第9話

 五分もしない内に、散らばっていた警官たちは隊列を組んで、広場の中心に集まっていた。

 先程イオリと話し込んでいた、指揮官らしき男が部隊の前に立ち、作戦の概要について説明していた。

 俺達がさっき聞いた話とまるで同じ内容ではあったが、やはりイオリの言った通り、ひとまずガイストを人間の居住域より追い払う、ということが今作戦の目的であるようだ。もとより、それが公安警察の存在理由でもあるのだから仕方がない。

 時刻はまだ朝の六時、朝日がようやく登ろうとしているところだ。それでも、公安の人々に気の緩みは感じられない。

 俺達はすぐに荒廃したムサシノの道路を歩き出した。周囲の建物の殆どは廃屋と化した住宅だ。事務所のあるトウキョウ西方、ヨコハマやカワサキ方面は、ガイストとの小競り合いが起きている地域があるとはいえ、主要な街道はほとんど人間側が抑えており、実際に最前線となっているのはナゴヤ辺りという事情がある。

 しかし、北方はここが最前線だ。ガイスト達もそれほど熱心に攻勢をかけてきているわけではないが、それでも他の地域に比べればはるかに危険だ。そうした事情もあって、この辺りは手付かずのまま残されているのだろう。これだけ広い敷地があれば、研究などには良さそうなものだが。

 左側には、窓ガラスの割られた庭付きの一戸建て。古びたテレビの黒い機体が、無言のまま傾いでいる。反対側の公民館のような建物の内部から気配を感じて、窓を覗くが何もいない。

 こんな所に住むのは神経を使いそうだ。俺の住んでいるところも廃墟同然とは言え、そこにはまだ生活感がある。よく通る場所の瓦礫は取り除かれているし、道を歩けば近所には誰かが歩いていて、同じ場所で生きている人がいることを実感できる。

 だが、ここにはそれはない。ただ、何か潜んでいるような不気味な気配だけがある。それが廃墟、というものなのかもしれないが。

 前方の歩兵たちは淀みなく進む。ここまでの偵察で、敵がまだこちらに気づいていないようだということは分かっているのだろう。それでも、万全を期して、小型のドローンで瓦礫の陰の捜索は欠かさない。一定の行軍速度を保ちながら、少しずつ瓦礫の街を進んでいく。

 隊員たちは皆一様に群青色の制服で統一して、アサルトライフルを持っている。ところどころに、透明の盾を持っているものや、巨大な砲を担いでいるものもいた。幾人かはこちらのことが気になっているのか、しきりに振り返っては俺達を見ている。彼らには、俺達のことについて詳しい説明はしていないと聞いたし、それも当然だ。

 十五分ほど進むと、少し開けた土地に出た。かつては、高架道路への入り口だったのだろう、大きな交差点の真上には巨大な建造物が架かっており、それは右前方の道路からつながっていた。左前方は開けた空地になっており、その先には遠く巨大な建物が三つほど集まっているのが見える。

「ここらでオレ達は別れるとするか」

 イオリがそう言って、前方で立ち止まっていた隊長格の元へと向かう。アルフォンスが追従したので、俺もそれに倣う。

「時計合わせは……大丈夫そうだな。今から十五分後に作戦開始だ。俺達は高架道路の陰から、施設の背後に回りこんで先制を仕掛ける。テメェらは、オレ達が崩した所を一気に背後から狙え」

「あの、イオリさん、そちらの部隊の人数が少なすぎるかと存じます。それでは、挟撃の意味が無いのでは……」

 イオリが時間を確認しながら告げるが、相手は納得していないようだった。彼があっけらかんとした表情を見せる。

「なに、心配いらねぇよ。テメェらは背後からしっかり敵を攻撃してくれりゃあいい」

「いえ、そうではなく、三人だけでは囮にすらなりません。確かにイオリさんは強いですが、それでは、瞬時に壊滅してしまうのでは……」

「こいつらのことを気にしてんのか? それなら心配いらねぇぜ」

「そう……なのですか」

「ああ、南ドイツの英雄さんが暇を持て余して来てくれたんだからな」

「南ドイツ……! ですか?」

 咳き込むようにして聞き返す隊長。余程驚いたのだろう。

 それもそのはず、彼が挙げた戦場は正真正銘の地獄。そこで英雄と呼ばれた活躍をした者の多くは、今や巨大な軍事企業の役員や司令官をしていたり、政治家に転身したりと、スケールの違う人物ばかりだ。まさかこんな気の抜けた馬鹿が、その内の一人とは思いもすまい。

「そうだ、だから、俺達は確実に作戦を遂行できる。お前たちは何一つ心配する必要はないぞ」

「り、了解しました」

 隊長がたじろいで頷くと、隊員たちを連れて、左側へと向かった。それを横目に見ながら、俺達は高架道路の足元へと走りだす。

「やれやれ、堅物ばっかりでいけねぇな。公安の本隊は」

 そう言ってイオリは先頭を走る。

「お前が警官にしては自由すぎるだけだろう」

「そんなことないぜ。機捜にはもっと変な奴がたくさんいる」

「それは機捜だからだろう」

「っていうか、機捜のやつはいつも一人でしか捜査しないの?」

 俺の後ろから、アルフォンスが話に入ってくる。

「いや、でかいヤマだと、オレ達も集まって捜査とかしないわけじゃねぇぜ」

「そんな奴等をひとまとめにしようなんて、公安警察は頭がおかしいな」

「違いないね」

 アルフォンスも同意する。

 前方には置き去りにされた乗用車が幾つも止められていた。既に錆びかけて赤黒くなった車体の上部を蹴って、イオリは五メートルほど上の道路の縁に手を伸ばす。つかんだ右手でそのまま一気に体を持ち上げて上まで登っていった。

 俺は左手をコートの右上腕に添えて、目を閉じる。

「目覚めよ、フェルディナンド。我が下に来たれ」

 言葉と同時目を開き、コートへと意識を向ける。いや、既にこれはコートではない。人格を持った、それ以上のものだ。世界が書き換わる感触があった。魂に直接触れるようなそんな感覚。

 同時、俺の意図を汲んで、身に纏ったそれが俺の肉体を支持する。締め付けるように俺の体を支え、俺の筋肉をより効率よく稼働させるシステム。

 同じ車の天井を両足で思い切り踏んで宙へ。道路の淵に右足を引っ掛け、もう一度蹴って着地した。イオリが茶化して口笛を吹く。下を見ると、アルフォンスが隣の車から壁をけって三角飛びの要領で上に来る。

「まったく、お前らみたいなのに着いていこうと思ったら大変だ」

 そう言ってくたびれた顔を見せるアルフォンスだが、自分とて遅れずについてきているのだから人のことを言えたものではない。

 高架道路の上には役目を終えた自動車やガラクタが積み上げられて、バリケードのように道を塞いでいる。イオリが軽い足取りでそれらをかわしながら進んでいく。

 道路は左前方に弧を描いて進んでおり、ちょうど俺達が目指す施設の周囲を回るようにして道路が作られているようだった。振り返ると、警官たちが進んでいった方面にはあまり障害物がなく、開けた平地になっているのが分かる。恐らく、元々は商業施設の駐車場だったのだろう。

 その向こう側には城壁のように積み上げられた自動車と、陰に見える白い建物。どうやらあれが目的の地点のようだ。静かに佇むその白亜の宮殿の周囲に特に動くものは見当たらない。とは言え、警戒を怠っているわけではないのだろう、城壁の端々にはほかの場所よりも高くなったところがあり、そこを物見として使っているようだ。

 崩れ落ちた道路の断層を飛び越えて、傾いた大型車両の側面に着地。真横を走るアルフォンスは、何やら自分の拳銃に向けて話しかけていた。あいつの銃には常時ガイストが定着しているから、大方世間話でもしているんだろう。

 目の前を走るイオリが立ち止まった。

「ここからは下を行く」

 そう言うと、道路が絶たれてしまっている地点から、下に向かって飛び降りる。崩れた道路の破片が幾つかの層を形成しながら、十メートルほど下まで続いていた。不安定なそれらを踏み外すことなく、次々に跳躍してサムライは進んでいく。

「あいつ、あれで本当に生身か?」

「食ってる量からして違うだろう? ほら行くぞ」

 アルフォンスがうんざりしたように、下を眺める。時間もなさそうなので先に降りさせてもらった。

 思っていた以上に足場は固定されておらず、足元が揺れているのも感じ取れた。とは言え、この程度を恐れていれば探偵稼業なんてやっていられない。

 既に地上に着いたイオリは、周囲を確認して施設の外壁の方へと向かい始めている。目的地は目の前で、後は背後に回りこむだけだ。俺も地面に到達。やや遅れてアルフォンスが隣に。

 この辺りはガイスト達も足を踏み入れることが多いのか、道の中心は綺麗に片付けてあった。凸凹になった路面には、鉄板が敷かれ整えられている。周囲の建物のところどころに銃痕が残っているのは、かつての戦闘の結果なのだろうか。

 目の前に見える銀色の高い壁を右手に曲がり、瓦礫の陰を利用して工場の角までたどり着く。右側前方、屋根の剥がされた建物の後ろでイオリが待っていた。もう一度周囲を警戒して走る。時計を眺めていたイオリは俺達の到着に気付くと顔を上げた。

「開始時刻まであと一分ってところか。ギリギリだな」

 ちょうど左側前方に、裏口のような形で小さな黒い門が置かれていた。あまりこちらから攻め込まれる、という想定はないのだろう。左右に二人ほど兵士が立っているものの、それ以外に目立った防衛施設や兵士はなさそうに見える。表にあったような大仰な鋼の城壁はなく、無機質な鉄板が塀代わりに敷地を囲っているだけだ。

「見たところ、それほど警戒されてる様子はねぇな」

「呑気なもんだ」

 アルフォンスが二丁の拳銃を手元で弄ぶ。イオリは懐から短機関銃を取り出して弾倉を確認していた。

「アルバ、先行しろ。オレ達が援護する。敵が集まってきたらなるべく時間を稼げるように合流して戦う。それで問題ねぇよな?」

 イオリの問いに俺は無言で頷く。隣でアルフォンスも肯定の意を示す。もう一度時計を取り出したイオリが数秒の沈黙。

「作戦、開始」

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