第7話
電灯に照らされた広い道を、一台の自動車が風を切って走り去っていった。左右には控えめに照らされたネオンと、そこから漏れ聞こえる人々の嬌声。壊れきったこの街にも人がいる限り、失われないものが確かにある。沈みきった夕日が見つめる先に青白く痩せこけた月があった。
瓦礫も残った市外の歩道もこの時間になれば、人通りの多い場所ではたくさんの店が客を受け入れる。ゲートのすぐ近くのここでも、多くの居酒屋が店を構えている。
市外に住んでいる人々は、中での仕事を得ることが出来ずに苦しい生活を強いられている者も多いし、そうでなくても常に危険にさらされた世界に暮らしている。そして、娯楽も中に比べれば少ないここでは、人々はこうした場所に集うことでストレスと折り合いをつけて生きている。
もっとも、そんな生き方は市内に住む人々とて、同じといえば同じなのだが。
ゲートからつながる大通りを事務所の方へと歩き、まばらに歩く人たちと自然に同じペースでまっすぐ歩いていく。横では客を捕まえようと若い女性が声をかけてくる。片手を上げてそれを断ると、二つほど曲がり角を超えた先の小さな看板の店を目指す。
『おおとり』と書かれたその看板を横目に、引き戸を引いて暖簾をくぐった。
「いらっしゃいま……あんたか」
目付きの悪い女性がカウンターの向こうに立っていた。
「そこにいるわよ」
俺の顔を見て一段と眉をひそめた彼女は、俺が何か言うより先に、コの字になったカウンターの入り口からもっとも遠い場所を示した。
「すまないな」
俺の礼を聞いていたのかいないのか、彼女は既に手元のグラスを拭く作業に戻っていた。薄暗い店内は白い光が僅かに照らして、木張りの床がきしむ音だけの静かな世界だった。カウンターに座る何人かの客の背中を見ながら、店主の示した場所へ。既にアルフォンスが座っていた。
「なんだっていうんだ。いきなり呼び出してきて」
店内の雰囲気を鑑みて、自然と俺の声も小さくなるが、相棒はいつもの調子だった。
「まぁ、いいじゃないの。座りなよ、アルバ」
既にグラスを傾けていた相棒の横に俺も座る。顔を上げて、なにか頼もうとしたところで既に目の前に店主の手があった。
「いつもと同じやつね」
「あ、イーリスちゃん私にも同じの。あと、今度私と一緒にご飯いかない?」
またしても一言だけ告げると彼女は元の位置に戻っていく。アルフォンスの話を聞かないのもいつものことだ。
目の前のジントニックに口をつけると、再びアルフォンスに向き直った。
「それで? 話っていうのは一体何なんだ?」
「ああ、一応アルバが言ってた、イオリが追っているっていう事件を少し調べてみたんだ」
アルフォンスもこちらを向く。どうやらいつもよりは真面目に働いているようだった。
「それで?」
「何かあるんじゃないかとは思ってたが、やっぱりそうだった。イオリはそういう観点で調べてなかったから、気づいてなくてもしょうがないだろうけど」
そう言って、アルフォンスは手元においていたタブレット型の端末をこちらに滑らせた。画面上には何人かの顔画像と、その個人情報が委細に記されている。
「被害者はここまで十人。全部が大企業の役員だったり、研究所の元締めだったりするわけだが、この内ムラタの社長さんも含めた八人にはある共通点がある」
そう言って横合いから手を伸ばすと、画面上を叩く。羅列された文字列の一部が赤く浮き上がる。
「大井重工第一研究所所属か……」
「そう、その前後の経歴にそれぞれ違いはあれど、共通しているのはその項目。ちなみにいた時期もほぼ一致してる。だいたい、二十五年前から二十年前にかけて、ね」
俺は自分の携帯端末を取り出して、シマモリに聞いたメモを開く。三人のうち、二人の名前がすでにそこにあった。当たり前といえば、当たり前だ。シマモリもそれほど頻繁に連絡を取っていたのでなければ、今回の事件を知らないというのも不思議ではない。
「どうした、アルバ?」
俺の取り出した端末を横から覗き込むアルフォンス。
「今日は確か大井重工に話を聞きに行ってたんだろ……ってこの名前」
「副所長さんにジャン=ポールの昔の同僚について何人か教えてもらったんだが……」
「この有り様か……一体全体どうしたもんかな」
「もっと悪い話がある。しかも、ちょうどそいつらが揃っていた時期にな」
俺は昼に聞いた話をアルフォンスに教えてやった。さすがの奴も苦笑いというところだった。
「たまげたね。まるで復讐だな、こりゃ」
「質の悪い冗談だ、全く」
「だが、実際に起こっているわけだし。この分じゃ、おっさんも生きているかどうか分からんなぁ」
「もっとひどいかもしれない、殺した側って可能性も有り得る」
「確かにそうだけど……いくらなんでも、たった一人じゃ無理だろうさ」
アルフォンスはそう言って盃を煽った。
確かにそうだ。あのムラタの時と同じ手口だというなら(大体そうでなければ、イオリが食いついては来ない)、その手法はガイストにしか出来ない方法であるはずだ。もちろん、それを用意することは別に難しいことではない。今時なら市外でだって手に入れようと思えば手に入らないものは無いくらいだ。
だが、彼がいなくなってからまだ三日しか経っていない。その間に被害者は十人。確かに時期としては一致する。しかし、これを個人の犯行と考えるのはどうしたって無理がある。
「つまり、そこに彼の研究が関わってくるわけか……?」
「そう考えるより、旧大井の関係者を狙っているって考えたほうがいいんじゃない?」
「誰が、何のために、そんなことをする」
「そりゃあ、お前……」
アルフォンスが言いかけたところで、俺達の視線の先で引き戸が開く。
「お、来たかな」
アルフォンスの言葉通り店主は客にこちらを指し示していた。薄暗いカウンターの向こうを歩いてくるのは、黒い着物の巨漢、イオリ・オオサワだ。
「いよう、イオリ、久しぶり」
「アルか、久しぶりだな。最近は随分と大人しくしているみたいじゃねぇか」
「私はあんたと戦うのは御免でね」
「そうか? オレはそれが楽しみで仕方がないぜ」
男はそう言って獰猛な笑みを浮かべると俺の横に座った。目の前に立った店主が酒を持ってくると、イオリは次々と料理を頼む。イオリに怖気つくこともなく、頼みすぎよ、などと文句を言いながら、注文を聞いた彼女はカウンターの奥のキッチンへと戻っていった。
「アルフォンス、こいつもお前が呼んだのか」
「ああ、たまには一緒にどうかと思ってね」
「それだけじゃねぇんだろ? アル、オレを呼びつけたのは」
「まーね、それだけじゃない。あんたが今調べてる事件についても少し話を聞きたかったってのもある」
サムライは豪快にグラスを掲げると、一気に飲み干してテーブルに置いた。
「オレの事件か? 何故そんなことを気にする?」
「この前も言ったと思うが、今俺たちが追いかけている奴がどうもそっちと関わっているようでな」
片手で盃を掴んだまま睨むイオリに、俺が言葉を返す。
「ああ、この前もなんか言ってたな……それがどうかしたのかよ」
「その事件の被害者と、私達の探し人、何らかの関わりがありそうだったのさ」
今度はアルフォンスが答える。怪訝そうに口元を抑えて、イオリはしばし黙り込んだ。
「お前は調べていなかったみたいだけどさ、全員が二十年前に大井重工の研究所にいたメンバーだったわけよ」
アルフォンスが続けるが、それを遮って、淡々とイオリは話し始める。
「いや、それは確かに気になるんだが……犯人は、もう確定してるんだよ。ムラタのビルの捜査でな、ようやく足がついた。市外に本拠地を持つガイストたちの勢力だ」
「……そうなのか、目的は?」
予想外の答えに戸惑ったが、すぐに聞き返す。
「恐らくだが、死霊科学の研究データが狙いだったみたいだぜ。アルバ、テメェが取り返そうとしていたデータ、あれだけじゃなくてそれに近いものを幾つも狙っていたらしい。それで、狙いも元研究者上がりなんだと思うんだがよ」
「カメラに残ってたのか?」
「ああ、今回のはな。それに加えて各地での目撃情報を照らしあわせて、数人の犯人を炙りだした。そいつらが正規のIDを使ってねぇこともな。で、奴等の本拠地が分かったのが、ついさっきって事よ」
彼にしては珍しく大きくため息をつくと、机に頬杖をつく。
「しかも、本部ときたら明日早朝に突撃決行とか抜かしやがった。別に戦うのは構いやしねぇが、どう考えても焦り過ぎだ。前線の方も慌ただしいみたいだし、他のところから何人引っ張って来れるかも分からん」
そんな愚痴を吐き出す男の前に、店主が立つ。彼女は山盛りの料理をイオリの前に並べていく。
「すまねぇが、もう一杯」
店主は呆れた顔を隠さないが、すぐに彼の目前に盃が差し出された。野菜炒めやら、焼飯やらカレーやら中華やら、様々な料理を彼は一瞥すると、こちらを向いた。
「テメェらは食わねぇのか?」
「食べるんだったら頼んでるよ。どうせあんた一人で全部食べるんだろ」
「お前、そんなに食ってよく死なねーよな……」
憮然とした顔のイオリに、俺達二人は呆れ顔を向ける。この男の大食いは度が過ぎている。というか、明日早朝から仕事じゃないのか。
「しょうがねぇだろ、腹が減ってるんだからよ」
言いながら、一気にカレーを食べ尽くして、次の皿に手を伸ばした。
「それにしても、テメェらもツイてないよな。ただの人探しのつもりだったんだろ?」
「お前のせいだ、アルフォンス。お前の」
「アルバ、美女を助けるのはな、私の生命よりも大事なことなんだ、仕方ないんだ」
「なら、依頼さえこなせればお前を殺してもいいわけだ」
「待て、相棒、早まるな、私がいなくなると事務所の名前を変えなきゃいけなくなるぞ」
「あ? それってどういう意味なんだ、アル?」
俺達の言い合いに、片手にフォークを持ったままのイオリが反応した。
「それはな、我々の事務所名はCA探偵事務所というわけだが、これは先代の所長のイニシャルから取られている。しかし、何と彼と同じイニシャルなのは、私だけ。アルバは、残念、惜しかったのだよ」
アルフォンスが楽しげにそう言ってこちらへと視線を向ける。俺が気にしていることを知っていて、そういうことを言いやがる。
「アルバもイニシャルはCAじゃねぇのかよ」
「俺の姓はKの方で綴るんだ。Cじゃないんだよ、イオリ」
納得したように、イオリが頷いた。
「紛らわしいよな。だいたい、テメェらの名前だって紛らわしくてやってらんねぇぜ。何がアルバとアルだよ、一字しか違わねぇじゃねぇかよ」
「それはお前の呼び方のせいだろう」
「まー、そうだな。じゃあ、アルバのことはあんたも所長と呼ぶといいよ。なにせCA探偵事務所の所長だからさ」
「しつこいぞ、アルフォンス。イニシャルくらい俺は気にしてない」
「なら、素直に事務所の名前を変えればいいだろうさ。あいつがそんなこと気にすると思う?」
「そういう問題じゃないんだよ」
「面倒なやつだな、所長は」
「イオリ……何でその呼び方にしたんだよ……」
俺の言葉を聞いているのかいないのか、イオリは既に並べられた料理との対話に戻っていて、返事はなかった。
腹が減ってきたのか、アルフォンスも結局料理を頼むことにしたらしい。この店は、店主もよく分からないが、メニューもよく分からない。メニュー表がどこにあるわけでもないが、頼めばそれなりに何でも出てくるので誰も何も言わない。
何故だか、俺も焼きそばが食べたくなってきてしまって、俺も頼むことにした。余りが残っていたのか、一分ほどで出てきた焼きそばをかきこんでいると、既にイオリは食事を終えて更に酒を頼んでいるところだった。
「ところで、イオリ、お前明日ガイストの本拠地を叩くとか言ってなかったか? 大丈夫なのかよ」
「あー、問題ねぇ。そんなに強い奴もいなさそうだからな、作戦自体が成功するかはともかく、戦闘自体には今回は興味がねぇよ」
そういう問題なのだろうか。
「まぁ、今日はこのくらいにしとくけどな」
「……このくらい」
「ああ、なんだよ、アルバ、焼きそば食わないのか?」
「いや、食うぞ、食う」
野生動物みたいな目で見られても困る。そんなに飢えてるなら新しいのを頼んでくれ。
「なぁ、イオリ。もし、人数が足りないなら、私達二人はどう?」
唐突に俺の横から身を乗り出して、アルフォンスが尋ねる。
「ん? そうだなぁ、別に悪かねぇと思うぜ。はっきり言って猫の手も借りたいってところだからな。むしろ、テメェらが来てくれるなら、だいぶ助かる。頼んで来てもらいたいくらいだ」
「そうか? なら、私達も明日その作戦に参加しようか」
いつもの悪巧みをしている、空々しい笑みを浮かべているアルフォンスに思わず詰め寄る。
「おい、アルフォンス、今度は一体、どういうこ――」
「ガイストが事件に関わってるかもしれないなら、それを調べるには直接行ったほうが早いだろ」
鋭いアルフォンスの反論を二秒ほど吟味して、俺は肩をすくめた。
「わかったよ、それでいい」
「まぁ、この分は貸しって事で頼むぜ、機捜のエース」
「ふざけやがって、と言いてぇところだが、今回ばかりは助かった。現場で多少勝手に動くのは好きにしてくれ」
こちらも呆れたように首を振るイオリ。どちらにしても、このことは調べなくてはならなかっただろうから、今回ばかりはアルフォンスの悪巧みも役に立ちそうだ、と言わざるを得ない。
目の前の焼きそばを眺める。ソースの匂いが食欲をそそった。
「それにしても、なんだってデータなんて狙ってんだい、ガイスト諸君は?」
隣でラーメンを啜りながらアルフォンスがイオリに話しかける。
「それが分からねぇから行くんだろうが。それに、まぁ、別に珍しい話でもねぇだろ」
「そうと言えば、そうだがよ、わざわざ同じ会社のやつばっかり狙ったのはやっぱり理由があるんじゃないか?」
「そりゃあ確かにそうだが」
酒が入ったからだろう、二人共いつもにましてよく喋る。
俺は手元に残った焼きそばに箸を伸ばす。野菜に味が染み込んでいて美味い。俺のグラスもいつの間にか空になっていた。しかし、明日のことを考えるとそうのんびりもしていられない。
最後に残った豚肉の旨味を噛み締めて、俺は立ち上がった。
「先にお暇するよ」
「何言ってんだアルバ、もう少しゆっくりしていけよ」
「明日、戦闘なんだろ? イオリ、どこにいつ頃行けばいい?」
「ん? ああ、叩くのはここからだと北、ムサシノ辺りの工場だ。作戦本部は工場から三キロ離れた地点に設営中だそうだ」
「後でデータをくれ」
「おう、了解したぜ」
「じゃあな、アルフォンス。言い出しっぺが遅れるんじゃないぞ」
「分かっております、所長」
ニヤリと笑ってアルフォンスが親指を立てた。いちいち癪に障る奴だ。俺はそれを無視して、そのまま出口へと向かった。その手前で、店主が立ちはだかる。
「食い逃げ?」
正直忘れていた。財布は持ち歩いていなかったが、幸いポケットの中の小銭で丁度だった。
「アンタ、また厄介なことに巻き込まれてるの?」
「まぁ、そうとも言うな」
「ふーん」
自分で聞いてきて、特に話を広げるつもりもないらしい。古びたキャッシャーに俺から受け取った小銭を入れると、まだ若い店主は、肩の上でまとめていた長い銀髪を下ろした。
「厄介事を処理するのが俺の仕事だからな」
「……あたしは別の仕事が一段落したから」
「何かあったらまた頼むかもしれん」
「ええ、気が向いたら手伝ってあげるわ」
軽く話をして外に出ようとしたところで、アルフォンスがこちらを見ているの気が付いた。
「あー、イーリスちゃん、私とも話しようよ。少しずつでいいから仲良くなっていこうよー」
イーリスと呼ばれた店主は心底困ったという表情で俺を見るが、俺にはどうしようもない。
「適当に相手してやってくれ」
そう彼女に答えて戸を引いた。青く染まった夜の空が広がっている。
目を凝らす。子供の頃に戦場で見つけた星座を探そうとして、やめた。コートを口元まで引き上げると、俺は帰路についた。
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