第3話
小鳥の囀りが何かを告げるように静かな道路を横断していった。眩い光が廃墟の隙間を帯のように抜けて、路面を照らしている。早朝の道路は人通りも少なく、静寂の中を時折小型の乗用車が通り過ぎて行く。
向かう先には、巨大に立ちはだかる透明な壁。その間のゲートの前には、人だかりが出来つつあった。公安の連中も早起きで結構なことだ。
砕けたアスファルトを蹴飛ばしながら進む。さっさと帰って眠りたいところだが、依頼主への報告がまだだ。こんな早朝から大企業のお偉いさんは起きていないだろうから、仮眠くらいは取れるだろうか。
前方に見えていたコンビニの中で、青年店員が眠たそうに口元を抑えた。呑気なものだがそんなものだ。後でコーヒーでも買いに行ってやろう。
ガイスト達とて、わざわざこんな寂れた市外を狙ったところで何のメリットもないから、この辺りは至って平和だ。それに、彼らの多くは人間と同じように生きる、ということを求めている。わざわざ問題を起こしたがらない奴も多いのだ。
まだ短い探偵生活だが、何度かそういう手合いに出会ったこともある。もちろん、本人にそうだと言われるまで気が付かなかった。なにせ、自分も半分機械なのだ。この時代では珍しいことでもないし、見た目で判別できるとは思えない。
人の業は深い、なんて大げさなことを思って馬鹿馬鹿しくなった。そんな大仰な話でもないだろう。鋼の体の人間がいるなら、機械に意思があったところで不思議はない。
店舗のガラス越しに店内を覗きながら、ヒビの入った舗装道路を歩く。目の前にはかつて交番だっただろう建物が左手に。道はそのまま下って行くがそこを右に曲がって、一つ内側の小道へ。少し段差になった歩道を降りて車道を進んだ。
寂れてはいるが、誰か住んでいるのであろう小さなアパートを横目に見ながら、二つ目の角を左へ。
この辺りは、大戦期にゲリラ作戦で狙われていたこともあり、誰も住まなくなった廃墟が多い。それでも、全員があの隔離された都の中に住めるわけではないし、戸籍の登録と交通手段さえあれば、それなりに不便なく暮らすことは出来る。
俺のような貧乏で胡散臭い職業の人間にはもってこいの場所だ。
『それにもちろん、こういう場所にいるからこそ仕事も多いんだ。』
と、師匠は言っていたが、どうにもそんな気がしないのは何故だろう。
大きな車庫を備えた一軒家を左に見ながら、右に曲がる。あの家には誰か住んでいた気がするがよく覚えていない。
曲がった先、右手にはまだ無残に屋根を破壊された小さな小屋と、五階建てのマンション。その反対側、マンションの影になったところにある、小さなアパート。
ここが師匠から受け継いだCA探偵事務所であり、俺の自宅だ。二部屋借りて片方を事務所に、片方を自室にしている。
と言っても、別にこのアパートを所有している誰かがいるわけでもない。先程も言ったように、この辺りは戦闘が行われた地域にかなり近かったこともあり、土地の所有はかなり有耶無耶になっていると聞いた。ガイスト達が拠点を築いている旧工場地帯なども含め、この辺りの支配に関してはトーキョーの連中は無関心なのだろう。
古びた階段を上って二階へ。下には誰の物か分からない古びたバイク。今時珍しい手動運転のものだから、前の住民の忘れ物かもしれない。
右ポケットに手を突っ込む。携帯端末が僅かな重みを伝える。指で押し退けて、金属製の鍵を取り出す。そういえばと思い逆側のポケットを探るが、小銭はどこかに落としてきてしまったようだ。煙草の空箱と、ライターだけだった。
通路を歩いて、二つ目の扉の前で立ち止まる。萎びたキャベツみたいな色をした扉には小さな鍵穴が二つと、横にはインターホンを模したセキュリティ装置。別に盗られて困るようなものはないのだが、職業柄どうしても個人情報を扱わねばならないし、それが守れない探偵は信用されない。
目の前にかざした俺の右腕を装置から発したレーザー光が精査する。システムが照合をする間、逆の手で鍵穴に差し込んだ鍵を回す。
こんな程度の防壁ならあまり意味は無いのかもしれないが、時間稼ぎにはなるだろう。少なくとも、電子化していないこの手の鍵は開けるのにそれなりの時間を要する。それ自体がある種の防壁だ。時代が変わっても盗人はきっと変わらない。
入って目の前にもう一つ扉。上部のガラス部分に『CA探偵事務所』と記されたプレート。立て付けが悪くなってきたドアを開けて、事務所の中へ。
コートを脱いで机の上に放り投げると、部屋の外の洗面所に。流水で顔を洗うと、意識の浮遊した感覚が薄らぐ。
昨晩は火災でそのまま脱出する羽目になったが、このまま放置するのはさすがにまずいだろう。明日辺りもう一度あの工場を見に行きたいところだが、あれだけの火災が起きたならガイスト達の方も何らかの調査や復旧作業を行っているはずだから、難しいところだ。
とはいえ別の所に移されたりしたのでは、調べるのが困難になる。今回は奪われた直後に強襲をかける形だったので、場所の特定も容易だったが、本来市外のガイスト達の動きを捕捉するのはかなり骨が折れる。
いずれにしても、一度報告をしてみないことにはなんともならない。こういうことになると企業の社長なんて手合いは面倒だが、まぁ諦めるとしよう。
部屋に戻り、机の上に置き去りになっていたタオルで顔を拭く。壁にかかった時計は既に朝の六時を指していた。一休み入れたいところだが、そんなに時間があるわけでもない。アルフォンスが逃げなければもっと早く片付いたものを。それにしても随時あの調子だが、どこから生活費を捻出していることやら。今度会ったらそれを奪って事務所の維持費に充てよう。
芋づる式に嫌なことを思い出す。浮気調査の依頼人に要求された一部始終についてのレポート。公安に要請されていた調査の結果報告。その他、細々としたものではあるが幾つか仕事が積み重なっていた気がする。げんなりして無意識に左ポケットを叩くが、そういえば煙草はもうなかった。大きくため息をついて、煙草は健康に良くないからな、と一人呟く。
代わりにとばかり、いつもの通り机の上に転がしていた缶コーヒーを手に取った。プルタブに爪を引っ掛けると同時に、鳴り出したのは同じ机上の通信端末。事務所用に置いてある、通話専用の簡単なものだ。どうにも今日は間が悪い。小型のそれを手にとってボタンを押す。
「はい、CA探偵事務所ですが」
「朝早くからすみません。そちらがシャルーさんの探偵事務所ですか?」
機械の向こうから聞こえてきたのは涼やかな女性の声。落ち着いたその声からは年齢を読み取ることが出来なかった。
「ええ、オーギュスト・シャルーの探偵事務所ですが。依頼のご相談ですか?」
「はい、シャルーさんに一つお仕事を頼みたいのですが……」
「恐れ入りますが、シャルーは遠方に調査に行っておりまして不在なのです。私はシャルーの部下で、アルバート・クライスラーと申します。よろしければ私で伺いましょうか」
シャルー――俺の師匠でこの事務所の前所長――は随分前から行方不明なのだが、そんな情報はわざわざ言う必要もないだろう。
「そうですか……その……少し混みいった話なんですが、私の父が二日ほど前からいなくなってしまったんです」
「なるほど」
「父は死霊科学の研究者なのですが、研究所にも書斎にもいませんし、もともとあまり出かけないで家にこもっている性分なので心配になってしまって」
「ははぁ。父上のご友人に連絡を取られたりなどは?」
珍しく探偵らしい仕事だ。探偵なんて言って殴りあいばかりやっている事の方がおかしいのだが。
「いえ、まだですが……父の友人に心当たりもないですし」
「そうですか。ひとまず直接お会いして詳しいお話をお聞かせ願えればと思うのですが……ご都合は如何でしょう」
「事務所まで伺った方が良かったですか? すみません」
「いえ、それには及びませんよ。市内の方が安心して頂けるかと思いますし」
「では、私も仕事があるので十二時に……」
しばしそこで沈黙した後、彼女は喫茶店の名前を言った。
「分かりました。もし、お持ちであれば探している方の画像もご用意を。あと、すみませんお名前を伺っても?」
「あ、すみません。ナタリー・グランデです」
「グランデ様、分かりました。それでは一旦失礼します」
「はい、では後ほど」
数秒間の静寂の後、向こう側からは通話終了を告げる音だけが虚しく聞こえてきた。そっと端末を机に戻し、ポケットから自分の携帯端末を取り出すと喫茶店の名前を調べる。
シナガワ辺りの店だった。急がなくてもここからなら一時間程度で着くだろう。正直に言ってやる気が出なかった。昨晩からほとんど寝てもいないのに加えて、どうにもはっきりとしない女性の物言い。もちろん、それもいつものことなのだが。
そして喜ばしいことに、この事務所は仕事を受けないなんて選択肢が許されるほど、余裕のある経営はしていない。厄介なことに巻き込まれなければそれでいいだろう。甘ったるい缶コーヒーに口をつけると、俺は書類の片付けに戻ることにした。
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