第16話
戦況は徐々に公安側に傾いていた。そびえ立つ漆黒の監視塔の下で、イオリ・オオサワは戦場を見渡す。塔の周囲約二十メートルにわたって展開されている敵軍の目的は、この監視塔に設置された監視カメラと防壁の電流の管理システムを掌握すること。
今まさに戦場と化している駅前の広場はこの二つの監視システムが行き渡っていない。あの場所で何度かにわたっての戦闘があったこと、そもそも巨大構造物があったことが関係している。だからこそ、ガイスト側はそこを狙ったわけであるが、裏を返せば、通常の方法でこの防衛ラインは越えられない、ということでもある。
その理由がこの監視塔が制御するシステムにあるわけだ。だが、ここを守る兵の多くが今前線にいる以上、この場所がガイストたちに掌握されるということは、彼やアルバにとっては想定の範囲内であった。
鉄塔の周りはやや大きめの石が混じった砂利の広場になっており、その先には舗装された道路が一本、左にカーブしながら続いている。
銃声が響き、乗用車の陰に隠れた敵兵がまた一人倒れる。敵もそれほどの人数を用意出来ているわけではないことは一目瞭然だ。第一、彼等の拠点は一度叩いている。つまり、あの工場にいなかった者はほとんど破壊されている、と考えればその数は知れている。そのうえ部隊を二つに分ければ必然的にこのような状況にもなるだろう。
イオリは、部下に指示を飛ばしながら周囲をもう一度見渡す。これではあまりに簡単すぎる。
注意深く視線を動かす彼の前にそれは堂々と現れた。
それも彼にとっては予想の範疇だった。敵に指揮官がいること。そして、その指揮官が一人で戦況をひっくり返すことが出来るからこそ、こんな甘い戦略が立てられているだろうこと。
改めて見るとそれは明らかに異形、と呼ぶしかない姿だった。
全身、ひとまずは、人型をしている。だが、二つの足には加速のためのブースターが付けられ、既に足本来の形は保っていない。そして、腕であるべき場所には、一対のブレード。肩の部分には鎧のような装飾が付けられ、その間の部分には、カメラが埋め込まれたシンプルな顔パーツが鎮座していた。まさしく人間というよりも兵器、と呼ぶのが相応しい形状だ。
ゆっくりと歩く機械は、見つめるイオリに気付いて足を止める。戦場の中央に生まれた空白で二人は睨み合う。
「テメェか」
「あの時の小僧か」
砲火が飛び交う中、五メートルほどの距離で互いに相手に声をかける。どちらも武器は構えない。
「テメェならこっちに来ると思ってたんだぜ」
「それは奇遇だな。儂も同じことを思っていた」
猛獣のように歯を剥きだしたイオリに、ガイストは無骨なその頭を回す。
「一応調べたんだぜ? テメェのことは。なぁ、レオニートさんよ。ロシア戦線じゃあ随分有名人だそうだな」
「ほう? その上で儂に挑むとは、随分な度胸ではないか。名前くらいは聞いてやろう」
「イオリ・オオサワ。まぁ、そんなことはどうでもいい」
それよりも、と言葉を継ぐ。顔を上げた彼の顔は笑みを浮かべている。
「テメェは、俺と同じ人種だ、そうだろ?」
数瞬の沈黙の後、合成音声が笑い声を漏らした。かすれたそれが、戦場の銃声に巻きこまれて消える。
「そうだろうな、貴様は、多分私と同じだ」
表情などないはずのその顔が、微笑むように鈍く光を反射した。
「私は、誰かを殺すために作られたモノ。そうである以上、それを嗜好することは当然であろう」
「はっは……もう口を利くのは阿呆らしいぜ。かかってこいよ、爺さん!」
イオリが首の関節を鳴らし、刀を抜き放つ。呼応するように、レオニートも両腕を交差する。
「是非もない、行くぞ!」
銀の閃光が走る。砂利道を駆け抜けて一気にイオリに接近したガイストの無慈悲な一閃が、首筋を狙う。その目前でイオリの刀がそれを受け止める。逆の刃が動くより早く、イオリがレオニートを弾き飛ばし、返す刀で顔面に突きを繰り出す。
両腕を交差して受けるガイスト。そのままレオニートが両腕を振り払い再び距離が離れる。高速で追従した双刃のガイストが再びイオリの懐に飛び込む。対するイオリも右手に持った刃でそれを弾き返し、加えて左手のサブマシンガンで牽制射撃。
「ふむ」
着地したレオニートがそうこぼす。立ち止まった彼を見据えたまま、イオリは構えを崩さない。右手に刀、左手に短機関銃を持った彼は、ガイストに向けてその右手を向ける。
「出し惜しみはしないほうがいいぜ、爺さん。地獄で言い訳したくなかったらな」
「ふざけた口を利く小僧だ。だが、そのとおりかもしれん」
構えた両腕を降ろして、首を左右に振った彼がより一層の殺気を纏う。
「ならば、お見せしよう。我が真髄、空間居合を」
言葉と同時、いや、言葉を置き去りにして。先程よりも遥かに早く、レオニートはイオリの前に移動していた。
交差した剣閃が重なる位置は、イオリの首筋。狙いすましたその一撃を、イオリは左手を添えて防御する。衝撃で僅かに後ずさりながら、体勢は崩さない。しかし、その瞬間にはガイストはもうその場にはいなかった。
まさしく疾風。そうとしか形容できないようなスピードで。後ずさったその後ろ、イオリの背中側、レオニートは交差した剣を既に構えていた。
上半身だけを捻ったイオリが、その刃を受け止める。左手の機関銃を落として、両腕で剣を支えるが、弾き飛ばされて地面に膝をつく。
そして追撃。顔を上げた彼の真横に敵は、いた。後方に飛び退りながら、目の前に刀を掲げるイオリ。交差して放たれた剣撃がそれと激突して火花を散らした。
剣撃の威力で吹き飛ばされ、三メートルほど後ろでイオリが着地。剣を振りきった姿勢のまま、レオニートはイオリを眺めていた。
「っははは、やるではないか。小僧、いや、イオリとやら。儂の型を受け止めた者は久しぶりだ。いや、人間では初めてかもしれんな」
愉快げに身体を揺らすガイスト。非人間的な機械音声が笑い声を不気味に響かせる。
「そりゃ、テメェが戦ってきたのがよっぽど雑魚ばっかりだったんだろうよ。たいしたことねぇ攻撃だったが、あれで終わりか?」
そう言い返すイオリの息は上がっていた。地に着いた膝を伸ばすと、足元に落ちていた機関銃を拾い上げる。不敵な笑みだけはまだ崩していなかった。
「そうでなくてはな。存分に楽しませてもらおうぞ、イオリよ」
再び高く笑い声を上げると、またしても空間居合の構えに戻る。
対峙するイオリも両手に別の武器を持つ同じ構えのまま。
剣士たちの作り上げたその不自然な空白に、他の誰も干渉できない。対峙した二人の間にある異様な緊張関係は、飛び込もうものなら消し飛ばされるような、そんな圧力を秘めていた。
「厄介だな、本当に!」
両手の二丁拳銃から放たれた弾丸が、彼女の左右から襲い来るガイストを穿つ。
ジャン=ポールの突破によって、広場は完全な乱戦状態となっていた。援護に向かおうとするガイスト達と、それを阻もうとする人間側。敵味方入り乱れる中をアルフォンスは駆けていた。
背後には、先程黒い爪のガイストが破った金網。前方には、馬上から彼女を睥睨する銀の甲冑。左右で苦戦する青服達に援護射撃を行いながら、目の前のガイストに対応する。それだけの敵を相手にしながら、彼女の口調にはまだ、余裕が見られた。
「はいよ!」
前方からの攻撃を後方に大きく跳躍して回避。同時に懐から拳銃の弾倉を掴んで投げる。空になった弾倉は自動的に解放され、投げられたそれがかわりに拳銃に吸い込まれる。
二つの拳銃をそのまま前に向ける。
「二人共、ちょいと本気を出すかもしれないから」
『ええ、アルフォンス様』
『いつでも大丈夫です』
アルフォンスが手元で回した拳銃から響く甲高い声。大戦時から未だに戦い続ける彼女の相棒が、高らかに返答を返す。長い期間定着された彼女らは完全に主たるアルフォンスの戦闘方法を熟知している。弾丸をねじ曲げ、任意の場所へと撃ちこむ程度、物体の性能を最大限まで引き出すガイストにとっては造作も無いことだった。
一旦退いていく指揮官を視界の端に捉えながら、再び走る。左側から来るガイストの攻勢に向けて銃を向ける。次々と放たれる攻撃が一つの無駄もなく、ガイスト達の武器を弾き飛ばす。
走りながら戦場を俯瞰した彼女が何かに気づいて後方に跳躍。同時足元を砕くショットガンの弾丸。前方に立つのは白いコートの男、ナポレオン。視界の左側へと移動していく彼を追いながら、その足元を狙って攻撃を続ける。
跳弾が彼のバランスを崩した隙に、一気に距離を詰めるアルフォンス。その場に止まったナポレオンが散弾銃を構えるが止まらない。発砲。銃口炎が夜の闇を照らす。一瞬早く横に飛んだアルフォンスが間髪入れずに反撃。共に二丁の銃を使う二人とはいえ、扱いの良さで言えば、アルフォンスの方が圧倒的に有利だ。
二丁拳銃の攻撃を両腕で受け止めながら、ショットガンをアルフォンスに向けるが、アルフォンスからの攻撃は止まない。連射に怯んだナポレオンへと一気に駆ける。後ろに下がって仕切り直そうとするが、その懐に飛び込む。
「お前は引っ込んでなよ!」
アルフォンスが吠える。無造作に放たれた回し蹴りがガイストの胸元へと直撃。受け身も取れずに二回ほど地面を跳ね、錆びたベンチにぶつかって動かなくなった。
休む間もなく、今度はアルフォンスの頭上に巨大な槍が振り下ろされる。咄嗟に左手を掲げて防御する。拳銃が鋭い音を立てて、槍を根本で受け止める。体を捻って武器の圏内から転がり出る。大地が割れ、槍を持ち上げた騎士がアルフォンスの方へ向き直った。
「さすが、と言ったところですね、『第十師団の三銃士』アルフォンス・カートライト」
戦場には似合わない穏やかな声で、騎士はアルフォンスに語りかけた。
「へぇ、あんたとどっかで会ったことあったかな」
「いいえ。ですが当時の南ドイツにいた者であれば、その二丁拳銃と正確な射撃を知らないものなどいないでしょう」
「けど、それはあんたもじゃない。その槍で穴を開けられて死んだやつを私は何人も知ってるよ、フェリクスさん」
口元を少しだけ歪めて、笑みを作るアルフォンス。彼女の纏った雰囲気が端正な容貌と釣り合った冷たいものに変わる。
対する銀鎧の騎士、フェリクスも甲冑の奥で笑みを浮かべていたようだった。槍を掲げたその下で鋼鉄の馬が嘶く。
『見つめ合っている場合ではありませんわ、アルフォンス様!』
『姉様こそ、ふざけている場合ではないのでは……?』
「はいはい、悪かった、ハニーちゃん」
唐突にアルフォンスの手元でガイストが喚き出す。ため息を付いて破顔するその主人。
「良い魂ですね」
「そうでしょ」
二人の間に張り詰めていた緊張が緩まる。それが合図だったのかもしれない。
瞬間、騎士の乗った馬が一気に加速する。右側に構えた巨大な槍を前方にアルフォンスへ向けて突進を敢行する。そのスピードは自動車と比べても大差あるまい。加えてその上にある騎士の質量も加わり、圧力はそれ以上のものだ。
アルフォンスは広場を西側へと駆けて行く。近い間合いに持ち込まれたのなら、彼女に勝ち目はない。かわしながら、騎馬の足元を狙い撃つ。銃口からは独特の回転を加えられた弾丸が排出され、駆ける敵へと曲線を描く。
騎馬の方もそれを見て歩幅を縮める。細かいステップで速度を保ったまま、弾丸をかわしていく。
「弾丸をかわせる馬なんて無茶苦茶だ」
アルフォンスが苦笑しながら突っ込んでくる騎馬へと向き合って小声でぼやいた。
「少しは真面目にやらなきゃなぁ」
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