第12話
「アルバ、お前まで私を頼ってくるとは随分珍しいこともあったものだな」
目の前の大男は、白髪交じりの髪の毛をかき混ぜながらそう言って笑った。男の背後には高いビルがいくつもそびえ立ち、そのガラスの向こう側に小さな人影が透けて見えた。
俺が立っている執務室の奥側には、通信端末のみが置かれた大きな机。左右には、この部屋の主と、その会社に送られた幾つもの書状と勲章が並べられている。部屋の天井付近には、目立たないようにして監視カメラ。
しかし、目の前の男はこの部屋の雰囲気にはあまりそぐわない。二メートルに届こうかという長身に加えて、緑の軍服の袖先に見えているのは、黒い掌。どう見ても鋼であるそれに加えて、首筋からは僅かに金属質な輝きが見えている。その顔には無数の傷跡が刻まれているが、表情には何処か子どものような無邪気さがかいま見える。
彼の名はルトガー・シュバルツシルト。アルフォンスと同じく、南ドイツ戦線において英雄と称される内の一人であり、現在はここトーキョーにシュバルツシルト・セキュリティという軍事会社を設立し、その代表をつとめている。
「そんなことはないだろう、親父。俺は困ったらいつもあんたに頼ることにしている」
「そこの女は、毎日のようにここに来ては、私の邪魔をしてくるがね」
ルトガーが指さした先には、応接用のソファでくつろぐアルフォンスがいた。
「大佐、それは言い過ぎってもんよ。あんたがここで退屈してるんじゃないかと思って遊びに来てやってるだけさ」
ルトガーはそれを聞いて声を上げて笑う。
「生憎、部下が出来ると俺が戦場に行くまでもなくなるからな」
「大佐が行ったら焼け野原だ。行かないほうが部下も喜ぶさ」
その言葉にまたひとしきり笑うと、彼は右手で弄んでいた帽子を自らの頭に乗せ、こちらを向く。
「それで? アルバ、大体の要件はアルフォンスと同じか?」
「ああ、その通りだ」
その言葉を俺は迷わず肯定した。あの後、依頼人をひとまず市内まで送り返した俺だったが、彼女の言葉を信じるにせよ信じないにせよ、今後の調査の方針はまったく固まっていない、と言ってよかった。
ひとまずはあのガイストたちを追うことがジャン=ポール氏にもつながるのは明白だろうが、その公安があの事件を口外無用とした時点で情報提供など望めそうもない。
イオリにも連絡したが、歯切れの悪い返事が帰ってくるのみ。彼らは何かを隠そうとしているようなのだが、それが何なのかわからないままではそれにも近づけない。
では、公安が隠している情報を知る事が出来るのはどのような人物か。それもアクセスしやすく情報を引き出しやすいような相手とは。
そう考えた時に候補に上がったのが、この男、ルトガー・シュバルツシルトだった。なにせ、かつての英雄でそれも一つの師団の副団長、この街の公安警察に大量の出資をし、防衛ラインを守る軍隊もほとんどが彼の指揮下にある軍隊だ。シンジュクの一等地に本社を構えていて、この街でも大きな影響力を持っている。
それでいて、彼はアルフォンスや師匠とは旧知の仲で、俺にも色々と便宜を計ってくれたことがある。そして、もちろん同じことをアルフォンスも思っていたらしく。俺達は偶然にもこの本社ビルの一階で顔を合わせることになったわけだが、それは別にいいだろう。
「まったく、お前たちは私をなんだと思っているんだ。公安警察の関係者ではないんだぞ、そんな細かいことまでは探れない」
「親父、何とかならないか? これは、俺達の依頼だけの問題じゃなさそうなんだが」
眉根を寄せて苦々しい表情を見せるルトガー。
「それは私も分かっているさ。そうでなければ公安も隠しはしないだろうからな。しかし、公安の隠している事実はお前ら個人が関わるべきことではない事かもしれないぞ?」
「面倒事に首を突っ込むのが俺達の仕事でね、親父」
俺がそう言って首を振ると、ルトガーがため息を付いて笑顔を見せた。
「まったく、そう言うとは思っていたが。それでこそあいつの弟子という感じだな」
何故か視界の端で、満足気に頷くアルフォンスが見えた気がするが無視することにした。
「だいたい把握してはいる。逆にそれだけの事実だということを理解した方がいい」
もっとも、お前らは馴染みがないかもしれないが、付け加えるようにこぼすと、巨漢は背後の椅子に腰掛けた。
「調べもしない内に、私にも連絡が来たよ。私の場合には口止め、と言うよりは、確認という方が正しかったが」
アルフォンスが椅子に座ったまま、背後にいるルトガーに尋ねる。
「やっぱり、あいつは、『ナポレオン』なの?」
「なんだ、知っていたのか?」
感心したようなルトガーを無視して、相棒は質問を続ける。
「大佐はあいつと知り合いだったのか?」
「そんなわけないだろう。まぁ、私もそれなりの地位にはいたから、どこかで顔を合わせたことくらいはあったかもしれないが。むしろ、あれだけの男が忘れられている方がおかしいんだ」
「おいおい、ちょっと待ってくれ。一体どういう話になってるんだ?」
会話を遮った俺の顔を見て、ルトガーは不思議そうに動きを止める。その様子は、中年の男性にはあまり似つかわしくない。
「アルバは多分知らないんじゃない。時期的に生まれてすぐの話だし、結局たいして有名にもならなかったし」
納得したようにルトガーが一度頷く。
「では、そこから説明したほうが良さそうか。アルバ、今回公安がひた隠しにしようとしている事実は、かつて死んだ男が生きていたかもしれない、というその一点だけだ」
「それが、あの白いコートの男か? だがそれに何の不都合があるって言うんだ? 死んでいたと思っていた奴が生きていたならそれは基本的に良いことだと思うが」
「まぁ待て、そう簡単な話ではないんだ。あれは生きていてはまずいし、何より生きているはずがないんだ。なにせもう二十三年も前の話だからな」
二十三年前といえば、ちょうど大戦が始まった頃だ。アルフォンスが覚えていてギリギリというところか。その頃からそれなりに偉い軍人だった彼に確認が来たのはそのためだろう。
頷いた俺を見てルトガーは再び話を開始する。
「さっきも聞いた通り、そいつはナポレオンと呼ばれていた。昔はフランス国旗みたいな派手な服を着てたが、今もだいたい同じだろう?」
俺とアルフォンスは顔を見合わせた。国旗みたいかは知らないが、白いコートだったことはよく覚えている。
「真っ白なコートだったのは覚えている」
「それだ、それに青と赤のラインが入っていなかったか?」
「ん? あー確かにちょっとだけ見えたな」
アルフォンスが目を瞑って記憶を辿っていた。
「親父、それは全然国旗じゃないと思うのだが」
「そうか? いや、そういうイメージだったんでな」
あごひげを撫でながらとぼけた顔をすると、ルトガーは話を戻す。
「ともかくだ、その男は革命が起きた初期の頃に英雄として祭り上げられた男だった。もちろんプロパガンダ的な側面もあったとは思う。なにせ、あの時期はほとんどの戦地で敗北続き、本当に人類滅亡の危機という感じだったからな」
アルフォンスはともかく、俺にはまったく記憶が無い。そもそも生まれてからこっちずっと戦場だったということも関係があるのかもしれないが。
「そういう状況だった頃に、パリからの撤退戦でガイストを大量に退けて戦線維持をしたのがナポレオンだ。あっという間に英雄なんて呼ばれるようになった。まぁお前の師匠も俺も、当時奴と入れ替わりのタイミングで南ドイツ戦線に来たからな。詳しい素性なんかは分からないが、パリ撤退戦の後にこっちの方に呼ばれてきていたらしい」
記憶している限り、戦争開始直後でもっとも安全だと言われていたのが、トウキョウと合衆国辺りだったはずだ。英雄だというのに最前線からすぐさま戻されたのは皮肉なものだ。
「実際、あのパリからかなりの人数を生きて撤退させたというんだからたいしたものだ。英雄と呼ぶに相応しいだろう。実際その後もアジア戦線で何度もかなりの活躍をしたなんて、ニュースも聞いた」
「それは私も聞いた覚えがある。確か、半島からの勢力を追い返すためにキュウシュウ辺りでの指揮を取ったんだっけ?」
「あー……多分それだ。すまんな、私のほうがうろ覚えだ」
ソファから仰向けになって背後を指さしたアルフォンスに、老いた軍人は苦笑いを返す。
「まぁそんな感じだったんだが、一年か、二年くらいして前線で殉死した、って話になった。なんか適当な美談が添えられてな。胡散臭いと思ったもんだったが、そのままナポレオンの話はとんと聞かなくなって、今じゃこのザマだ」
肩をすくめたルトガー。俺が問いを返そうとすると、手を上げてそれを制する。
「で、だ。今回の件を理解するのに一番大事なのはこのことだ。当時、ナポレオンが死んだ、とされた時、一つの噂が流れた。つまり、ナポレオンは裏切り者だったと」
「裏切り者、っていうのはどういうことだ」
「ただの噂だ、知らんよ。まぁ、ガイストに情報でも流したんじゃないかね」
だが、先程の話が持つ意味は明らかに変わってくる。
「つまりこういうことか? ナポレオンは、殉死したわけではなく、殺された」
俺の確認にルトガーが頷きで答える。
「恐らくな。この際、本当にナポレオンが裏切ったのかどうか、という事は脇に置いてもいい。問題は彼が死んだはずの人間であること。そして、その死には少なからず当時の人間達の陰謀めいたものが関わっていたってことだ」
大佐が帽子を脱いで指で回して始める。ちなみにだが、彼が大佐だったのは革命時のことで、それもあまりに激戦のためちゃんとした官位が与えられていなかった時期のことなので、実際に大佐なのかどうかは分からない。恐らく、アルフォンスが呼んでいるだけなのだろう。
「つまり隠したいのは、ナポレオンが生きていた事自体と、ナポレオンがガイスト側に与していること、そんなところってわけね」
それは分かる。だが、これだけでは何も事件の手がかりは掴めない。もっともそこに手がかりがあるなら、とっくに公安が解決しているだろうから当たり前なのだが。
だが、ナポレオンがそもそも本物なのか、ということさえも分からない。そうだとして、人間側の英雄であるナポレオンを模す事が彼らにとって何の意義があるのか。もし仮にそれが士気を下げることにつながるのだと考えたとして、かえってこちらに怒りを引き起こすのではないかと考えるのが自然だ。
彼が裏切り者として陰謀に巻きこまれて殺された、という事実を知っていたのなら、それは頷けるが、人間側にも隠されたその事実を彼らが知っているのが妥当といえるかといえば疑問だ。
「ガイスト側に付いてるって事は復讐かね、やっぱり。これは公安も困るだろうな」
アルフォンスが椅子に体を沈めて独り言のように告げる。
そもそも、ただ失踪した研究者を見つけようというだけなのに何故こうも大きな問題に巻き込まれなくてはならないのか分からない。だいたいこの件に、ジャン=ポールが関わっているかも結局のところ分かっていないというのに。
大井重工に行った時もそうだったが、話が大きくなるばかりで少しも解決の糸口が掴めていない。
そこでふと思い出す。今朝方の戦闘で有耶無耶になっていたが、大井の関係者が殺されている事。一連の事件が亡くなった女性、ヴァレリーの復讐のようだと、昨日アルフォンスが言っていた事。
同時に一つ閃きがあった。
「なぁ、アルフォンス」
「なんだよ、アルバ」
「今からとても突飛なことを言うかもしれない」
「え? なんだそりゃ」
「もし、もし仮にだぞ、ジャン=ポール博士の研究が完成していたとしたら、どう思う?」
俺の問いかけに黙りこむと、すぐにアルフォンスが身を起こして両手を組んだ。
そう、大井重工の第一研究所で研究されていたのは、ガイストの選別的定着。つまり、特定の精神を選び出して、物体に定着させようという試み。
「確か、ナタリー嬢の話じゃ、やつはいなくなる直前に完成したって言ってたんだったよね?」
こちらを真剣に見据えるアルフォンス。
「確かにそう言っていた」
「だとすれば」
「ああ、もし本当に、彼がそれを成し遂げたというのなら、死んだはずのナポレオンもガイストとして蘇ることが可能だろう」
「お、おい。お前たち何の話をしている?」
今度はルトガーが話に付いて来ることができず、慌てた様子で尋ねてくる。
「謎が解けたかもってことよ、大佐」
適当な返答をすると、アルフォンスが立ち上がった。
「今のナポレオンはガイストである可能性があるということだ。つまり、何者かによって魂を定着された機械であるかもしれない」
俺の補足を聞き、腕組みを始める大佐。人間に絶望していた博士が自分の同類として裏切られた英雄を選んだとしても違和感はない。そして、ナタリーが言った、これが彼の復讐だという言葉に結びついていく。
つまり彼はガイストたちの協力者だということに他ならない。いや、あるいはガイスト達がああも躍起になってデータを探しているのは、ジャン=ポールの研究と関わりがあるデータだからだろう。
そして何より、本当に選別的定着が可能になったのならそれは、歴史を動かすような一大事だ。もし、死者をこちらに呼び戻すことが出来るのなら、命の価値は変わる。今我々が思っているようなガイストはもういなくなる。
それを人か、ガイストのどちらかが独占しようというのなら尚更だ。そんな世界はもはや、人間の世界ではない。俺は自然に顔をしかめていた。許す、許さないではなく、単純に不快感と恐怖感があった。
あくまで俺の推測にすぎないが、その可能性があるということは事実だ。その真相を知るためには本人に直接聞くしかない。そして、居場所を探る方法が一つ開けた。それは、ナポレオンを追うことだ。
「なぁ親父、公安はナポレオンの居場所を掴んでいるのか?」
「ああ、掴んでるかはともかく、探してはいるだろう。ひとまず話を聞きたいだろうし……ってお前ら」
「大佐、頼むよ。私達の探し人も多分ナポレオンと一緒にいるんだって」
「あのなぁ、これはトップクラスの機密事項なんだ。そんなことにこれ以上深入りするんじゃない」
「そればかりは聞けない、と最初に言ったと思うが」
俺の答えに大きくため息をつくと、大佐は立ち上がって俺達に背を向けた。右手に持っていた帽子を再び自分の頭に乗せると、部屋の奥側を占めているガラスから遥か下を見下ろす。
「とにかく、これ以上私はお前らに手助けは出来ないし、話すこともできない。申し訳ないが、ナポレオンの件も、だ」
アルフォンスがポケットに手を突っ込むと、困ったように笑みを浮かべる。仕方がないだろう。彼自身にも大企業の代表としての立場がある。これだけ話してくれただけでも十分な助けだ。
相棒に目配せすると、俺は窓の外を見つめているルトガーに向き直る。
「親父、すまなかった。これ以上は迷惑をかけない。勝手に調べるよ」
振り返って、いつもの様に愛嬌のある笑みを浮かべた大佐が告げる。
「気にするな。とにかく、無茶なことをして死ぬんじゃないぞ」
「分かってるさ」
答えて俺達は出口に向かう。ひとまずの方針が固まっただけでも大きな収穫だ。
「ああ、そういえば……だが」
両開きの扉の前に来たところで、ルトガーが思い出したように言葉を放った。振り返った俺の視線の先で、彼はまた帽子を無造作に回転させていた。
「イーリスのこと、ちょっと様子を見てきてくれないか?」
その背中が笑ったように俺には見えた。彼の意図を察して俺は口元を歪めた。
「自分で行けばいいじゃないか」
「ずいぶん長いこと喧嘩してるんだ、知ってるだろ?」
「それなら仕方がない」
「ついでに、レベッカが心配していたと伝えておいてくれると助かる」
何のついでなんだ、とは聞かない。確かに大佐に聞くよりある意味早いだろう。
「いいのか?」
含みをこめた俺の問いに、僅かに遅れて答えが返ってきた。
「あいつも大人だ。そういうことでは目くじらは立てないよ」
「そうかい」
俺は緩く首を振って、部屋の外に出た。追うべき目標は決まった。イオリをあたってみるつもりだったが、まずは頼み事を片付けてからだ。
大佐のふざけた言い草を思い出しながら、俺達はエレベーターに向かった。手がかりを得るのに彼女以上に頼れる人物はいないだろう。
親切だかお節介だかわからない、親父のその発言に乗ってやることにするとしよう。
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