第14話
薄暗くなった廃墟群を俺は駆けていた。沈みかけの太陽が雲の隙間からその姿を垣間見せ、遠くの空が異様に赤く染まっている。
アルフォンスとは少し前に別れたところだ。ナポレオンがこの辺りのどこに潜伏しているのか、その詳細までは分かっていないので手分けをすることにした。
公安にとってナポレオンは注意すべき対象であっても、目下すぐに排除しなくてはならないわけではない。その分、得られた情報もあいまいではあったが、接触するまでの猶予があるということでもある。
アルフォンスがイオリに聞いたところでは、ナポレオンはまた別の部署が担当しているため彼にも詳細は分からない、とのこと。
ここで公安を出し抜いてナポレオン、ひいては、その背後にいるであろう、ジャン=ポール博士を捕らえるのは後々問題になりそうな気もするが、もとより好かれてもいない相手だ、気にする必要もないだろう。後からイオリに仲介を頼むことだけが憂鬱だ。
大きな倉庫らしき建物の前で足を止める。サガミハラは防衛ラインのすぐ近くにあるため、ムサシノと同じような雰囲気を受ける。しかし、この近くで外から流れこんできたガイスト達を労働力として使っている工場があるという噂もある。
真偽の程はともかく、もっと東、カワサキあたりにある工場ではガイストと人間が混じっているだろうことはほぼ明白で、それには安い労働力を求める企業の思惑がある。同時に、革命には協力せず、人間社会に適応したいと考えるガイスト達が一定数いることがそれを支えている。
そうしてガイストの侵入がある程度まで黙認されているからこそ、今回のような事件も起こり得たというのは、なかなかどうして皮肉なことだ。もちろん本気で侵入を防ごうと思ったところで、それが成功するかといえば不可能に決まっているが。
倉庫を迂回して歩を進める。広大なその敷地の端に建つ一軒家の窓ガラスが割られていた。近寄って覗き込んだ家の内部は何かを探したように荒らされている。元の持ち主には悪いが、割れたガラスを踏みしめて俺も内部へ。
特に何が持ちだされたのか特定は出来ない。そしてこの場所にも誰かの気配はなかった。しかし、窓のちょうど向こう側に開け放たれた扉がある。そちらに向かった可能性が高いと見て、そのまま外へ。
小さな商店らしきものがいくつか並び、まっすぐ右側に先程よりは少し小さめの工場のような施設が見えた。ひとまず立ち止まった俺の耳に話し声が聞こえてくる。詳細までは分からないが、右手の工場からだった。
足音を落として、そちらに近づく。アルフォンスに位置情報だけ送信すると、懐から拳銃を取り出して握る。当たるかどうかよりも、今は威嚇に使えることが大事だろう。
「目覚めよ、フェルディナンド」
小声で告げた声に呼応して、ロングコートが大気を震わせた。
『マスター、参上した』
「身体強化を」
『了解』
静かに響く声と共に、俺の身体を守る鎧となる黒いコート。
前方左側に鉄製の大きな扉が開け放たれ、正面の壁面の上の方には、いくつか換気用の窓が設置されている。声はやはり内部から聞こえてきてくるようだった。
上から行ってもいいが、ナポレオンに狙い撃たれてはかなわない。正面から行ったほうが存外、うまくいくかもしれない。そう思うことにして、工場の壁面に張り付き、入口の方へとすり足で向かう。
「やはり、外に出過ぎました。どうやらここも察知されてしまったようです、申し訳ありません」
「それは別に構わん。データは全て揃ったのだろう?」
「ええ、そちらは既に奴等から受け取っています」
「ならばこんなところに隠れる意味もない。移動すればいい」
一人は、無機質な、感情の抜け落ちた声。もう一人はやや興奮気味にまくし立てていた。恐らくだが、前者がナポレオンだろう。推測が合っているのなら、後者は探し人だろうが、これだけでは特定しがたい。
「そうは言っても、奴等の支援がなくば、防衛ラインは抜けられません。今しばらく……失礼、主よ」
唐突に会話が途切れる。次の瞬間、レバーを引く機械音。悪寒を察知して反射的に身をかがめた直後、頭上を銃弾の束が通り過ぎていった。
「おい、そこに潜んでいるのだろう。出てこい」
ひとまず無言を貫くことにする。屈みこんだ姿勢から、物音を立てないよう、もう一歩扉の方に這い寄りながら、右手に持っていた拳銃をしまう。
「何者だ! 出て来い!」
今度は興奮した声が叫ぶ。わかりにくいがかなり年を経た人物であることは間違いなさそうだった。
もう一度銃を構える音が壁越しに聞こえた。それを見計らって立ち上がった俺は開いた扉の前に立つ。
「待て! 俺はあんたらの敵じゃない」
「黙れ! 貴様何者だ!」
中に立っていたのは二人。一人は、白いトレンチコートを纏っている。よく見ると、脇には赤と青の一本線。先端を切り離したショットガンを両手に構えた姿には見覚えがあった。ナポレオンで間違いないだろう。
冷たい眼光で睨みつけるその男の横には、薄汚れた白衣を着た病的な顔色の中年。画像で見た通りの風貌。彼がジャン=ポール・グランデだ。
「ジャン=ポール・グランデだな。俺はアルバート・クライスラー。私立探偵をやっているものだ。娘さんに頼まれてあなたを連れ戻しに来た」
「娘、ナタリーが、か?」
声の調子を一段落として、白衣の研究者が怪訝そうに尋ねる。その様子を見て、臨戦態勢だったナポレオンが銃を僅かに傾ける。まずは話ができそうだ。
「そうだ、あなたがいなくなったのを心配して俺に依頼が来た。あなたがそのガイストで今まで何をしてきたかは知らないし、追及するつもりもない。ただ、あなたを連れて帰るのが俺の依頼なんでな。こんな所にいないで早く娘さんを安心させてやるんだ」
俺の言葉を聞いていたのかいないのか、顔を上げた男は不気味な笑みを浮かべていた。その瞳には何か狂気的なものが宿っている。
「もとより、ナタリーも連れて行くつもりだったのだ。あの子の管理しているデータも必要になるからな。だから、今更帰る必要などないというのに、ナタリーにはまだ分からんのか」
「何を言っている?」
唐突すぎる発言に、俺は戸惑う。
「私はもはや、人間の社会とは決別したのだ。あんな腐ったものからはな。そして、それには我が娘も連れて行くつもりだということだ」
痩せこけた顔のせいで、剥きだしに見えるその眼球がこちらを向く。
「馬鹿なことを言うな! あなたは、人間の社会を脱してどこに行くつもりだ?」
「それこそ愚問だろう。私はガイストになる。その為のこの技術、その為のナポレオンだ」
両手を広げて、高らかに宣言する研究者。
「彼女を見殺しにした人間とその社会には、何の価値もない。幸いにして私の研究は成功した」
やはり彼を動かしているのは、シマモリから聞いたあの女性の事件なのか。常軌を逸した様子で男は語り続ける。
「ナポレオンがその証明だ。これが私を救ってくれる。ガイスト達も私の手助けをしてくれている」
「つまり、あなた、というわけか? ガイスト達を動かし、大井重工の関係者を殺し、データを集めていたのは」
俺の問いに興味なさげな顔を見せて彼は答える。
「知らんな。ただ、私は研究を完成させるためには、昔の同僚の持っているデータも必要になると伝えただけだ。最もそれを彼らに伝えたのはナポレオンだが」
指さした先で、微動だにしないナポレオンが銃を構え続けている。
「そいつはナポレオンなのか?」
俺の再度の問いに、男は不機嫌そうな様子を隠さず言葉を返した。
「見て分からんか? 死した彼のガイストを再度定着させたのだよ」
「その技術、選別的定着があれば、あなたはこの社会を変えることだって出来るはずだ。娘さんを見捨てるのか?」
「見捨てるのではない。あの子もすぐに気づくだろう、私が正しいということに。肉体という物自体が醜く、そしてガイストこそ至高だということに」
男は自信ありげにそう言って片手を上げ、熱弁を振るう。
「肉体は、感情と欲望を生み出しガイストが本来的に持つ理性を遮る。そして、それがある故に決して人間は腐ったこの社会を変えようとしない。貴様とて分かるだろう、あの退廃した街を見れば!」
「存在被拘束性ということか? だが、それはガイストになろうと同じことだ。何よりあなたがそうして理性を追い求める感情も、人を疎ましく思う感情もその肉体に依って立つものではないと言い切れるのか?」
「それこそ愚問だよ。私の苦しみは、肉体と精神の乖離によるものだ。肉体に根ざす感情だと? そのとおりだとも。だからこそ精神にはふさわしい器が必要なのだ」
「あなたは矛盾している。自らの感情が肉体に依るものだと認めながら、その肉体が精神にふさわしくないなら、あなたが出したその回答自体が間違ったものでないと誰が言える?」
「いいや違う、この苦しみは肉体という枷に囚われた私の精神自身の苦しみ。それを正しいあり方に戻そうということにすぎない」
「それで喪うものがあるとしてもか?」
「何をいまさら。それこそが私の望みだよ」
平行線をたどる議論にジャン=ポールが大きくため息をつく。真横にいた白いコートが博士に声をかける。
「博士。彼らが作戦を開始するまで少し時間はありますが、ここに長居するのは危険です」
冷静な声でそう告げながらも、こちらへの視線は外さない。
「とにかく、あなたは連れ戻す。それが、俺が受けた依頼だからな」
「排除して構わないですね?」
「構わん」
ナポレオンは完全にジャン=ポールに従っている。彼は本当にガイストなのだろう。選別的定着が死霊化学の基本から外れているのではない限り。
「では、逃走のために道を切り開きましょう」
銃身を切り離されたショットガンがこちらを向いた。右足で大地を蹴って跳躍。直後、俺のいた床を弾丸が抉り取っていく。同時、着地した俺の元へと駆けてくるトリコロールの影。目の前に突き付けられた銃口を払いのけ、懐に滑りこむ。
俺が放ったボディブローをナポレオンが足の裏で蹴飛ばす。そのまま背後に跳躍すると、何事もなかったかのように、同じ位置に着地する。
とんでもないスペックの義体だ。身体強化した俺よりは劣るにしても、明らかに戦闘用に調整されている。加えて、それを扱う体術もある。英雄と呼ばれるだけのことはあるようだ。少なくとも、アルフォンスなんかよりはよっぽどそれらしい。
だが、急ぐ必要はない。アルフォンスがすぐに俺を追ってくるだろう。戦闘が激しくなれば、最悪公安もこちらに気づくかもしれない。ならば、彼ら二人を逃がす隙を作らなければいい。いくら相手が英雄とはいえ、一般人を連れて逃げることが可能なほどに彼我の戦力に差はない。
もちろん相手もそのことはわかっているだろう。その上で相手の攻勢を凌ぎ切るとなれば、勝算は五分といったところか。ギャンブルは嫌いだが、これでも最善策だ。
様子見する俺を急かすように、ナポレオンの射撃が襲いかかる。弾丸をコートで受け止めながら、俺は懐の銃を引き抜いた。ナポレオンの周囲を回るように動きながら、牽制射撃。意に介することもなくナポレオンは両手のショットガンで俺を狙う。
雨のように降り注ぐその弾丸の合間をかいくぐって俺は常に工場の出口を背負って立つ。しびれを切らして、前に出ようとした博士をナポレオンが片手で制する。
「たかが一人に何を手こずっているのだ、お前は」
「申し訳ありませんが、もう少しだけお待ちを」
怒鳴りつけた博士に感情の消え失せた声でナポレオンが答える。俺が有利な立ち位置にいる以上、無理をして攻め手に出ても博士を連れていけないことはわかっているはずだ。
ナポレオンの手を払いのけようと博士が再び体を乗り出した。俺はそれを止めようとするナポレオンに向けて拳銃を向ける。
博士をかばいながら銃弾をかわしたナポレオンの姿勢が崩れる。突然の攻撃に驚いた博士もナポレオンの隣で膝をつく。俺と敵の距離は約10メートル。好機だった。
上脚に絡みついたコートが、踏み出した右足の脚力を強化。工場床のコンクリートを砕いて俺は一気に加速する。
体勢を崩したナポレオンめがけて勢いに任せてローキックを繰り出す。咄嗟に転がってかわしたその姿めがけて更に拳銃で追撃。ナポレオンは体制を立て直しながらも五メートルほど後ろに後退。俺はその隙に転んでいた博士へと振り返る。
「荒っぽくて悪いが、ひとまずあんたは連れ帰らせてもらうぞ」
「ふ、ふざけるなっ!」
怯えた声でそう言って後ずさりするが、悠長に話し合っている暇はない。倒れ込んだ彼の胸ぐらを掴むと、博士を引きずるように俺は走り出す。
だが、ナポレオンの対応は早かった。出口へと振り返った俺が見たのは、ショットガンを構えた白いコート。一瞬のうちに回り込んでいたのか。
躊躇うことなく、彼は両手の引き金を引く。俺は博士を掴んだ腕を放して後ろに跳躍。衝撃をコートと跳躍で緩和しながら、なんとか弾丸の嵐をやり過ごす。
一歩間違えば、自分の主さえ巻き込んでいただろうに、ナポレオンには動揺した気配は一切なかった。片方の腕で俺に照準を向けたまま、倒れ込んだ博士を引き起こす。
その視線に、なにかガイストらしからぬものが映り込んだように見えた。本来ガイストである彼が抱くはずではない感情。いや、主であるジャン=ポールに抱くはずのない感情。憎しみに揺れたように見えた瞳は果たして一瞬にして消え去り、博士を背後に押しやると彼は少しずつ出口へと後退していく。
位置関係は入れ替わり完全に不利な状況となってしまったが、まだ追いすがるチャンスはある。逆にここで逃せば次はない。
警戒しながら移動する二人めがけて俺は一直線に駆け出した。当然迎撃するナポレオン。左右のショットガンから放たれる弾丸を横に跳んで回避する。
追いかけてくる弾丸に対して俺は一歩前へと踏み込んだ。打ち付けるそれらをコートで受け流しながら、一気に距離を詰める。
再度の射撃は斜め前へのステップですり抜け、俺とナポレオンの距離は三メートル。次の攻撃より先に俺の攻撃が届く距離だ。
即座に構えを切り替えたナポレオンの鋭いハイキックが飛び込んだ俺の側頭部を狙う。身をかがめた俺の髪の毛を切り裂いて、鋼鉄の足は虚空を切り裂く。
小さく振り抜いた俺の右ショートアッパーは、右手のショットガンで受け止められる。後ずさった彼に追撃の左ストレート。側転してそれをかわしたナポレオンが体勢を崩しながらもショットガンの銃口を向けてくる。だが、甘い。この距離なら十分対応できる。
突きつけられたそれを払い除けて一気に懐へと飛び込む。同時に、俺の視界に写り込んだのはピンの抜かれた手榴弾。
ショットガンは囮、という言葉が脳裏をかすめ、俺は急停止して後方へと跳んだ。同時に工場内に響く爆発音。二つの影が煙の先に吹き飛ばされていく。
舞い上がった白煙をかき分けて出口へと向かう。逃げるためにあそこまで捨て身の行動を取られるとは予想外だった。既に二人の姿は荒れ果てた廃墟のどこにもない。
自分の判断ミスで、絶好のチャンスを逃してしまったことは事実だが、今は悔やんでいる時間もない。コートに定着させたガイストもそのままに、俺はすぐさま携帯端末を取り出した。
「どうした、アルバ? 悪いが今こっちはそれどころじゃねぇ――」
「イオリ、アルフォンスからナポレオンの話は聞いてるな? あの仮説は事実だった。今確認したところだ」
話しながら、しまった拳銃を確認。先程の戦闘で使った分を差し引いても、弾丸は有り余っていた。そのまま戻して外に出る。
「いや、確かに聞いたが、少なくとも今公安はそっちに人数は割けねぇぞ」
「どういう意味だ? ナポレオンが社会に与える影響を考えろっっていうふざけた話か?」
「アルバ、落ち着け。そうじゃねぇ、オダワラでガイストの軍が動いた。生半可なものじゃねぇ。ホンシュウの部隊を総動員したんじゃねぇかってレベルだ。公安は民間軍事企業と協力して全力でこの対処に当たる。現状それ以外に割ける戦力はねぇ。俺個人ならともかくとしてもな」
さすがに絶句した。何故このタイミングで。偶然というには間が悪すぎる。
すぐに思い当たったのは、ナポレオンが口にしていた言葉。『彼等』の支援、作戦という言葉を使っていたはずだ。それがなければ、防衛ラインは抜けられない、とも。それがこの大規模な陽動ということだろう。確かにジャン=ポールの持っている技術にはそれだけの価値がある。あの工場にいたガイスト達が、それを取り付けられたとしても不思議ではない。
連鎖するように、もうひとつ謎が浮かび上がる。
「すまん、イオリ、全く関係ないんだがもう一つ聞いてもいいか?」
「早くしろ」
「あの工場から逃げたガイスト達が今どこにいるのか、分かるか?」
通信先でイオリが一瞬黙りこみすぐに向こう側で誰かに話しかける声が入る。俺は工場の入口に立って遥か彼方に見える銀の監視塔を眺めながら、歩き回っていた。ひりつくような焦りが下腹部を刺激する。耳元で聞こえる鼓動を抑えこんで思考を整理していく。
「待たせたな、アルバ。わかったぞ。さっきまで俺が指揮していた奴がちょうど調べていたんで聞いてきたんだが、ムサシノを出て、潜伏を繰り返しながら、今はサガミハラの方へと向かっているそうだ。これで大丈夫か? 悪ぃが、もう通信切る――」
アタリだった。早口になるイオリに割り込んで俺は伝える。
「イオリ、今から状況を説明する。お前は公安のお偉いさんを説得しろ。少しでも多くの兵を借りられるようにな。これにはそれだけの価値がある」
「……わかったぜ、早く言えよ。こっちも命令に逆らって長いこと通信なんてしてる場合じゃねぇからな」
数秒の沈黙の後、イオリが観念した、とでもいうようにそう告げる。俺は大きく息をついて把握している全てを語り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます