法に関する規制が厳しいのです……私たちのお店も『上』の人たちは決して快く思っていません……ミスタ・ディルティのような人は稀有な存在なのですよ。例え、それがお金持ちの道楽だったとしても」

「……わかりました」


 僕に文句を言う資格はない。僕はママに世話になっている身だ。僕が良かれと思ったことだって、ママにとっては迷惑でしかないこともある。僕のいた世界でだって似たようなことがたくさんあったじゃないか。異世界だって例外ではない。いつだって不都合で厳しい現実がついてまわるのだ。僕はまだ頭のどこかでアニメやラノベみたいだと、夢うつつをぬかしていた自分が恥ずかしかった。


「それで、彼の用件とはなんだったのですか?」


 僕は襟を正し、ママに尋ねた。彼女は少し間を置いてから答える。


「……『怪盗天使』から予告状が届いたそうです」

「怪盗天使?」

「怪盗天使は魔法使いのみで結成された窃盗集団です。王様が魔法技術を嫌う原因となった背景には、彼女たちの存在がありました……。ミスタ・ディルティは宝石商を営んでおり、彼自身も宝石コレクターとして有名なのですが、彼の持つ『ファイア・オパール』を狙っているようですね」

「あ、その名前聞いたことあります」


 かつて、ローマ皇帝のシーザーがエジプトのクレオパトラにひとめ惚れし、赤いファイア・オパールを贈ったという故事から、愛を伝える宝石としてキューピットストーンとも呼ばれている―――だったか。夕日を閉じ込めたといわれるその宝石を学生時代に初めて写真で見た時、僕は心奪われたのを覚えている。


「でも彼のコレクションが狙われているのと、それがママにどういった関係があるんですか?」

「カズキさんにはいずれ言うつもりでしたが……『桃色ピクシー』にはもうひとつ、『お仕置き屋』としての顔があります。私たちの仕事は、この国で悪事を働く怪盗天使を捕らえ、きついお灸を据えることです」

「お仕置き屋……」


 響きはエッチだが、内容にはぞっとしない。


「警察に任せるわけにはいかないのですか? 相手は魔法使いなのでしょう?」


 ごろつきたちの『時』を止めたママの魔法―――それを間近で見た僕には、魔法使いの怖さがわかる。


「警察には任せたくない―――いえ、任せられない事情をミスタ・ディルティは抱えているのですよ。そういったある種『傷』を抱えた人たちの依頼を請け負うのが私たちの役目なのです」


 僕は納得した。色々悪いことしてそうだしな、あのハゲは。しかし問題は、


「魔法使いのママはともかく、何の能力もない僕が役に立てるでしょうか?」


 ということだ。僕の特技といったらセクシーDVD仕込みのエロス技くらいなものだから。


「怪盗天使は無抵抗な人間には手を出しませんので安心してください。カズキさんに手伝ってほしいのはむしろ『後処理』のほうです」

「………後処理、ですか」


 僕は身震いした。ママとどこかの山奥で土を掘って怪盗天使とやらを埋めている図を想像してしまったからだ。


「ちなみにあのー、ママ? 依頼キャンセルなんて出来たりしませんか? もっとこう、平和的にー」

「大丈夫です、出来ませんので」


 ママはにっこり笑って僕の申し出を却下した。


「じゃ、じゃあ僕が犯行予告の日に風邪を引いたり、ぎっくり腰になっちゃったりなんかした日にはやむなく欠勤もありですか!?」

「大丈夫です、犯行予告は『今夜』ですので」

「ズコーッ!」

「何より私は、カズキさんを信じていますので」

「ママ……」


 そんな風に言われたら頑張るしかないじゃないか。僕が感動していると、ママはぼそっと付け加えた。


「……もしカズキさんが私を裏切ったりしたら……そうですね、ミスタ・ディルティに私がカズキさんにされたあんなことやこんなことをバラしてしまうかも知れません」

「ちょっ、勘弁してくださいよ!」


 この一週間でママとは何回もの『研修』を行った。それがあのハゲに知られたら大変だ。ワニの餌にされてしまう。


「うふふ、冗談に決まってるじゃないですか」


 ママもなかなか隅に置けないようだ。

 そうして、僕はママと夜が来るのを待った。



***



 やがて夜になり、怪盗天使の狙う『ファイア・オパール』の保管してあるディルティの別邸に馬車で向かう途中、僕はママに魔法について聞いてみた。


「ママ、僕は魔法は使えないですけど、魔法への理解を深めておきたいので教えて頂けますか?」

「それは立派な心掛けです。魔法の発祥についてはおとぎ話の域を出ないので省きますが、具体的に何ができるか、何ができないかについてお話ししましょうか」


 まず最初に、存在には位があるとママは言った。

 神様が最上位、そして天使、悪魔と続き、最後に人間となる。

 魔法の力は、それを使役する者の存在の『域』を出ることはできない。

 いわく、『神域』、『天域』、『魔域』、『人域』。


「『神域』の魔法は、わかりやすく言いますと自然災害、天変地異などのレベルですね」

「ほへー……さすが神様」 


 ため息しか出ない。


「『天域』、『魔域』の魔法は対となっており、それぞれ『生』や『死』、『光』や『闇』を司る力を持っています」

「あ、その辺りからなら理解できそうです」


 ゲームなどでお馴染みの設定だ。しかしそれが現実に起こったとなればそら恐ろしい話だ。


「そして『人域』ですが、これは生まれながらの資質が大きくものを言います」

「血筋とか才能とかですか?」

「その通りです。ただ血筋に関して言えば、魔法使いの家系であっても必ずしも生まれてくる子供が魔法使いとは限りません」

「ふむふむ。ちなみにママは魔法使いの家系だったんですか?」

「いえ、私の両親は普通の人間でした。稀なケースではあるのですが、普通の人間からも魔法使いが生まれるのです。祖先に魔法使いがいると、そういった隔世遺伝現象が起きると言われています」


 そして『人域』の力の範囲は上位である『天域』、『魔域』未満に収まるのだという。


「なるほど。いや、魔法使いの人が大変なのは以前聞きましたけど、やっぱり憧れちゃいますね。僕も魔法使いに生まれたかったなあ」

「人間が神様に『断罪』されてからは、魔法使いは女性のみとなってしまいましたが、疑似的に魔法使いの能力を得ることは可能ですよ。良かったらなってみますか? 魔法使いに」

「マジですか!? なりますなります!」


 35歳童貞の時点で魔法使いになっている可能性は大だが、それはさておき。


「わかりました。では失礼しますね」


 言うなり、ママは僕のズボンを脱がしに掛かってくる。


「ちょ、ちょっとママ? そこはまずいですって! 今BPOとか色々厳しいんですから―――い、いやあああっ」


 程なく、ディルティの屋敷が見えてきた―――。

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