第三幕 Shall we dance? 2
「おはようございます」
始業三分前。
左院執務室にいつもより一〇分遅れてヴィルが入室した。レナードとユーリーは既に業務を始める準備を終え、一度休憩を挟んでいるところだった。
「おはようござ――ヴィルさん? どうしたんですか、その髪」
「ヴィルたん髪濡れてるー」
レナードとユーリーに同時に指摘され、ヴィルは乾いた笑いを浮かべた。
「ごめん、寝坊した」
やっぱりか、とレナードは呟く。
ヴィル曰く。
昨夜日課をこなした後、“彼”が風呂から上がってくるのを待っていたら、いつの間にか眠っていた。気がついたら朝で、肩に毛布がかけられている状態だった。紅茶は減っていたので、飲んでくれてはいたらしい。しかし、何故起こしてくれなかったのか。おかげでゆっくり風呂に入れず、今朝慌ててシャワーだけ浴び、朝食抜きで出廷しなければならなかったのだ。
要約するとこんな内容の言い訳をひとしきり話したのち、ヴィルはようやく首に垂らしたままにしていたネクタイを結び直した。
「だから夜遅くまで活動しないでください。お願いですから、今日は早く寝て下さい」
「ああ、いや。でも日課が」
「は?」
「うん。シャンプーしてやらないと」
その発言にレナードが小さくため息をついたのには、さすがのヴィルも気づかなかった。
今日の予定は、と机上のスケジュールを覗き込むと、突然ヴィルは声をあげる。
「そうだ。ティーが今日“上客が来る”って言っていたんだけど」
その言葉に、場の空気が凍りついた。
ヴィルは思わず頬を引きつらせる。周りがこんな反応をしているときは、たいてい面倒なことが起こっているのである。覚悟を決めた上で、ヴィルは目線だけでふたりへ意見を求めた。
「……ヴィルさん、かわいそうに」
レナードから労いの意味を込め肩を叩かれる。
「ヴィルたんは強いから大丈夫だよ」
いつもの調子でユーリーが一言。ただし、語調がどことなく乾いているのは何故だ。
「おれに分かるように説明して。一体、誰が――」
その時だった。話している三人の周囲が急に翳ったのは。
驚き身を翻すと、なんということだろう。外には巨大戦闘機が飛行していた。形は飛行船にとてもよく似ているが、船の下部から何本も除く筒状のものはどう見ても武器にしか見えない。
「うわ、もう来た」
「今回は早いねー」
レナードが真っ青――を通り越して顔面蒼白状態となり、対照的にユーリーはけらけらと笑っている。
しかし、そんなふたりの反応など既に目に入っていないヴィルは、口を閉ざしたままその飛行船をじっと見つめている。左の人差し指で己の唇をそっとなぞり、何やら考え込んでいる様子でいた。
その目に映るは、飛行船に書かれたエンブレムだ。
「……なるほど。ちょっとおいたが過ぎるようだね、あの子は」
ぽつりと呟いたヴィルの一言に、レナードは硬直、ユーリーはカメラを持ち出して目をきらきらと輝かせた。
ヴィルは自席脇に備え付けられた消火栓の扉を開けると、中から銀の筒を数本取り出した。それは明らかに消火栓などではなく。
組み立て式のライフルだった。消火栓はどこに行ったんだ、という疑問はこの際なかったことにしておく。
ヴィルはそれを手早く組み立て、管が曲がっていないことを慎重に確かめてから、窓の桟に足をかける。
「いったい何の騒ぎですか、これは?」
とうとう右院からの苦情を訴えにギアまで登場する始末である。
ギアは冷静に現在の左院の状況、それから窓の外の飛行艇へと順番に目を向けると、今ここで何が起こっているかすぐに察したらしい。彼にしては珍しく慌てた様子でヴィルを制止にかかる。
「落ち着いてブランクーシ、あれを撃ってはいけません!」
「大丈夫、おれ、この距離なら外さないので」
「そういう問題じゃない!」
刹那、飛行艇下部の筒から、たたたたっ、と断続的な音を立て銃弾が撃ち込まれた。当然のことながらそれらは左院執務室の窓へ命中し――あとは容易に想像できるだろう。
「書類が……」
物陰に隠れつつ、机上の書類がガラス片と共に床へ吹き飛ばされる様を目の当たりにしたギアは思わず嘆息を洩らした。その横で混乱のあまり暴れないようギアに取り押さえられたレナードがいる。そしてギアの空いているもう片方の手はユーリーの首根っこをしっかりと掴んで話さない。
さて、当のヴィルはというと。
『――ヴィル、聞こえるか』
「……はい」
カシャン、と乾いた音を立て、ヴィルはライフル銃に弾をこめる。頭の中に響くのはティーの声。どうやら彼は、この状況を別の場所から眺めているらしかった。
『あれを相手に手加減する必要はない。だが、殺すなよ』
「どんな手を使っても?」
『構わない』
「了解」
改めて窓の桟に足をかけ、ヴィルはスコープを覗いた。白く長い上着、それと赤のネクタイが風に舞うように翻り、何だか別の誰かを見ているようにも思えた。
乾いた音が数発。
それらは鉄筒の全てに命中し、数拍の間ののち、爆発した。
「あと、よろしくね」
そう言い残し、ヴィルはライフルを投げ捨て窓から飛び降りた。
周辺に植えられた木の枝に一度捕まり、再び飛行艇へと高く飛び上がる。その手は開いていた飛行艇の窓を掴み、なんとか進入することに成功する。
――なんだかわざと開けられていたような気もしないではない。
ヴィルは先ほど目にしたエンブレムについて思案する。そしてふと、こちらへ向けられているいくつもの視線に気が付きのろのろと顔を上げる。
黒いスーツを身に纏った男たちだ。彼らのことを、ヴィルはとてもよく知っていた。
「……さて」
ヴィルは苦笑しながら、右脚に括りつけられたホルスターに手を伸ばし短銃を抜く。
「あなたたちの雇い主に会わせてください。お話があります」
にっこりと優しく微笑んだヴィルの髪色が、刹那、目が覚めるような金色から徐々に青銀へと変わっていった。
***
時間にして約十五分。
足元には先ほどの男たちが転がっていた。それらの大半は気を失っていたが、運悪く意識が残ってしまった者が数名、うめき声をあげながら歯をがちがちと震わせている。
ヴィルは最後の一人に短銃をつきつけた。
「やはりあなたでしたか」
それをつきつけられている女性――茶金の髪色で、ツインテールにしている。前髪は右側だけ長く、片目が丁度隠れているようだった。服装は、貴人が身にまとうような上等な服である――は、振り返りもせず、笑みを含んで言う。
「驚いたわ。まさか次期左院特吏があなただなんて」
「おれが一番驚いているよ。明らかに中立でなくなってしまったからね」
ヴィルは力なく笑った。「ま、あの家とは完全に手を切ったから、もう関係ないのだけれど」
ヴィルはそう言いながら銃を降ろす。それからゆっくりと、噛みしめるように彼女の名を呼ぶ。
「お久しぶりです。マリアン嬢」
そう言ったヴィルの髪は、いつの間にか元の金色に戻っていた。
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