第三幕 Shall we dance?
第三幕 Shall we dance? 1
操縦席から地上を俯瞰すると、ちょうど真下に敵軍戦闘機が見えた。数は一体のみ、コクーン量産型を模したものだ。
――いまだ。
直感が脳を冷やし、鋭いナイフで引っ掻いたような昂ぶりが鼓動へと変わる。胸の内に沸き上がる欲望のまま操縦桿を勢いよく前に倒すと、そのまま機体を矢のように急降下させた。
ドッ、と鈍い衝撃が身体を揺らした。数拍ののち、敵軍戦闘機は爆発する。
「――、はぁ、はぁ……」
息切れをもよおしながら、モニターを静かに見つめる人物――ヴィルは、額の汗を拭うためにそっと両手を操縦桿から離した。
《戦闘機、全て消滅。訓練用プログラム、停止します》
電子音声によるアナウンスが入り、パンツァー・エイドの電源が徐々に落ちていく。外部投影モニタから、操作パネル。左横のアラートランプがひとつづつ消灯し、そして最後に操縦桿の青いライトがすうっと氷が解けるようにゆっくりと消えた。
機内が真っ暗になってからもヴィルはしばらくそこにとどまった。ぼんやりと低い天井を仰ぎ、それから左手で額に手をやる。
頭が痛かった。あまり長時間機体を動かし続けると脳疲労を起こすと事前に聞いていたが、まさしくそれである。ぼんやりとしてしまってだめだ。どうにも身体が動こうとしない。
この場所に身を置くと完全にひとりきりになる。だからだろうか、無駄なことをあれこれと考えてしまうのだ。
――例えば、あの日のこととか。
のろのろと瞼を閉じ、ゆっくりと深呼吸する。体が酸素を欲していた。あまりの息苦しさに、ヴィルは片手を伸ばしハッチを半開きにする。
あの日――城内に他国からの使者と名乗る者が現れた日。あの後、ギアはヴィルとレナードを引きつれ右院の懺悔室へ入った。この場所は職員の福利厚生のために作られたもので、城内で唯一監視の目が届かない区域にあたる。ギアが敢えてこの場所を選んだことも、ヴィルはとてもよく理解していた。
さて、とギアが錠を落としつつ前置きすると、ヴィルに対しこのように言った。
――どうしてこんなところで油を売っているのですか。『中立者』が。
ヴィルは反論する余地もなく、ただ気まずそうに視線を逸らす。
ただひとり、レナードだけが意味を理解できず首を傾げていたので、ギアが簡単に説明を入れてくれた。
スルバラン家の当主が代々『中立者』と呼ばれていることは先述の通りだが、それを名乗る人物にはある決まった性質がある。
それが『髪が青銀色に変化すること』だ。
ロンドヴァルディアおよびグランは『ボレアリス』『アウストリウス』を御神体とする神道が広く布教されており、故にこの二体は神機と呼ばれている。スルバラン家がこの二体の本来の持ち主と言われているのは、この二体の
そこまで聞いたヴィルはのろのろと口を開き、ギアの発言を制止した。
――おれを見つけたとしても、“
――それは『中立者』としての発言ですか。
ギアの詰問にも似た口調に、ヴィルはぐっと息を飲む。そして、ひとつだけ頷いた。
それ以降、彼らはヴィルに対しその話題に触れることはなかった。どうやら総帥にも黙っているつもりでいるらしい。ありがたいことではあるが、なんだか気を遣わせてしまって申し訳ない気持ちになる。
ヴィルはそのまましばらくぼんやりとしていたが、動ける頃合いになったのを見計らいゆっくりと身体を起こし、半開きのハッチをゆっくりと押し開けた。
「ヴィルさん!」
その時、地上から声がしたのに気がついた。
「レナード」
その声の主はレナードだった。彼はご丁寧にも洗いたてのタオルや水分などを用意してこちらを見上げている。
ヴィルは機体から飛び降りきれいに着地すると、笑いながらレナードに話しかける。
「今日も来てくれたの?」
次々とタオルやコップを渡され、苦笑しながらヴィルは言う。
「必要でしょう? こういうことには、あなた、無頓着なんですから」
きっぱりとした口調で言われてしまい、全く反論できなかったヴィルはただただ苦笑し続けるしかなかった。
ふとヴィルは今まで乗っていたパンツァー・エイドの模擬訓練専用型を仰ぎ、ややあって口を開く。
「右院はすごいね。急遽訓練用のプログラムを作って、いつでも模擬戦闘できるようにしてくれたんだもん。感謝、感謝」
「それなら、こんな時間に活動しないでくださいよ。明日も早いのでしょう?」
「レナード。今まで俺が遅刻してきたことがあったかな」
ありませんけど、とレナードが歯切れの悪い口調で返す。
「それなら文句言わないでよ。これも、一応はみんなのためなんだから」
そうだ。今の急務は早く『前左院特吏』と同等のことをできるようになることだ。そのための手間は惜しんでいられない。
ヴィルは微かに目を細め、手渡されたタオルへと顔を埋めた。
――そういえば、今何時だろう。
レナードへ尋ねると、「一時過ぎです」と返答があった。
「しまった。そろそろ部屋に戻らないと。ああ、これ、ありがとう」
そう言いながらレナードへコップを返すと、ヴィルはそさくさと自室へ戻っていった。
その場に一人残されたレナードは、
「……まあ、適当に扱われるのはいつものことですけど」
そう呟きつつ静かに後片付けを始めたのだった。
***
自室に戻るや否や、ヴィルは今まで着ていた造府時代の作業着を脱ぎ、適当なシャツとズボンに着替えた。急いで風呂に湯を張り、それと同時にブランデーと紅茶の用意をする。
「おれが風呂、入りたいんだけど……」
そう呟いていると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。「開いてるよ」
「……」
ティーだった。造府の作業着を着たまま、ものすごく不機嫌な様子でふらりとヴィルの部屋に入り、戸を閉める。
不機嫌なのはいつものことだが、今日はなんだか様子がおかしい気がする。ヴィルはふむ、と逡巡し、まずはこのように声をかけてみた。
「背中、流そうか」
無言のままこくりと縦に頷いた。「じゃあ、先に浴室に行っていてくれる――」
そう言いながらヴィルは彼の背中を押そうとしたのだが、そこで異変に気が付いた。
「――って、何これ。なんでこんなに汚いの」
よくよく見れば、ティーは全身泥だらけだった。砂が髪の毛に混じりところどころが白っぽく固まっており、青のつなぎも心なしか茶色い。
「頭から」
「……転んだの」
「かけられた」
「君ね、人のことは言えないけど、少しは怒った方がいいと思うよ」
ヴィルは少なからず憤りを覚えつつもなんとかその場を取り繕い、ティーを脱衣場に押し込んだ。
***
おれは一体なにをしているんだろう。
ヴィルがそう思ったのは、ティーの洗髪を行っているときだった。
今までの状況を見れば分かると思うが、二足の草鞋状態を何年も続けているのがこのティー・E・ルスタヴェリという男である。どうやってこの状況を維持し続けていたのか甚だ疑問であったが、今なら分かる。
この男、そもそも頭の使い方が普通でないのだ。
ティーが造府にいる日中、彼はコンフェッション・システムを起動したままにしている。そこで左院特吏であるヴィルと細かいやりとりと行い、ヴィルが代わりに業務を進めておく。その間ティーはずっと造府側の業務を行う――という風に、彼の脳内は常にふたつの工程が走っている状況なのだ。
ティーが造府にいる間話さないのは、自分の正体を隠すためでもあるが、そもそもコンフェッション・システムで左院特吏と話し続けているせいでもあった。
とはいえ、まだこのシステムに慣れていないヴィルはティーから受けるインプットを正確に受け取れないことがある。その点の補正をかけるために、一日の終わりにふたりで直接話す機会を設けることにしたのである。
こんな経緯で深夜に互いの部屋を行き来している両名だが、「ついでだから背中くらい流してやろう」とヴィルが“お人よし”精神を発揮したのが運の尽き。いつの間にかそれが日課となってしまった。改めて考えると「この行動のそもそもの目的は一体……」と思わず頭を抱えたくなるヴィルである。
まるで大型犬のシャンプーを行うトリマーのような気持ちになっていると、
「あ、忘れてた」
ぽつりとティーが呟いた。「明日、上客が来る」
「上客?」
そう尋ねると、言葉を濁しながら彼は続ける。
「俺、明日……ああ、もう今日か。今日は午後から非番だから、それまで適当に相手してやってくれないか」
「一体どなたがいらっしゃるのです?」
「ギアに聞けば分かる。俺からは言いたくない」
その言い分もなんだか滅茶苦茶である。
いろいろと言っておきたいことはあったが、いずれあと数時間もしたら分かることだ。ここではあまり深追いしないことにして、ヴィルは生返事をした。
「さて、おれは出ます。泡を流すくらいは自分でどうにかしてください」
「ああ、ありがとう」
それと、と一言呼び止められたので、思わずヴィルは振り返る。彼は肩越しにヴィルへ目を向け、
「敬語、いつになったらやめてくれるんだ」
と不服そうに言った。
***
数十分後、脱衣場から戻ったティーは怪訝な表情を浮かべた。室内に人の気配がないのだ。こんな時間に席を外したのだろうかと、ティーは周囲を見渡す。
「……ヴィル?」
そうしていると、テーブルに突っ伏した状態で眠っているヴィルを発見した。小さなテーブルの上には、ティー・コゼーとブランデーのボトルが一本、それからカップが伏せられた状態で置かれている。
それを見たティーは思わず苦笑してしまった。
「お疲れ」
そっと囁くと、ベッドから毛布を一枚持ち出し、ヴィルの背中にかけてやる。一瞬ぴくりと肩を震わせたが、彼は目覚めることなく、再び夢の中へ戻っていった。
彼は本当によくやってくれている。
造府への引き継ぎを行う傍ら、ケインズと同等の仕事量をこなしている。それだけではなく、夜中にパンツァー・エイドの訓練をこっそり行っていることも知っていた。
人は彼のことをただの「お人よし」もしくは「イエスマン」だと言うが、本当はそうではない。彼は努力の鬼だ。目的さえあれば、今は無謀なことであっても絶対に諦めない。その姿を見た者がどれだけ勇気づけられたことだろう。彼が真に評価されるべき点はそれなのだ。
ティーはポットから紅茶を注ぎ、昏々と眠り続けるヴィルを見つめる。
だからこそ、今回の件についてはかなり反省していた。そうする他ない状況だったとはいえ、なりゆきで彼の行く末を変えてしまったこと。できればこんな話に巻き込みたくはなかった。相応の危険も伴うし、一応彼は、――
そこまで考えたとき、ティーは瞠目した。驚きのあまり手にしていたカップを取り落しそうになるが、それはなんとか回避できた。
一瞬。本当に一瞬だが、眠るヴィルの髪がいつもの金色ではなく、まるで青空のように澄んだ青に見えたのだ。
目を擦りもう一度目を向ける。金色。間違いなく、金色。
「……まさか、な」
呟いて、ティーは静かにカップを置いた。
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