第6話

 はっきり言って、それは研究所という場所には不似合いな門だった。見上げるほどに高く、そして分厚い鋼鉄の壁が、これまた巨大な閂で固く閉ざされている。

 シナガワ駅の東、港がすぐ横に見える埋立地の広い一角をその施設は占めていた。大井重工第一研究所。死霊科学研究所とも呼ばれている。トウキョウでもこれだけ大規模に死霊科学を研究している場所は他には殆ど無い。それは、革命というものが起こるずっと前からだ。

 死霊科学はただのオカルト、科学などとはおこがましい、そう思っている人間の方が明らかに多い。俺だって、職業や生まれが違えばきっとそうだったろう。ガイストだったら、もっと熱烈に死霊科学を研究していたかもしれないわけだが。

 研究所は牢獄と言っても過言でないような高い壁で囲われていた。十メートルほどの高い壁の上には、機関銃の取り付けられた監視カメラ。恐らく電流が流されているであろう、ワイヤーがそのカメラの間を繋いでいる。そして、その中心に今俺の眼の前にある巨大な門があった。

 横にある守衛室には、屈強な警備員が座っていた。

「アルバート・クライスラーだ。許可を取ったと思うが」

 近寄って窓を叩くと、俺はそう告げた。昨日、ナタリーに職場の人間に話を聞きたいといったところ、すぐにここへの訪問許可を取り付けてくれたのだ。彼女自身は今日は本社にいるので、不在だと言っていたが。

「少々お待ちください」

 大柄なその体躯に似合わない丁寧な言葉で、守衛は返答する。市外で見ればまず間違いなくチンピラのボスだと思うほどの巨漢がそんな話し方をするのは、なかなかどうして面白い。

 守衛は手元の紙をめくると、俺の名前を見つけて持っていたペンで丸をつける。林檎だって握りつぶせそうな巨漢が持つと、普通のペンもパスタほど細く見える。

「ええ、面会の許可は出ていますね」

「そうかい。この門が開くのかい」

「いえ、そちらから応接室へどうぞ」

 俺の言葉を軽く流して守衛は、門の方を指さした。ちょうど門の横から、塀を越える高さの階段が見えていた。聞かれ慣れているのかもしれない。

「物資輸送以外は開きませんね。社員の方々もあちらから入ります」

 俺の顔色を見て、椅子に座ったまま淡々と男が説明してくれた。

「でも、そこに階段があったら、せっかくこんな大きな壁を作っても意味が無いんじゃないか?」

「そうでもないですね」

 男はそれ以上の追及を拒絶するように冷たい笑みを見せてくる。企業秘密というやつだ。俺は分かった、というように二回ほど頷いて階段へと向かった。

 金属製の階段を登ると、左右にセンサーが付けられた通路が五メートルほど。その向こう側には『大井重工』とプリントされたガラス製の自動扉が、訪問者を歓迎していた。

 中には受付があり、退屈そうに女性がそこに立っていた。ひとまず話を聞こうとしたところで、横合いから声をかけられた。

「あんたが探偵さんかい?」

 振り向くと、白衣を着た男性が立っていた。俺よりは少し背が高いが、研究者というよりもオフィスワーカーというイメージが良く似合う。ジャン=ポール氏のように痩せこけてはおらず、人当たりのよさそうな顔をしている。少し生え際が交代してきている髪と、黒い縁のメガネの奥に見えるシワが彼の年齢を示していた。

「はい、そうですが」

「これはどうも。私は第一研の副所長をやっている、コウゾウ・シマモリです。グランデさんとは同じ部署に所属しています」

「アルバート・クライスラーです。今日はお時間を割いて頂きありがとうございます」

「なに、彼が見つからないと我々も困るのでね。椅子、どうぞ」

 そう言って受付の横にある椅子を彼は示した。

 俺の向かい側にシマモリは腰掛ける。横の窓ガラスからは、幾つもの研究施設が互いに離れた所に建っているのが見える。道路で繋がれたそれらの施設の向こう側には、大きな倉庫のような施設もあった。

「随分と広いんですね」

「ああ、大井重工の研究施設は全てここに集められているからね。だから、こんなにセキュリティにも力を入れているのさ」

 男は俺と同じように窓の外を眺めながら誇らしげに言った。

「ここから先に部外者は入れないわけですか?」

「そういうことだね、基本的には」

「なるほど」

 確かに全ての研究所が集まっているのならこれだけの警備もするだろう。なにせ天下に名の轟く大井重工だ。

「それで、具体的にはどんなことを聞きに来たんだい?」

「ええ、グランデさんがどんな人だったのか、ですとか、どんな話を良くしていた、といった情報があれば、彼が向かった先の見当もつくかと思ったもので」

「ん、なるほどね……それは所長よりも確かに私のほうが詳しいかもしれない。というか、今の研究員はほとんど彼と関わっていないだろうからなぁ」

「それはまた妙な話ですね」

 俺の言葉に、少しだけ眉を上げてシマモリは否定を示す。

「そうでもないさ。むしろああなっても研究所に残されていたってことの方が、割と不思議だったよ」

「ああなっても、とは一体?」

「おや、聞いていないのかい。昔は大層な研究者だったが、最近はもう気が狂ったみたいに、類感によるガイストの選別なんてことを一人でやっていてねぇ、所長もそのことではだいぶ困っていたようだったね」

「ああ、その話でしたらナタリーさんから聞きました」

 そんな大げさには言っていなかったが。

 俺の相槌に、副所長は少し怪訝そうな顔をして言葉を続ける。

「まぁ、私がここに来た二十五年前には所長だったのに。いつのまにやらあんなふうになってしまってね」

「その頃は彼もやはり普通に周りの人と接していたのですか?」

「ん? いや、どうだったかな。まぁ、確かに昔から研究一筋な人だったとは思うが、普通に同僚と酒を飲みに行くくらいの余裕はあったと思うんだがなぁ」

 当時は私もまだ新米でね、と懐かしそうにシマモリは顎をさすった。

「ちなみに当時の方々は皆どちらへ?」

「ああ、野心的な奴が多くてね、独立して起業した奴が多いな。別の会社の役員なんてのもいるかもしれない」

「確かにドイツにいた私もよく大井の名前は聞きましたから、よほど優秀な方が多かったのでしょう」

「そうだなぁ、まぁそれはどっちかといえば、第二研とか、第四研の方だと思うけど。確かにあの頃はすごい人が多かった。別に今が悪いわけじゃあないけど」

 俺の言葉に満足そうに頷くシマモリ。ただ、昔の知り合いというのがいれば、もしかするとそこでのトラブルということは十分有り得る。革命初期の頃だから、ナタリーが知らないのも当たり前だ。

「覚えている限りでいいので、その頃の研究所のメンバーを挙げてみて頂けませんか。もしかすると何か手がかりを持っているかもしれない」

「ああ、ただ、申し訳ないんだが。私が知っているのは二人、三人くらいしかいなくてね。それで良ければ」

 そう言って彼は幾人かの名前を上げた。彼らが属しているのは、どれも軍事産業に関わる、かなり大きな企業ばかりだった。

「特に彼と仲良くしていたのは誰か、と言うのは?」

「すまない、分からないね」

「ちなみに他に彼が仲良くしていた人に心当たりは無いですか? 別の研究所等で」

「うーん、あんまり思いつかないな。だいたい他の研究所とはほとんど関わりは無いし、あの頃はまだ革命の前だったから、今よりも忙しかったし」

「そうですか」

 首をひねってまだ考え続けている副所長。やはりジャン=ポールは人付き合いが少なかったのだろう。むしろこれだけ情報が集まっただけでも十分と言える。

 携帯端末に記録した元同僚のデータを見ながら、もう一つ質問をぶつけてみる。

「グランデさんが、狂ってしまった理由みたいなものについては、何か分かりませんか?」

「それは……ああ……」

 先ほどまで躊躇いなく話し続けていたシマモリが顔を強ばらせた。人の良さそうな表情を曇らせ、困ったように頭を掻いている。研究者というよりは、やはり大企業の中間管理職という方が似合っている。

「何か、あったのですか?」

 言いよどむということは、何かしら引っかかる事実があるということなのだろう。気にはなったが、あまり無理に聞き出そうとしても意味が無い。先ほどまでと同じ調子で聞いてみる。

「いや、ただの噂、というか、聞いた話なんだが」

 少し声を下げると、左右に二回ほど視線を動かして、シマモリはまたこちらを向いた。

「彼が所長だった頃に、実はこの研究所で一人職員が死んでるんだよ」

 僕も一応知り合いだった人だけど、と小さくこぼして男は話を続ける。

「なかなか腕利きの研究者でね、当時は副所長だったけど、恐らくいずれは所長になるだろうなんて言われてた。いわゆる天才ってやつだね。ただ、本人はそんな気はなかったみたいで、グランデさんの補佐でいい、なんて言ってた。で、革命が始まってから彼女、結婚してんだけど、半年もしない内に彼女の夫が死んだんだよ」

 そこで一度言葉を切ると、こちらに向けていた視線を自らの手元にやった。

「その後も彼女は普通に働いてたんだけど、妙な噂が流れだしてね、曰く、彼女の夫はガイストで、だから殺されたんだ、なんていう質の悪い噂がね」

「ガイスト、ですか? しかし、その頃は――」

「そう、革命初期だからね。今だったらそれこそ外に出るなりロシアまで渡るなりすれば何とかならない話でもない。でも、その当時にガイストと、なんて到底受け入れられたはずもない。何人かの研究員は彼女にすごい風当たりが強くなったし、そうでなくても彼女は孤立していった」

「彼女自身はそのことを知っていて結婚したか、ということは?」

「さぁ、分からないさ。それにこんなに偉そうに話してはいるけど、私だって別に彼女のために何かしてあげたわけじゃない、今思えば私も同罪なんだろうな」

 何処か哀しげに、彼は口の端を引き上げた。

「だけど、一番それを苦しく感じていたのは、多分所長、つまり、グランデさんだったと思うんだよ。なにせ、あれだけ信頼していた部下が職場で居場所がなくなって、だけど彼も何か手を打てるわけではなかったし」

「そのことが彼を苛んでいたと?」

 俺の問いにシマモリは目を閉じて緩く首を振った。

「もう、二十数年前の話だからね。それがきっかけかどうか、なんて分からないさ。ただ、あの人が孤独になっていったのも、それ以降だった、と思う。結婚したみたいだったけど、すぐ離婚したと聞いたし」

「そうですか……ちなみに、その女性は、亡くなられたということですが」

「ああ、そんなことになって少ししてから、体調を崩して研究所に来なくなってね、そのまま死んでしまったと聞いた」

 そう言いながらシマモリは立ち上がって、窓の向こう、海の方角を見つめた。

「会社にその後話があったわけでもないし、結局私が知っているのはそれくらいだよ」

「そうですか……」

 答えて俺も海を見つめた。小さく見える船が、暗い色の海を揺らしていった。

「まだ他に何かあるかい?」

「そうですね、ひとまずは大丈夫です。あの、もしよろしければ、他の方にも話を伺いたいんですが」

「ああ、できればそれは勘弁してほしい。私より古参の研究員がいないというのもあるし、……何より所長の身内ということで特別に許可を取ったそうなんだ。当然だけど、一応内部の人間関係とかも社外秘らしくてさ」

 男は窓の方を見たまま、軽い口調でそう言った。これだけのセキュリティを備える会社だ。おそらく事実だろうし、この男が最古参ならほかの職員が彼より詳しいという可能性もまぁ低いだろう。

「そうですか……分かりました。今日はありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。一応曲がりなりにも私の先輩だからね、早く見つけてもらえたら嬉しいよ」

 振り向いてシマモリが右手を差し出す。満面の笑みを浮かべた彼の右手を握り返して、俺は頷いた。

「ええ、出来る限りのことをさせて頂きます」

 ひとまずは有用な話が聞けた。不穏な話ばかりで頭が痛くなったが。

 ふと気になっていたことを一つ思い出して、椅子から立ち上がった副所長に声をかける。

「シマモリさん、その亡くなった女性の名前はなんというんですか?」

「バタイユ。ヴァレリー・バタイユだよ」

 案の定、聞いたことのない名前だった。小さい声で告げた彼は、軽く頭を下げると受付の向こう側の通路に去っていく。ポケットの中の小銭を探りながら、俺もまた出口へと向かった。

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