第2話『マダム・マジョリーナとの出会い』
「ひいいいっ!」
「待てこの野郎ー!」
僕はごろつきたちに追われていた。
こんなに全力で走るのはいつ以来だろう。自分でも結構な健脚だと自画自賛したくなる。
というか、そもそもどうしてこんなことになったのか。
あの日―――思い出したくもないが、僕が警察に連行された日。あの日の夜、屈辱的な取り調べが終わり、釈放された僕は憔悴しきっていて、家に向かいふらふら歩いていたら突然大きなクラクションとライトが視界いっぱいに広がって―――気付いたら、『この世界』にいて、ごろつきのくつを踏んでいて、彼は地面にキスしていたのだ。
走りながら僕は辺りを見回す。流れるように過ぎ去る街の景色は中世ヨーロッパのようで、しかしすれ違う人々の服装はその時代のものよりも垢抜けていて、むしろ現代に近い。
(夢……じゃないな。あの世なのかな? だとしたらたぶん地獄だよな)
仕方ないか。僕は犯罪者なのだから。
「ハア、ハアッ……!」
やはり昔のように体力は続かない。気持ちも落ち込んでいるし、いいかげんしんどくなってきて、僕はたまらず建物と建物の間の小道に逃げ込んだ。
「はあ、ふう、ふひい~っ……」
運悪く袋小路になっていたが、ごろつきたちとの距離はかなり離れていたため、このまま見失ってくれることを祈るばかりだ。
地面に腰を下ろし、壁に背を預け―――何かがクッションになった。
「あれ? 僕のリュック……仕事着もそのままだ」
ポケットをまさぐると、スマホと財布、それに行きつけのパチンコ屋のコインが数枚出てきた。僕は思わず苦笑した。
「なんだよ、あの世まで持ってきちゃったのか。この世界にもパチンコ屋ってあるのかな?」
不意にドタドタと足音が聞こえた―――奴らだ。
「見つけたぜえハゲ……! 手間ァ掛けさせやがって」
「うるさい、ハゲって言うな! 僕を誰だと思ってるんだ! サイトウさんだぞ?」
「………」
僕はこの危機を回避するため、必殺のギャグを披露した。
ごろつきたちはにこりと笑って腰に差した剣を引き抜いたのだった。
あかん、殺される。
僕は恐怖のあまりおしっこを漏らしてしまった。
「死ねえええ!」
「ママ―――!」
ごろつきの剣がまさに振り下ろされる瞬間、僕は目を閉じ渾身の力で叫んだ―――。
「………?」
不意に訪れた静寂。
僕はおそるおそる目を開け―――剣を構えたまま、文字通り固まっているごろつきと目が合った。
他の仲間たちも同じように固まっており、ぴくりとも動かない。
「な、何が起きたんだ? まさか僕の秘められた力が覚醒したのか……? ラノベみたいに……?」
「危ないところでしたね。お怪我はありませんか?」
ふと、ごろつきたちの背後から女の人の声が聞こえた。
見ると、そこには長い黒髪を髪飾りでまとめたチャイナ服のお姉さんが立っていた。欧州系の顔立ちに妖艶な笑みを湛えた、表情だけでなく身体つきもエロい女性だ。大きく開いた胸元とスリット。僕は生唾を飲み込んだ。
「ええと……お姉さんは?」
「これは名乗りもせずに失礼しました。私はマダム・マジョリーナ。親しい人はママと呼ぶもので、先程もあなたが私を呼んだのが聞こえたので、こうして助けに来ました」
なるほど、どうやらこの人は『ママ違い』で僕を助けてくれたらしい。この世界では母親のことをママと呼ぶ習慣はないのだろうか?
「ということは……こいつらはお姉さんが?」
「ええ。私、こう見えて多少魔法の心得がありますので……さ、今の内に逃げましょう。立てますか? どうぞ私の手につかまってくださいな」
言われるまま、僕はマジョリーナさんの手を借りる。彼女の感触はやわらかく、温かく、僕はまぎれもない『生』を感じる。どうやらここはあの世ではない、近年もはやトレンドになりつつある『異世界』なのだと知った。
***
マジョリーナさんの経営する『桃色ピクシー』は街はずれにあった。いわゆる『オトナの魔法衣、魔法具』を専門に取り扱っているお店だという。
「異国からの輸入品もあるんですよ。私の服もそうなんです。これ、可愛くないですか?」
「そ、そうですね……」
チャイナ服のまま前かがみになって『だっちゅーの』みたいなポーズを決めるマジョリーナさんの胸の谷間に、僕も前かがみになる。この人は股間に悪い。
(異世界でもこういうお店があるんだなあ……やっぱりエロスは偉大だ)
僕はなぜか嬉しくなる。
足の治療をしてもらった後、僕はマジョリーナさんにこれまでの経緯を説明した。彼女は全てを理解できたわけではなかったようだが、混乱と誤解を避けるため、『東方からの旅行者』ということでお互い手を打つことにした。
「マジョリーナさん、この国には『魔法』があるんですか?」
僕は休憩室の椅子に腰かけ、コーヒーを淹れてくれたマジョリーナさんを見上げながら聞いてみた。
「あら、どうぞ気安くママと呼んでくださいな。私もカズキさんとお呼びしてよろしいですか?」
「はい……ママ」
少し気恥ずかしかったが、僕はそう呼んだ。ママは嬉しそうに笑い、テーブルを挟んで対面側の椅子に座った。
「カズキさんの仰る通り、この国には魔法が存在します。他の国にもあるとは思いますが、あいにく私はこの国から出たことがないので……。おとぎ話にあるような神様、そして天使や悪魔がかつては実際に存在し、魔法はその副産物だといわれていますね」
「なるほど。じゃあ、この国の人は全員魔法が使える―――というわけでもないんですよね?」
ママは僕をごろつきから助けてくれた時、『多少魔法の心得がありますので』と言った。全員が魔法を使えるなら、そんな風には言わないだろう。それに、あのごろつきたちにしたってそうだ。魔法が使えるなら、もっと簡単に僕を捕まえられたはずなのだから。
「その通りです。昔はほとんどの人が魔法を使えたそうですが……」
人間が悪魔と共謀し起こした神様への謀反により、断罪されたのだという。
「『神々の黄昏』以降、魔法は衰退の一途を辿っています。今の王様は機械技術を好み、魔法技術を嫌う方なので規制も厳しくなりまして……魔女裁判などがないだけ良いのですが……魔法はいずれ、消え去る運命にあるのだと思います」
ママは寂しそうに言った。
「そうだったんですか……でも僕は、魔法が使えるなんてすごくカッコイイと思うし、魔法のおかげで命拾いしたし、ママに感謝していますよ」
もっと気の利いた台詞が言えれば良かったのだが、頭の悪い僕にはこれが精いっぱいだった。それでもママは微笑んでくれた。
「カズキさんは優しいのですね……ありがとうございます。そういった背景がありまして、争いごと以外に魔法の力を人々の生活に役立たせたいと考え、このお店を開いたのが私の亡き夫、ホークでした」
未亡人だったのか。通りで色気が違うと思った。馴れ初めが気になるが、流石にそこまで踏み込んだ質問をするのは気が引けた。
「そうだったんですか……じゃあ、今はママひとりでお店を?」
「ええ。お手伝いさん募集の張り紙は出しているんですが……やはり商売柄でしょうか、応募が全然なくて」
ふう、とため息を落とすママ。そんな顔は見たくない。僕は提案した。
「ママ、良かったら僕を雇ってくれませんか?」
「え……でも、よろしいのですか?」
「はい。それで、図々しいお願いなのは百も承知なのですが……僕、どこにも行く当てがないので、ここに居候させてくれませんか?」
「居候……ですか?」
ママはじっと僕の顔を見つめた。やましい気持ちはないことはないが、やっぱり警戒されるよなあと半ば諦めていると、
「なら……お手伝いさんではなくて、私のパートナーとしてならいいですよ」
まさかの返事に、驚く僕。
「いいんですか!? やった! ありがとうございます! 一生懸命働きます! ちなみにお手伝いさんとパートナーの違いはなんですか?」
僕が尋ねるとママは人差し指を唇に当て、ウインクした。
「今はまだ秘密です。内容は様々で、覚えることも多くハードな仕事ではありますが、カズキさんならきっと気に入ってくれると信じています」
こうして、僕はママのパートナーとなった。仕事内容は不明だが、異世界生活を送る上での拠点を手に入れたことは、大変な収穫だった。
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