第三幕 Shall we dance? 4

 数日後。


「――ヴィル。用意はできたか」


 ドアの向こうで騒動の張本人が話しかけている。


 もちろんヴィルはその声を聞いてはいたのだが、返事する気力もなかったのでそれを敢えて無視することに決めた。

 圧迫される腹部。背後でコルセットの紐を「もう一息」と呟きながらひときわ大きく締め付けるマリアンがいた。


「っ……! もう無理。吐きそう」


 ヴィルはそう呟きながら肩越しにマリアンをねめつける。

 世の女性陣はどうしてこれほどまでに無茶なことをするのだろうか。腹をここまで縛り付けるなど正気の沙汰でないし、貧血で倒れることがあるというのも納得だ。この国は一応科学と医療が発達しているのだから、その十分すぎる技術で締め付けのない衣服を開発すればよいだろう。というか、


「こんなにもな細腰を魅力的だと感じる世の男性陣はただの莫迦なんじゃないか」


 つい本音が漏れたヴィルである。


「今のうちに愚痴は全部言っておきなさい」


 マリアンはそんな本音すらバッサリと切り捨て、淡々とヴィルの着付けを完了させた。


「はい、これで準備はばっちり。ドレス着用時の歩き方は練習通りに。困ったときは総帥の影に隠れればどうにかなるでしょう」

 そう言うと、彼女はドレスの裾を翻し、控室の戸を開けた。「ティー。準備ができたわ。エスコートをお願い」


 扉の向こうで彼らは一言二言言葉を交わし、それからようやくティーが顔を覗かせる。彼はいつもの軍服姿――徽章の数がいつもと異なるので、正規の着こなしをしているものと思われる――で、右目を覆う眼帯は外していた。


「……ほう」


 ティーの第一声はだった。

 ヴィルは彼とは一切目を合わせず、椅子の背にかけていたオーガンジーのショールを肩にかけた。

 白を基調としたドレスに、アイボリーのレースがふんだんにあしらわれている。細く絞られた腰には生花を用いた飾りが施され、首元にはコンフェッション・システム制御装置を隠すため、大粒の青い宝石を用いた首飾りがかけられていた。長い金色のつけ毛はふんわりと巻かれ、これも白いドレスによく映えるものであった。


「どう? 素材がいいときれいに見えるわね」


 マリアンは「自信作!」とふんぞりかえりながらティーに言い放った。


「上出来。これならどう見ても女性にしか見えないな」

 そこまで言ったティーは、おや、と微かに表情を曇らせる。「……ヴィル、顔が青いぞ」

「お腹が死ぬほど苦しいです」


 もうオブラートに包む余裕すらないヴィルは、棘のある言い方しかできない状況にあった。


「もう……、仕事とはいえ、今回だけですからね。恥ずかしいったらない」


 彼のことを少々甘やかしすぎている気がしてならない。ティーに対し「今回だけ」のフレーズを一体何回言っただろう。ヴィルは嫌になって、その時点で考えるのを止めた。


「ああ。これはあくまで仕事だ。ちゃんと全うしてくれなければ困る」

 とはいえ、とティーは声色を落としそっと呟く。「――いちど見てみたい気持ちはあったが」


 その言葉が聞き取れなかったので、ヴィルはきょとんとしながらもう一度言うよう促した。ティーは苦笑しながら首を横に振り、


「いや、なんでも」


 と短く言ったきり、再び同じ言葉をかけることはなかった。


***


 会場は実に華やかな様子であった。


 招待客の顔ぶれを見て、ヴィルは内心性に合わないと考えていた。そこで挨拶を交わした人物も、その隣で談笑している人物も、いずれもロンドバルディアの資産家だ。かと思えば、ヴィルがよく知るローズ社の技術者や軍務省関係者までも入り交ざっている。


 ティー曰く、「うちの出資元や技術関係者が集結している。ヘマはやらかすなよ。とんだ大恥をかくぞ」とのことだ。


 それを抜きにしても、総帥の横にいるというただそれだけで視線が集中するのはいかがなものだろう。小声で「未来の総帥婦人」がどうとか囁かれているのを耳に資、ヴィルは思わず寒気がした。やはり次にこのような仕事がきた場合は丁重にお断りさせてもらおう。そう思うことにした。


「ヴィアンカ。こちら、今回の新型エル・システム開発責任者のテリー・マックナイトだ」


 ティーが呼んだ。ちなみにヴィアンカというのは偽名である。

 ヴィルは作り笑いを浮かべ丁寧に挨拶すると、テリーは何を思ったのだろう。にこやかな笑みを浮かべつつ、


「はは、総帥とお似合いですな。素敵なお嬢さんだ」


 鳥肌を立てながら、ヴィルはそっとティーの背後に隠れた。


「申し訳ありません、彼女は少々でして」


 こうしているとティーが勝手に言い訳をしてくれるので、それを存分に利用しているヴィルである。それを聞いたテリーはおや、と怪訝な顔をしつつ、二言三言言葉を交わして去っていく。直後にティーから無言のままに叱られたのは秘密だ。


 その時、会場の明かりが落とされた。


《大変お待たせいたしました。それでは、新システムを搭載した戦闘機“エル・システム”カスタムモードを発表いたします》


 アナウンスが入ったのと同時に、ステージにスポットライトが当たる。


 歓声が沸いた。

 新たなエル・システムは従来型に比べ十パーセントほど軽量化され、新たにパンツァー・エイドに近いガン・モードを搭載したらしい。ヴィルが駆るパンツァー・エイドは戦闘中によく左腕部を銃器へ変形させているが、その処理はコンフェッション・システムの影響を多分に受けた所謂“未知の設計”であった。それを今回ローズ社の研究チームが解析し、類似のシステムを編み出したのだという。ただ、あくまでいうだけで、変形するにはそれなりの時間を要するし、今までよりも駆動範囲が拡大された影響でジョイント部の強度が通常型よりも劣る。


 おおむねこのような説明がアナウンスされ、ヴィルは珍しいものを見るような目でそれを眺めた。乗ってみたい気もしないでもないが、外観のピンクだけはやめてほしい、と思った。


『ヴィル』


 突然コンフェッション・システムの起動音が脳を貫き、ティーの声が響いた。


『なに?』


 それに答えつつ隣にいたティーを仰ぐと、彼はいつになく真剣な面持ちでいる。


『お前、ちょっとあいつを尾行してこい』

 そう言って、扉付近にいる男を指した。『あいつ、先ほどから様子がおかしい』


 ヴィルは肯定し、そっとティーの横を離れた。

 男は場外へ出ていった。それに続きヴィルも外に出る。


「……あれ?」


 廊下を見渡すが、そこにはすでに誰もいなかった。それほど間をおかずに出たはずなのだが。

 ヴィルは僅かに逡巡し、左右の廊下、それから床に引かれた赤いカーペットを順番に見つめる。


 あまり論理的ではないが、おそらく右の廊下だろう。左の廊下はスタッフ・ルームがあるので、誰かにその姿を見られる可能性の方が高いのではなかろうか。

 そう思ったヴィルは右の廊下へ足を運んだ。角を曲がったところで、いくつか扉がある。いずれもしっかりと閉じられているが、その中でひとつだけ半開きになっている箇所があることに気が付いた。


 ヴィルはそっと近づき、耳を澄ませる。


 男二人の声が聞こえるが、少し距離があるからだろう。何を話しているかまでははっきりと聞き取れなかった。ヴィルはそのまま息を殺し、音を立てぬようそっと扉の中に足を踏み入れた。


 だが。


 突然腕を引かれ、ヴィルの身体は硬直する。喉からひゅっ、と空気の抜ける音がしたが、同時に口を塞がれたのでそれ以上声を上げることはなかった。


「静かに」


 聞き慣れないテノール・ヴォイス。耳元で短く囁き、それに驚いたヴィルは硬直したまま動けなくなる。


 強烈なフラッシュ・バック。

 あの夜のことを唐突に思い出した。

 そうしている間にも男たちは何かを話、それから別の出入り口から外へ出て行った。


 どれくらいそうしていただろう。ヴィルはしばらくその体勢のままでいたが、ややあって拘束が解放された。

 黒い短髪の男で、なかなかきれいな顔だちをしていた。肌は陶器のように白く、瞳の色は青と黒――左右で異なる色をしていた。それを見て、ヴィルは不思議とティーの姿を連想した。


「はは、見つかっちゃったね」

 男はそう言ってきさくに笑った。「君、総帥に言われて追ってきたんだろ」


 ヴィルはかたく口を閉ざし、その問いには決して答えなかった。この人物が何者かは分からないが、慎重に言葉を選ぶべきだ。そうしなければ、足元をすくわれる気さえした。


「あなたは、グランの方ですか?」


 囁くような声色でヴィルが尋ねる。


「うん、そう。僕の部下が勝手に新型エル・システムのデータを奪取しようとしているみたいでさ。僕直々にやめさせに来ちゃったよ」


 部下と言っているということは、どうやら彼はグラン国の高官であるらしい。であれば、もしかしたら一度は会ったことがあったかもしれない。じっと押し黙り、総帥が過去にやり取りしたことのある人物――を、ユーリーが全て資料化していた――を思い返す。だが、この顔にはまるで覚えがなかった。


 それにしても、新型エル・システムのデータを持ち出すためにこの場に潜入しようとはなかなか大胆なことをする。


「即刻退去願います」

「やだよ。というか、今日の僕の立ち位置は君の味方なんだけど。失礼しちゃうなぁ」

 男は張り付いた笑顔のまま言った。「ね、


 その言葉を耳にしたヴィルは思わず硬直する。

 今、この男は一体なんと言っただろう。


 男は動揺するヴィルの顔をそっと覗き込んだ。笑顔のまま、じっとヴィルの金眼を見つめている。瞳の奥深くまで見透かすような眼差しに、ヴィルはたじろぎ、思わず目を逸らした。


「あなたは誰だ」


 ようやく一言だけ口にしたものの、男がその問いに答えることはなかった。彼は腕時計に目を落とし、「おや」と声を上げる。


「もうこんな時間だ。君ももう行った方がいい」


 そう言いながら、男はヴィルに何かを握らせた。――黄色い塗装が施されたカードだ。


「新型エル・システムの起動カードのコピーだ。あれは従来のエル・システムと同じ方法で起動する」

「どうして、それを」

「おたくと締結している条約の関係でね。は双方の仕様を把握している」


 刹那、ぐい、と腕を引かれた。それと同時に、頬に何か柔らかい感触があった。――キスされたのだと気づく前に、


「僕たちはまた会うよ。続きは今度、ね」


 男は笑顔のまま部屋から出て行った。

 ヴィルは呆然としたまま座り込んでいたが、はっとして我に返ると、真っ先に頬をぬぐった。

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