第二幕 The tricks played by destiny. 4

 その時だった。

 突然激しい耳鳴りがヴィルの脳を貫いた。ようやく収まりかけた頭痛が再び遅いかかり、ヴィルは思わず顔をしかめる。


『ヴィル。聞こえるか』


 ティーの声がする。その語調から、なんとなく「何かが起こった」らしいということまでは何となく想像がついた。

 ヴィルはレナードから離れると、彼に悟られぬよう小声で囁く。


「……聞こえるよ。どうしたの? ティー」

『お前たち、今どこにいるんだ』

「ええと、丘の上――」


 そこまで言いかけたところで、ヴィルとレナードははっとしてあたりを見回した。

 三人――否、もっとだろうか。誰かに見られている気がする。ヴィルは冷静を装いながら、じっと神経を研ぎ澄ませた。


「……一体なにをしたんだ、あなたは」


 いろいろと言いたいことはあるが、まずはこの状況をどうにかしなければならない。ヴィルは呆れて思わず嘆息を漏らす。まさかティーの人物像がこれだとは全くの想定外である。


『ヴィル。近くに誰がいる?』

「レナードがいます」

『レナードか。あまり役に立たないな』


 なんだか失礼な言葉が聞こえた気がするが、この際聞かなかったことにしよう。ヴィルは心からそう思った。


「それで? この人たちは誰ですか?」

「ヴィルさん、さっきから何独り言を言っているんですか!」


 びゅん、と風を切る音がした。同時に二人は別々の方向に飛び退き、それをかわす。

 よく見ると、この音の正体は巨大な鉈だった。先日の斧といい、何故武器が打撃系なのか。科学が進歩しているのだからそれ相応のものを使えばいいだろ、と内心ヴィルは考えていた。別に今考える必要のない至極どうでもいいことではあるのだが、要するに頭が現実逃避しているのである。

 いけない、とヴィルは頭を振り、自らコンフェッション・システムを起動し直す。


「事情は後で聞きます! とりあえず、倒していいんですよね? ティー」


 同意を求めると、意外にも彼は渋っているようで、終いには、

『だめだ』

 と返事をよこしてきた。


「だ、駄目って……」

『お前、自分の状況くらい考えろ! いいか、レナードは非戦闘要員だが、護身銃くらいは持っているはずだ。それで錯乱しながら逃げてこい。あ、間違っても俺のところにはくるなよ』

「……はいはい」


 あきれながら返事をすると、ヴィルはすぐにレナードの背後にまわり、背中のベルトから短銃を奪い取った。


「なっ……!」

「これ、借りるよ」


 ティーは、自分の怪我を気にして「戦うな」と言っているようだが、そうはいかないだろう。

 そばにレナードがいるからだ。彼を守らなくてはならない。前左院特吏もきっとそうしたはずだ。

 ヴィルは銃のロックを外して、まっすぐにそれを構えた。


 それを後ろから見ていたレナードは、震えながらもヴィルの背中から目を離さなかった。否、離せなかった。

 その背中があまりに似ていたからだ。

 赤いネクタイを翻し、まっすぐに銃を構える姿が。


「……ケインズ……さん……」


 彼に、とてもよく似ていたから。


***


「あ、間違っても俺のところにはくるなよ」

『……はいはい』


 そこでコンフェッション・システムが遮断された。


 問題を起こした張本人であるティーは、やれやれと呟きながら壁によりかかった。その右手には通常より刀身が短い剣が握られている。


 本当に、慣れないことはするものでない。

 彼が久しぶりに昼間から本業をこなしていたとき、来客があるという連絡を受けた。書類を自分の代わりに読み上げてくれていたギアは「そんな予定はなかったはずだ」とかなり渋ったのだが、書類整理も飽きたところだったので――ティー本人は判断を下すのみで、実質ギアが整理していたのだが――通すよう許可を出したのだった。


 その結果がこれだ。現れた来客は某国からの使者と名乗り、「ボレアリスとアリストリウスの設計書の提示」を求めてきた。技術提供しようにも設計書など存在しないので即座に断ると、どこからともなく現れた刺客が好き放題に暴れ始めた……と。

 改めて思うが、必要以上の科学の発達は不利益しか生まないのではなかろうか。だからといっていきなり水準を落とすのには無理がある。他国が自国同様の水準まで進歩してくれれば話は早いのだが。


 ここまで考えたところで、ティーは右目の眼帯を外した。

 すでにギアのことはヴィルの元へ向かわせた。ここにいるのは、自分のみ。

 ティーは楽しそうに笑い、剣を握り直した。


「さて、遊んでやるか」


 壁から飛び出すと、ティーは高く跳躍し、敵の背後に回った。首の後ろに手刀を落とし、まずは一人倒した。

 別の者がダガー・ナイフを数本ティーに向かって放つ。ティーはカーテンの裾を掴み、カーテンレールから引き剥がすように強く引いた。それは簡易的な盾になり、放たれたナイフは命中することなく足元へ転がり落ちる。

 相手は明らかに動揺していた。それを狙っていたのか、ティーは勝ち誇ったように笑う。


「さて、次はどいつだ?」


 わざとらしく高らかに宣言すると、ティーの剣は一人の男の喉元に突きつけられた。鋼の冷たさに相手は妙な汗をかいている。そんな様子を嘲笑うかのように、ティーは動きを止めた他の者へ言い放った。


「今降参するならこれ以上手は出すつもりはない。まあ、少しは痛い目に遭ってもらうつもりではいるが」


***


 その頃、ギアは走っていた。

 リスカによると、ヴィルとレナードはケインズの墓標がある丘まで向かったと聞く。なんて遠いところまで行ったんだ、と胸の内で悪態をつく。


 とはいえ、今回の場合悪いのは判断を誤った――否、もしかしたら暇つぶしにわざとそうしたのかもしれない――総帥であるから、ヴィルに非はない。状況から考えて、彼らがその場所に行かないわけがなかった。

 まさかあの怪我で戦っていないといいが――。


「……あの人ならやりかねない」


 ヴィルのことは造府時代からとてもよく知っている。

 の昇進に関する審議が行われた際、ティーが珍しく「許可する」と即答したため、かなり強く印象に残っていたのだ。また、彼の仕事ぶりが高く評価されていたことも。それに比例して時間外労働が多すぎるのは困りものだったが。


 これらを踏まえると、「自分を犠牲にして他人を優先させる」というのがヴィルの性格だ。つまりなにが言いたいかと言うと、彼はまた変な無茶をしている気がするのだ。レナードが率先して動いてくれればいいのだが、彼は最低限の訓練しか受けていない非戦闘要員。そもそも彼は本国では珍しい学士だ。戦闘においてはあまり役に立つことはないだろう。


 大体にして、左院に非戦闘要員ばかり集められるのはなぜだ。総帥に一番近い立場の割に、その身に危険が及ぶことを想定しないのはなぜだ。

 そこまで考えて、ギアは頭を振った。考えるのはあとにしよう。今はとにかく、ふたりと合流するのが先だ。

 やっとのことで丘を登ると、ギアは言葉を失った。


 ――遅かった。


 そこにいたのは、血だらけで倒れている男たち数人と、墓前でひたすらに怯えているレナードだ。

 そして。


「……あなたは」


 をした、血まみれの人物だった。

 姿形はヴィルのようである。しかし、髪色が異なる点、いつもの温厚な雰囲気ではなく醒めきった鋭い目をしている点がギアを困惑させた。

 その声に反応し、青い髪の彼女はゆっくりと振り返る。見慣れた赤いネクタイが風により舞い上がり大きく揺れた。

 呆然とその場に立ち尽くすギアは、その人物になんと声をかけるべきか分からずにいる。


 まさか、と思う。

 この髪色には心あたりがあった。しかし、だからこそ信じられない。

 そう考えているギアの心情を察したのだろう。その人物はふわりと優しく笑い、そして言った。


「用心が足りないと、王様に忠告しておくといい」

 そして隅で震えているレナードへ目を向ける。「それから、彼は悪くない」


 そこまで言ったところで、その人物はゆっくりと瞼を閉じた。呼吸を数回、整える。

 彼女が再び目を開けたときには、その人物――ヴィルの髪色は元のに戻っていた。蜂蜜の色にも似た瞳をしばたかせると、ヴィルはきょとんとして首を傾げて見せる。


「……、ヴィル・ブランクーシ」


 ギアがその名を呼んだ。

 まるで何かおぞましいものを見せつけられたと言わんばかりの表情である。それはレナードもまた同様で、なにが起こったのか分からずにただただ動揺するばかりだった。


「はい」


 ヴィルは短く答え、その手に握る護身銃を地面へと放る。

 ギアは、再び口を開いた。


「ヴィル・スルバラン」


 それを耳にしたヴィルは、何やら考えている素振りを見せた。そして最終的に、観念した様子で肯定する。


「……はい」


 それはもう捨てた名ですが、と、彼女は抑揚のない声色で言った。

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