第11話
本陣に戻った俺達を待っていたのは労いの言葉ではなく激しい糾弾だった。まぁ、敵に返り討ちにあったわけだからそれが当たり前なのだが。
聞いた話では、電撃戦が計画された段階で偵察は行われていたが、その時既に敵の主力部隊は別の作戦のためにあの施設にはいなかったらしい。敵に察知される前に攻撃しようという作戦が裏目に出たわけだ。
俺達にとってはそんな作戦のことはどうでもいい、と言いたいところなのだが、今回ばかりはそうとも言えない。
俺達が対峙した三人。あれは『名有り』だ。大戦期から生き抜き、戦果を残したガイスト達。彼らの多くは人間との戦争を生き抜くために、兵器として作られた者たちだ。戦争に勝つために、彼らもまた必死だったのだ。少なくとも現在のように、人間と同じように生活することを目的として戦っていたわけではなかった。
兵器故のその異様な姿から識別が容易であることもあいまって、戦後いつしかそうした者たちを、『名有り』と呼ぶようになった。そんな『名有り』達が三機とは言え、データを盗られたのは確実に俺達の判断ミスだ。あの瞬間の優先順位を間違えなければ、最悪の状況は防げた。
隊長も重傷、それ以外の兵士には死者さえ出ている。あそこで敵を封じ込めることが出来なかった俺達の責任は大きいだろう。そして、それだけの戦力をかけてまでガイストが手に入れようとしているもの。それに彼は、ジャン=ポール・グランデは関わっているのか。そして、最後に現れた白いトレンチコートの『名有り』。
想像以上に厄介な状況に関わってしまっていたようだ。ただ、これだけ大事になってくれば、公安も本腰を入れてこの件に関わってくるだろう。そういう意味ではガイスト達への心配はそれほど必要ないかもしれない。だとしても、早いところジャン=ポール氏を見つけなくてはならないということに変わりはないのだが。
改めて調査したが、工場の内部には殆ど何も残されていなかった。俺とアルフォンスはそれを確認して退散しようとしたのだが、何故か本陣にいた公安の偉そうな中年に呼び止められた。
なぜだか知らないが、今回の戦闘については全て口外しないように言われた。確かに負け戦を喧伝されては、あまり都合がよくないのかもしれない。それにしては口止めの仕方が妙と言えば妙だ。
アルフォンスはそれを聞いて何か思うところがあったのか、用事を思い出したなどとどこかに消えた。イオリはもちろん捜査があるだろうから、必然俺は一人で事務所に戻っていた。
ムサシノからすぐそこの北西ゲートで市内に一度戻り、地下鉄を乗り継いでセタガヤで降り、再び市外へ。遠回りだが、市外にはまともな交通網がないので、この方が余程早い。自動車は高価すぎてまだまだ手が届かない。軒下のバイクを動かすのを検討したほうが良いかもしれない。
まだ昼になったばかりで街は人で賑わっていた。曇り空から漏れる陽光が、時折ビルの窓を光らせてその度に視界の端にそれが焼き付いた。風もなく、早起きした俺には眠気を誘うような天気だった。
巨大な検問も、入れる側はともかく出る方はたいして見てもいない。市外を少し歩けば、すぐに事務所に着く。今後の方針はどうするべきか考えながら、ひとまず依頼人に連絡したほうが良いことに気付き、携帯端末を取り出す。
いつもの交番の角を曲がって、路地に入る。そういえば、アパートの隣には車が止まっていたが、誰も使っている所を見たことがない。有効に活用させていただくのも良いかもしれないと思い、画面を見る。
着信履歴。それも一人の人間から、複数回。依頼人からだった。余程切羽詰まった事があったのか。探し人が見つかった、というのなら有難いが。
階段を登りながら、通信を繋ぐ。
「もしもし!?」
切羽詰まった声と安堵したようなため息は、間違いなく彼女のものだった。何か心配事でもあったのか、彼女は俺の返事を待つことなく言葉を重ねる。
「良かった……クライスラーさん、今どちらに?」
返事をしようとして、目の前の状況に気づいた俺は通信を切ってドアの前まで歩いた。
「これは奇遇ですね」
どうにも洒落た事は言えなかった。
彼女を事務所に入れると、まずコーヒーを淹れることにした。
そうでもしなければ眠気で話など聞けそうもなかったというのもあるし、それ以上に彼女が落ち着きを失っていたからでもある。
俺に連絡がついて少しはマシになったようだが、それでも今だって一言も口を利かず思いつめたようにソファに座っている。いや、それは別に今に限った話ではなかったのかもしれない。少なくとも依頼を受けた日も、思い返せば似たようなものだった気がする。
コンビニで買ってきたインスタントのコーヒーを沸かすと、普段は使わないカップに入れて台所を離れる。片手のカップを応接用のテーブルに置いて、俺も反対側の椅子に腰掛けた。
「まぁ、その辺で買ってきたものですが……どうぞ」
「……ありがとうございます」
容器を掴むと、小さな声で礼を言って彼女はそれを傾けた。室内に湯気と香ばしい匂いが広がっていく。
俺も用意したコーヒーを口に含む。苦味というよりは酸味に近いそれを飲み込み、カップを置いて、目の前に座る彼女を見据えた。
「それで、一体どうされたんですか?」
「……依頼をお断りさせて欲しくて」
少しの間逡巡した後に、彼女はそう言い切る。
「はぁ、それはまた突然どういった理由で?」
彼女の答えを吟味するように、一度間を置いて答える。そう簡単にこちらも引き下がるわけにはいかない。彼女が何かを隠していることは明白なのだから。
「これ以上は探す意味がないと、そう考えたからです。資金の問題もありますが、徒労に終わるならもういいと思ったんです」
返答は早く、しっかりとしたものだった。俺はそれを気にする素振りを出さずにコーヒーを口に運び、静かに指摘する。
「しかし、あなたは依頼した時に私に、こう言われた。経費は気に留めない、大切な父のことだから、と」
「事情が変わりました。私にも自分の生活がありますし、限度というものがあります」
「そうですか」
波打つ茶色の液体を二秒ほど凝視して、俺は左手で目元を抑えた。
「それを告げるために今日はこちらに?」
「ええ」
「こう言ってはなんですが、わざわざ事務所に来て頂くほどのことでもなかったですね、それに」
俺は一旦そこで言葉を切った。彼女は俯いて、自分の手を見つめていた。
「何度も連絡を頂く必要もなかった。お急ぎでしたか?」
「そういうわけでは。ただ、もしかして何かトラブルに巻き込まれているのかと思ったんです」
返答の声は小さかった。
俺はカップを置くと、両手を組んで膝の上に置く。彼女の向こうに見える壁に視線を向ける。
「ところでグランデさん、私は職業柄、嘘をつく人にはよく会うので分かるんですが、嘘をついている人には独特の雰囲気があるんですよ。例えば、話している時の視線とか、まばたきの数とかね」
俺の言葉を信じたのか、彼女は怯えたようにその体をすくませた。もちろんハッタリだ。そんなもの知る由もない。これで何も隠していなかったら、さすがに申し訳ないな、などと思い、そんな事を思っている自分は探偵に向いていないと気付いた。
「グランデさん、話して頂けませんか。どのような事情かは分かりませんが、私達を信頼して下さい」
「……これを告げてしまっては、クライスラーさんやカートライトさんはきっと、この事から絶対に手を引いてくれなくなると思ったのです。そうなれば……」
言葉は途中で途切れ、彼女は俯いたまま自分の両手を見つめていた。彼女が何かを言ってくれるまで待つしかない。
その場に沈黙が満ちる。俺はただ、壁にかかった時計とコーヒーを交互に眺めていた。決然とした様子で彼女が顔を上げた。俺の計測では二分と四十三秒後だった。
「昨晩、私の部下がガイストに襲われ、殺されました」
「あなたの、部下ですか?」
俺の返答に頷きを返して彼女は話を続ける。
「ええ、あなたともお会いしたと思いますが、副所長のシマモリです。彼が研究のデータを移送する途中に、三機のガイストに襲撃されて殺された……と」
その声は震えていた。こみ上げてくる感情を押し留めるように、彼女は唇を噛み締めていた。その様子にかえって俺は衝撃を抑えこむことができた。目を閉じてあの時話した彼の様子を思い、すぐに開いた。
三機のガイスト、という辺りに嫌な予感しかなかったが、ひとまず全て話を聞くほうが先だ。
「それは、市内で、ということですか? それにデータの移送中というのは……?」
「ええ、市内です。研究所から本社への短い距離ということも合わさって、特に警戒していなかったのですが、何らかの方法で忍び込んだ少数のガイストによるものだと、公安の方は言っていました。目撃者がいたらしく、調査を続けているそうです」
「それで、彼の持っていたデータというのは?」
「副所長は、彼は……父とずっと研究をしていたのです。今回も父がいなくなったのを受けて、ひとまず研究をまとめたようでした」
得られた情報を吟味してみる。市内で、しかも短距離の移動を狙われるということ。ジャン=ポール氏が研究していたデータ。そして、三機のガイストが、しかも昨晩。
一つだけ確実なのは、シマモリ副所長を殺したのは、今朝方の『名有り』だろうということだ。思索する俺に、彼女は首を振りながら告げる。
「もういいんです。私は、これ以上自分のせいで誰かに傷ついてもらいたくないんです」
「ガイストの襲撃はあなたのせいではないでしょう。それにこのまま諦めてしまえば、あなたの父上が助からないかもしれないんですよ」
彼女はもう一度首を振った。その目に涙が浮かんでいることに俺は気づいた。
「そうじゃないんです。これは父の復讐なんです」
俺は言葉を失っていた。もちろんその事実自体は想定内のことだ。それでも、それを彼女自身に告げられるなどとは思ってもいなかった。
「父は、時々言っていました。人間にはうんざりだと。出来るならば精神だけを機械に託してガイストになりたいと」
彼女は弱々しい声で、俺に話し続ける。
「こんなことは父にしか出来ません。そうでなければ一体誰が、あんなピンポイントで社員の動きを補足できるんですか?」
彼女の言うとおりだった。シマモリ氏が襲われた状況は明らかに、研究所関係者の関与を示唆するものだ。
それに加えて、シマモリ自身が話したように彼もまた二十年前の事件を傍観した一人であり、そしてジャン=ポールの研究データの一部を持っていたはずだ。もし今までの襲撃がそれと同じような意図で行われたのなら全ての辻褄が合う。つまり、彼は人間への復讐を為すために、ガイストと協力しているということになる。
「しかし、それはあなたの責任じゃない」
俺はもう一度繰り返した。たとえ、それが彼女の父であってもそれは彼女の罪ではないはずだ。だが、彼女は笑った。自らを嘲るように。
「いいえ、私なんです。父が壊れてしまったのは、私のせいなんです」
「……何故そうだと?」
俺の問いに、彼女は懐から携帯端末を取り出し、自らの身分証明となるアカウントを示した。
「私はあの大井重工第一研究所の所長です。この意味がわかりますか?」
「それはつまり……」
「ええ、そうです。私は父を追い落として、父を所長から引きずり下ろして所長になったのです」
それは残酷な現実だった。恐らく彼女は優秀な研究員なのだろう。だからこそ、こんな状況が生まれてしまう。だが、それを彼女に帰するのは酷というものだった。
「もともと、私は母の連れ子で、父とは血が繋がっていません。母が死んでから、父は私のことをどう扱っていいか、いつも困っているようでした」
涙を零しながら彼女はそれでも言葉を紡ぐ。すべてを伝えることが彼女にとって救いであるとでも言うように。
「父はそれでも、私を大事にしてくれていたんです。なのに私が……私が父の研究を踏みにじるような事をしてしまって……」
嘆きは、掠れて消える。悲痛なその表情を見て、彼女の美しさはそうした脆さの中でもっとも輝くのだな、と頭の片隅で別の自分がそう言った。
「父は、手段を選ぶ気はないのだと思います。これ以上、クライスラーさんがこの事件に関われば、父はきっとあなたのことも殺そうとするでしょう。私はそうなってしまうのなら、父がこのままいなくなってしまっても構わない」
きっと彼女は誰よりも父親を愛しているのだろう。だからこそ、その父親を傷つけたことを責め、彼をこれ以上追い詰めたくないと思っている。俺にその選択が間違っていると、言う事は出来ない。俺はただの部外者であって、彼女の事も父親の事も何一つ分からない。彼女が嘘をついていても見抜くことなど到底出来はしないし、もしかして彼女が告げた副所長の話が嘘だという可能性さえ否定できない。
それでも、俺にも一つの矜持がある。どんな状況であっても、どんな事情でさえ曲げたくないと思う、誇りがある。俺は立ち上がった。驚いたように、俺を見上げる依頼人の濡れた瞳を見つめ返して、俺は彼女の前に立つ。
「グランデさん、それが依頼を断る理由ですか」
「はい」
「申し訳ないですが、それを受け入れるわけにはいきませんね」
「ダメです! お願いです! 私は……私は……」
縋るように伸ばされた彼女の手が俺の胸に触れた。
俺は大きく頭を振って、それを否定した。
「いいえ、これは別にあなたのためでも、それに亡くなったシマモリさんのためでもない」
「え……?」
目を見開いて、固まる彼女に俺は続ける。
「探偵というのは難儀な商売でしてね、ほとんどの客は紹介で来るんですよ。あなたのようにね。そんな私達にとって見れば評判というのが何より大事だ」
唇を舐める。コーヒーの残り香が舌先を掠めていった。
「だから、危険だからと言って依頼を断ったなんて評判が立ってしまっては困る」
「そんなことは私が――」
立ち上がった彼女が否定しようとする。その言葉を遮って俺は告げる。
「それに、私も探偵の端くれとして何をすべきかくらいはわかっているつもりです」
事務所の壁に視線を移す。かつてここにいた師匠から受け継いだ事に思いを馳せる。
「あなたはお父さんを思っているのでしょう。そんなあなたの思いを見過ごしてしまうことは私には出来ない。お父さんを救いたいと本当に思っているのなら、それは彼を連れ戻して和解することでしか成し得ないことのだから」
「私……私は……」
「どのみち、私は既に事件に、シマモリさんを襲った三機に関わってしまっている。あなたが心配しても詮無いことです」
「でも……」
力なく彼女の左手が俺の胸に打ち付けられた。同様にして倒れこむように右手も。
彼女の体重が俺にかかり、俯いた金髪の頭頂部が見えていた。
「必ず、私たちの手であなたの父上を連れ戻します。それに、まだ事件に関わっているかどうかだって分からないのですから」
顔を上げた彼女に微笑んだ。それがどれほどの効果があったのかなんて分からない。俺の微笑みなんて見るに堪えるものでもないだろうが、まぁ、気休め程度にはなるだろう。
彼女は俺の笑顔に何かを読み取って、そして、美しいその顔を歪めた。俺は何も言わなかった。沈黙のまま、俺達は向い合って互いの瞳を見つめた。彼女は、俺の背中に両腕を回す。俺の胸に顔を埋め、そして押し殺した声で泣いた。
美しい純白のうなじが俺の目前にあった。震える彼女の背を俺はどうすることも出来なかった。
高名な数多くの探偵方に敬意を表するなら、ここで彼女の肩を抱いて、受け止めてあげることが必要だったのかもしれない。だが、俺にはそんな器量も、度胸もない。もちろんその後に彼女を自分のベッドに誘ったりする勇気などはもってのほかだ。
上げかけた両手を下ろす。彼女を引き剥がすことも、抱きしめることも出来ないまま、俺はその震える背中をただ眺めていた。
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