第21話
ちょうど、市外からすぐだったこともあり、その墓地に辿り着いたのはそれから三十分もしないうちだった。
全力で走ってきた俺は息を整えながらなだらかな斜面を見渡した。金属製の小さな門の向こう側、芝生の上に並べられた幾つもの大理石の小さな塊。
空には雲ひとつなく、照りつける太陽と呼応するように風はその動きを止めていた。どこか、時が止まったようにも思える、そんな午後。
走りながら調べていた。今回、ガイストによって殺されたのは、大井の副所長も含めて十一人。
そのうち、九人は大井重工の関係者だった。それは、あの時アルフォンスが言った通りだ。だから、俺はこの事件を彼らの持つ研究データを誰か一人が独占するための陰謀だと考えた。
事実、データは奪われ今どこにあるのか、その行方は分からない。厳重に保護されていたその研究内容を頭に収めていた研究者たちも皆殺された。だから、自分の推測は正しいのだと、考えていた。
しかし、十一人の内、残り二人。彼等は大井重工とはまるで関係のない人々だった。二十数年前、この地方の軍において高い階級に立ち、半島勢力の防衛戦の指揮官にもその名を連ねている者達だった。彼等は大井重工どころか、ガイストの研究とさえ何の関係もない。
公安では、このケースは別件として扱われていたようだが、もしこの二人も他の九人と同じ意図で狙われたとするのなら、どうなるだろう。
ナポレオンと呼ばれた英雄はガイストへの裏切り者として殺された。かつて、ジャン=ポールの同僚、ヴァレリー・バタイユは夫がガイストだったということで、研究所で居場所を失った。そのことを思い出す。
荒い呼吸をしながら、墓地の中を歩く。真っ白なコートはよく目立つ。一番右奥にその姿を見つけ、俺はゆっくりとそちらへ歩みを進めた。
「なぁ、こんな所にいて大丈夫なのか?」
俺はたまたま友人に会ったというような調子で、その背中に声をかけた。
男の左手が懐に入れられる。警戒した様子でそのまま振り返った彼は、俺の顔を見て全て察したようにその手を下ろした。
「何の用だ」
低く鋭い声が俺の方へと向けられる。廃工場で会った時とは違う、強い意志を感じさせる声だった。
「少し、話を聞いてくれないか? 俺の知り合いの話なんだが」
俺は軽い調子で続けるが、目の前の男は答えない。ナタリーと同じ、金髪に碧い瞳。まだ若者に見える顔とは裏腹に、その表情には暗い影が落ちている。
「まぁ少し長くなるかもしれないが、ちょっと聞いてくれよ」
何も言わないのを肯定と捉えることにして、俺は話を続けることにした。男の表情は全く動かない。
「その男の名前は、ナポレオンというんだ。彼は、どういう因果か、ガイストであるにもかかわらず、人間とともに戦うことを選んだ。彼は、いつしか英雄と呼ばれるようになり、そして、ここ、トウキョウにやってきた。当時、この辺りはまだガイストとの戦争なんて遠い話だったが、すぐ近くまで戦場は迫ってきていた。彼は多分この列島を守るための軍に配属された。すまないな、聞いた話だからうろ覚えなんだ」
俺はそう言って小さく微笑み、彼の方を向いた。男は斜め下の墓石に視線を固定していた。そこに刻まれた名前は、ヴァレリー・バタイユ。
「彼はこの場所で、一人の女性と出会った。その人の名前はヴァレリー・バタイユ。大井重工の第一研究所で働く若い研究者だった。詳しい経緯は知らない。それを聞くのは野暮だからな。だが、二人は恋に落ち、結婚を考えるようになった」
芝生の下の砂利が踏みしめられて男の足元で小さな音を立てた。
「だが、彼はガイスト。彼女は人間だ。ガイストが社会に受け入れられるわけもなく、彼はそのことを隠してきていた。それでも彼女はそんなナポレオンを受け入れて、子供も作った。彼の義体は生体部品も使われていたからね。そのDNAを使ったんだろう」
男がしゃがみ込み、墓の表面を撫でる。俺は右手を掲げて陽光を遮りながら更に言葉を紡ぐ。
「だが、そんな二人の幸せも長くは続かない。彼がガイストであることがバレてしまった。いくら混乱した世界でも少し調べれば分かることだからな。しかし、既に英雄となった彼を軍は簡単に処分するわけにはいかなかった。だから、表向きには激戦地へと派遣したことにしながら、実際には彼を処刑した。夫を失った妻は、軍から漏れた情報によって迫害されるようになり、それが原因で死に追いやられた」
微かな音。それは、目の前の男が左手を思い切り握った音だった。
「しかし、死んだはずのナポレオンは実は死んでいなかった。さすがは英雄といったところだ。それでも、彼は人間の社会に戻ることはかなわず、かと言って、ガイスト側につくこともできず、放浪して生活した。推測、だけどな。それでも彼はずっと機会を探っていた。自分を陥れた人間、そして、彼の最愛の妻を殺した人間へ復讐する機会を」
穏やかな風がコートの裾を揺らした。
「その機会は、二十数年経ってようやく現れた。妻の再婚相手であり、復讐の目標でもある男が狂いかけていること、そして、彼が選別的定着の研究を進めて、ガイスト側に寝返ろうとしていることをナポレオンは知った。それを知った彼は、自らその男によって蘇らされたガイストのふりをして彼を利用し、かつて自分と妻を陥れた人間に復讐する策を思いついた。自らの立場を利用して、ガイストとの連携を取り付け、データを奪うという口実のもとに人を殺す。そうして、適当な頃合いで公安に手がかりを与え、逃げようとするガイストと公安の戦闘を巻き起こす。戦闘のさなか、流れ弾を装ってジャン=ポール・グランデを殺し、全てを彼とガイストに押し付ける。そんな策をな」
目の前のガイストが立ち上がる。未だ彼は無言だった。
「そうして、あんたは復讐を成功させた報告をここで奥さんにしているわけだ、そうだろ? ナポレオン」
呼びかけた俺の声に、彼は、ナポレオンは答えなかった。照りつける日差しの中で、鳥の声だけが遠くから聞こえている。
俺は、ライターを取り出して煙草に火をつけた。大きく吸い、吐く。ナポレオンが、静かに口を開いた。
「彼女は、ヴァレリーは、こう言っていた。人間であるとか、ガイストであるとか、そういう事で争うことはおかしいことだと。彼女の研究は、人間もガイストも同じだということを示すためのものだと」
淡々とまるで他人事のように空を見上げ彼は語る。
「だが、まさにその争いで彼女は死んだ。復讐、確かにそうだ。許せなかったからな、最愛の人を殺され、どれだけ待ったと思う? 本当に長いこと機を窺っていたんだ」
長い年月を経たその頬には、幾つもの戦場をくぐり抜けたその証が刻まれている。
「だが、それ以上にな、選別的定着が、彼女の目指したものが、人とガイストを分断しようとしていた事、その事の方が見過ごすことができなかった。彼女は死んだ。だからこそ、彼女の理想だけでも貫徹しようと考えた。復讐が全てじゃない」
そこで彼は初めて俺の方を向いた。強い視線だった。数百年を耐えぬいた大樹のような重みがあった。
「貴様は探偵とか言っていたな。貴様がどういうつもりでここに来たのかは知らないが、データは全て廃棄済みだ。この世の何処にも存在しない」
そう言い切ったナポレオンに、俺は緩く首を振る。
「いや、そんなことはどうでもいいんだ。気になっているのは、どうしてナタリーはジャン=ポールの元にいたんだろう、ってことだ」
「彼女は、あの男とは仲が良かったよ。ジャン=ポールとやらもヴァレリーを信頼していた。彼女は身体が弱かったとはいえ、自ら生命を断つような弱い人間ではない。だから、本当に再婚したか、あるいは子供だけ託したのだろう。そういう女性だった」
答えを聞きながら、大きく息を吐く。右手で煙草を支えながら俺は更に質問をぶつける。
「なのに、あんたはあの博士を殺したのか? 彼女と自分の娘を助けた男を騙したのか?」
「それが私の背負った理想だ。それに結局のところ、彼女を見殺しにしたことに変わりはない。でなければヴァレリーはあんな死に方をすることもなかった。それに……あの男は気付いていたよ」
「気付いていた?」
「俺のことを自分で創りだしたガイストなどではないことを、彼は気付いていた。表面上、狂っているように見えていても、彼はそのことをわかっていた」
ふと、博士が最後に残した言葉を思い出した。そして、ナタリーが言っていた、ジャン=ポールのかつて話した言葉のことを。
彼等二人はもしかして同じ理想を抱いていたのかもしれない。だとすれば、それは皮肉が効き過ぎている。
「なぁ、そこまで彼女の理想にこだわっているのなら、どうしてあんたはナタリーを殺さなかったんだ? そうしておきさえすれば、俺はあんたのことなんて知らずにガイスト達を追いかけていたし、選別的定着の研究が悪用される芽も完全に詰むことが出来ただろう、違うか?」
初めてナポレオンはその冷たく固まった表情を崩した。決意と意志に満ちた眼差しは困惑の色に変わる。それから、不意に俺に背を向けると、変わらない声音で答える。
「さて、それが俺にも分からないところだ」
俺は口を開きかけて、止める。答えはわかりきっている。
「ただな、彼女はほんとうによく似ているんだ、ヴァレリーに」
小さくつぶやくと。彼は再び空を見上げた。
「そうかい」
そう返すと、俺は来た道を戻ろうと振り向く。
「あんたは、
煙とともに残した言葉は、男に届いたのか。それを確認することなく俺は、墓地の外へと歩き出した。
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