第三幕 Shall we dance? 3

「ああ、面白かった! ケインズでさえあそこまでやらなかったのに」


 けらけらと笑うのは先程のツインテールの女性。その目の前で、ヴィルは思わずがっくりと肩を落としうなだれてしまった。

 ここは右院の応接間である。そう、ティーが昨夜言っていた“上客”とやらは彼女のことだったのだ。

 ヴィルは未だ笑い続けている彼女へと向き直り、改めてこのように言った。


「失礼しました。まさか総帥の言う上客がマリアン嬢だったとは」

「いいえ。けしかけたのは元々私です。気にしないで」


 そう言いながら、彼女――マリアンは左手を胸の前で振って見せる。


 ――そうは言われても。


 ヴィルは思う。


 例の件で左院の執務室は半壊しているし、外壁も大きくひびが入っていた。それについて、先ほどギアからこっそりと「給料から引いておきますから。修理代」と耳打ちされたヴィルである。それは結局のところいくらかかるのだろう。思わず暗い溜息をついてしまった。

 そもそも先刻の襲撃自体が新左院特吏に対する“ご挨拶”というやつで、先代のケインズ然り、歴代の左官が通ってきた道なのだとか。それを聞きヴィルはようやく合点がいった。だからユーリーもレナードも“上客”と聞いた際尋常でないほどに怯えていたのだ。


 その時、いつもの軍服を身にまとったティーが姿を現した。その目に浮かび上がるのは、興味と好奇心。もっとひどい言い方をすれば、まるで珍獣を見るかのような表情でふたりを見つめる。


「また派手にやってくれたな」


 ティーの発言に、「あら」とマリアンは上品な笑みを浮かべた。こうしてみると本当にどこぞの令嬢らしい淑やかな素振りで、とても先ほど飛行艇を用いて銃撃戦を挑んだ者とは思えない。


「ごきげんよう、総帥」

「いつもいつもお前は。この建物をいつかぶち壊す気だろう」

「失礼ね。そんなことするはずありませんわ! あなたという金づ……、取引相手が我が社にとってどれだけ大切か、あなたもご存じでしょう?」

「おい、本音が漏れてるぞ、本音が」


 お互い楽しそうに笑っているくせに、どこか禍々しいものがあるというか、敵意すら感じられるのは気のせいだろうか。

 ヴィルはなんだか頭痛がして、ゆっくりと息をついた。少し彼らから離れたほうがいいだろう。そう思い、


「お茶、淹れてきます」


 そう言い残すと、ヴィルはのろのろと暗い影を背負って部屋から出て行った。


 それをティーは無言で見送ると、

「……なんだ、知り合いだったのか?」

 とマリアンに尋ねる。


 彼女はきょとんとし、「知らなかったのですか?」と問いただした。


「うちの親会社があの子の元実家ですの。言うなれば幼馴染です」

「……うん? 親会社が実家?」

 ティーが怪訝な顔をする。「おまえのとこの親会社ってだろ」

「ええ、その通りです。っと……、そういえばあの子に口止めされていたんでした。聞かなかったことにしてくださいね」


 ここまではっきりと断言しておきながら何を言う。


 ティーはそう言いかけ、――不毛な戦いになりそうだったのでやめた。わざわざ口止めしているということは本当に詮索されたくないことなのだろうし、別に今追及する理由もない。

 そう思いながら、ティーは柔らかいソファーに腰掛けた。そして目の前で楽しそうに笑う彼女に向け、かなり厳しい口調で問いかけた。


「それで、一体何の用だ。今期の取引は既に完了しているし、まさか新左院特吏の顔を拝みに来ただけではないだろ」


 マリアンは張り付いた笑顔のまま、彼に一通の蝋で留められた封筒を差し出した。


***


 その頃、給湯室にいたヴィルはやかんを片手に何度目かの深いため息をついていた。

 まさかこのタイミングで彼女・マリアンと再会するとは思っていなかったのである。


 ヴィルがスルバラン家とつながりがあったことは先述の通りだが、スルバラン家は工匠としての側面も持つ。マリアン――マリアン・ローズはスルバラン家が持つ『ボレアリス』『アウストリウス』の知識をもとに汎用戦闘機を開発、あくまで『子会社』というような形で両国に技術提供をしている女社長だ。


 ヴィルが現在のブランクーシ家に養子に出る前は、彼女とは週一回の頻度で顔を合わせていた。当然彼女もヴィルの本当の性別を知っているわけで、気まずいといったらないのである。


 そしてこうも思う。おそらく今回の件で「ヴィルがスルバラン家とつながりがある」ということをティーに知られてしまうだろう。


 ――もういっそのこと全部説明したほうが早いのではないか。


 すさまじく面倒な展開になっていることに、ほとほと嫌気がさしてくる。

 そんなことを考えていると、突然、コンフェッション・システムが起動した。


『ヴィル。ちょっといいか?』


 ティーである。いつになく落ち着かない様子の呼びかけだ。


「紅茶ならまだですよ。それとも、茶菓子が足りていないのですか」

『違う。そうじゃない』


 じゃあなんだ。おれは忙しいのだ。

 そう言おうとしたところ、ティーは心底嫌そうに妙なことを尋ねてきた。


『お前、社交マナーはどの程度学んでいる?』

「はあ? 実家で一通りやったけど……。それがどうかした?」


 もちろん男性の立ち振る舞いだけだが。

 ヴィルが返すと、さらにティーが質問を投げかける。


『ダンスは?』

「ええと、あまり得意ではないですが、困らない程度には」

『助かった!』


 何が助かったのだろうか、この人は。

 また何かよからぬことを企んでいるような気がして、ヴィルはため息混じりに尋ねた。


「結局何が言いたいの? ダンスの指導ならお断りです」

『違う。お前、俺のファースト・レディになれ』


 なんだか変なことを言われた気がした。

 ヴィルはその言葉を脳内で何度も反芻し、ようやく、その意味を理解する。


「……はあ?」


***


「一体どういう風の吹き回しですか。おれ、そういう冗談は嫌いです」


 ヴィルは眉間にしわを寄せ、それはもう滝のような勢いで紅茶をどぼどぼと注いだ。そしてそれを乱暴にティーの前に置く。

 ティーはその様子に呆れつつ、嗜めるような口調で言った。


「話を聞け、話を」


 内心いらだちながらも、ヴィルは黙って口を閉じる。お人よしだろうが怒るときは怒る。しかし話くらいは聞いてやらない訳ではない。それがヴィルの信条である。たとえそれが原因で厄介ごとに巻き込まれたとしても、聞かないよりはマシだった。

 その様子を見て、安心したようにティーは口を開く。


「ローズ社でこのたび新型エル・システムを開発したんだが、それの発表会という名目でパーティーを催すそうだ」

「要するに、ティーには相手がいない、ということですね」

「最後まで話を聞け」


 そのやりとりにマリアンはくすくすと笑い、


「この人に相手がいないのは本当よ。そもそも厄介ごとばかりの男に付き合ってやろうなんて誰も思わないでしょう?」

「確かに」

「おい……!」


 そこで本題、と、ティーは一度腰の折れた話を再び戻した。明らかに先程までとは態度が異なる。それでヴィルはやっと納得し、話を聞くことにした。


「今回の発表会はあくまで身内間で行う予定だが、万が一のことがあっては困る。ここ数週間、グランの連中に表立った動きが見られないのも気になるし」

「――つまり、おれはティーと新型エル・システムの護衛をしろと」

「そう」


 物分りがよくて助かる、とティーはやっと紅茶を口にした。

 マリアンにおかわりをせがまれたので、新たに注ぎ直してやると、ヴィルは暫しの逡巡の後このように言った。


「レナードとユーリー、あとギア右官が許可を出したら、いいですよ」


 予想外の返答に、さすがのティーも慌てたらしい。珍しく声を荒げ、


「は? おいお前、今の話聞いていたか?」

「ええ」

 ヴィルはいつになく優しい声色で言う。「今日の一連の出来事のせいで、左院保管資料約五百枚が全て台無しなんですよ。この責任はもちろん特吏のおれにありますので、一週間くらい復旧に時間をいただきます。ここでおれの独断で返事をしたら、最終的に泣くのは総帥ですがなにか問題でも」

「おまっ……」

「おれ、そろそろ『お人よし』をやめようと思うんです。さあ、悔しかったら三人に許可を取ってください」


 それがあまりに悔しかったのか、ティーはむっとした表情で、近くにあった受話器を取り、左院に内線を繋いだ。


「おい、レナード。そこにユーリーもいるか」


 ――どうせ無駄だ。

 内心ヴィルはほくそ笑んでいた。

 誰だって、自分の仕事を増やされるのは嫌だろう。そもそも今抱えている業務の大半は元々総帥がやるべき仕事なので、いっそのことここで反省してもらおう。そう考えていたのだ。


 だが、しかし。


「ああ。……そうか、助かった」


 まさか。

 ヴィルはティーから受話器を奪い取り、思わず叫んだ。


「ちょっ、ちょっとレナード! まさか許可したの?」


 少し間を空けて、受話器の向こうのレナードは肯定の返事をした。


『ええ、そうですが』

「何で? 仕事増えるよ!」

『いや、それもそうなのですが』

 レナードがぽつりと悲しげに言う。『……ユーリーが当日の衣装作ると言って聞かなくて。許可しなければ記憶した左院保管資料の復元をしないそうです。その、すみません。あなたの保身と資料の復旧とで天秤にかけました』

「……いや、いいんだ。資料の復元がかかっているんじゃあ、仕方ない」


 そして、受話器を置いた。

 隣で愉快そうに笑うティーのことを、このときほど憎たらしいと思ったことはないだろう。ヴィルはのろのろとティーへ目を向けると、受話器を彼に手渡した。


「あと一人だな」

「そうですね……」


 だが、きっとギアなら止めてくれるに違いない。そう期待しつつ、ヴィルは右院へ内線を回すティーへ目を向ける。


 ――そういえば、重要なことを聞いていなかった。


 そんな莫迦みたいなやりとりを傍観していたマリアンに対し、ヴィルは背後から近づき、そっと耳打ちをする。


「あの、マリアン嬢」


 マリアンが怪訝な顔でヴィルを仰ぐ。どうしたの? とでも言わんばかりに、小首を傾げて見せた。


「いや、その。もしおれがそれに付き合うことになった場合、」


 女の子の恰好、しなければならないのでしょうか。

 そう耳打ちすると、


「決まっているじゃない!」


 あっさり言われてしまったので、ヴィルはさらに耳打ちを続ける。


「あの、……おれが女だってこと、ティーは知らないんですっ」

「あら、そうなの? それならちょうどいいじゃない。カミングアウトもできて」

「困ります! 仕事に支障が出るし、なにより、おれ、女の子の仕草とかまったく分かりません」

「教えてあげるから」

「いや、そういう問題じゃなく……」


 不毛なやり取りを続けるふたりに対し、内線を回していたティーが声をかけた。顔を上げると、そこには真顔で親指を立てるティーの姿があった。

 まさか。

 ヴィルは受話器を取り上げると、事の次第を確かめるべく口を開いた。


「もっ、もしもし、ギアさん!」

『ああ、左官。申し訳ないのですが、その茶番に付き合ってもらえますか』

「最後の砦がどうしてこうも貧弱なことを言うのですか! 最後まで戦いなさい!」


 ヴィルがとうとうその場に崩れ落ちた。ここまで泣きそうになるのも久しぶりだ。お人よしを続けて早数年、ここまでの理不尽を受ける理由などない。

 その様子が声色だけで伝わったのだろう。ギアがいつになく優しい声で言った。これがもしも対面している場であれば、慰めのために肩を叩かれているに違いない。


『安心してください、捌けない分はこちらで対応しますので。そちらのミッションの方が重要度が高いですし、……さすがに“お前の首が飛ぶぞ”なんて脅されたら、許可しないわけには』

「そうですか。じゃあ遠慮なく押し付けますね……覚悟してください」


 そう言い残し、ヴィルは静かに受話器を置く。


「男に二言はない、よな?」


 楽しそうに笑うティーを見たら、余計に断ることはできなかった。


 ――おれが一体なにをした。


 これほど自分のお人よしを恨んだことはない。

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