第二幕 The tricks played by destiny. 3

「はい、腕伸ばして」

「う……はい……」


 細い腕に新たな包帯が巻かれていく。

 治療のためとはいえ、ヴィルは恥ずかしさのあまり思わず顔が赤くなるのが分かる。症状的には要するに『全身擦り傷』なので、包帯を替えると言ってもいちいち脱がないといけないからである。


 ここは右院の医務室である。リスカが「検査と衣服の採寸をしたい」と申し出たため、ヴィルはレナードに付き添ってもらいここまで移動したのだ。ちなみに、レナードは医務室の外で待機中である。


「それにしても、よく擦り傷だけで済んだわね」

「え?」


 右腕の処理を終え、今度は左腕の包帯を替えようと左側にリスカは座り直した。同時に、ヴィルの肩を掴み思い切り力を入れる。


「いっ痛い痛い痛い!」

「あなた、肩を痛めたままパンツァー・エイドに乗ったでしょう? 腕が上がらなくなったらどうするの!」


 彼女にきつい口調で怒られ、ヴィルは思わずがっくりと肩を落とした。その気になれば言い訳もできたが、なぜかそうしたくなかったのだ。

 そんな心情を、リスカはなんとなく理解したらしい。ふっと柔らかく微笑んだかと思えば、「まあ、仕方ないか」とかなりざっくりしたコメントを返してきた。


「顔に怪我をしなくてよかったわね。女の子が顔に傷なんか残したら大変だもの」

「いや、おれはもう女の子って歳でもないんですけど……。そうだ、リスカさん」

「ん?」

「あの時のおれ、どんな状況でしたか?」


 リスカは苦笑しながら、新しく包帯を巻き始める。まるで、何かをはぐらかしているような素振りだった。そうね、と暫しの逡巡ののち、彼女はようやく口を開く。


「奇跡、かしら」

「奇跡?」

「あの爆発の中で、よく擦り傷だけで帰って来れたわね。それだけでも驚き。パンツァー・エイドは大破したようだけど……」

「ほかには?」

「ほかには、特になにも。それがどうかしたの?」


 リスカが怪訝そうに尋ねるも、ヴィルは首を横に振るだけで、それ以上は何もいわなかった。ただへらへらと笑うだけで、こちらもリスカ同様なにかをはぐらかしているようにも見えた。

 その様子に、リスカは思わず噴き出してしまった。


「それだけ笑える余裕があるなら大丈夫ね。さて、採寸しちゃいましょう。ええと、メジャーは……っと」


 リスカは引き出しからメジャーを出し、ヴィルの肩幅に合わせてそれを当てた。そのまま長さを適当な紙にメモしながら、彼女はふとヴィルへ問いかける。


「身長っていくら?」

「一七二センチです」

「その割に細いわね。ちゃんと食べてる?」

「食べてます。どうにも筋肉つかないんですよね。これでも兵士と混ざって時々トレーニングしているんですけど」


 リスカは「男性陣に混ざって何をやっているのかしら……」とすっかり呆れ口調である。


「さて、胸囲はどう測りましょうか。普段潰しているんでしょ?」


 リスカの「取ってくれる? というか取らせろ」という声と、ヴィルの悲鳴が同時に響いた。


 ――医務室の外まで響く二人のやりとりを外で聞きながら、レナードはぽつりと呟いた。


「……仲いいなあ」


 ぼんやりと天井を眺め、ふっと息を吐き出すと、僅かな冷気がそれを白く色づけていく。


 一晩にして状況が一変してしまったことに、レナードは少なからず戸惑いを覚えていた。葬儀を終えてから数日経過したというのに、今でも左院の執務室に戻ればあのひとがいる気がする。

 新しい左院特吏に不満がある訳ではない。むしろ、先ほどのやりとりで細やかな注意を受けているとき、なんだかあのひとに声をかけられているような気がして、無性に泣きたくなったのを覚えている。

 あのやり取りのあと、「落ち着くまで少し休めば」とユーリーに言われたのもまた事実。しかしながら、今休むわけにはいかなかった。


 レナードは思う。

 ――あともう少しの間だけ、

「あなたの部下だと名乗らせてください。ケインズさん」


 彼の声は誰にも聞かれることなく、空気に同化し消えていった。


***


 しばらく経って、ようやくヴィルが医務室から出てきた。いくらか包帯の数は減ったが、白い肌に赤い傷がいくつもついているのがとても痛々しく感じられる。


 当の本人はというと、ここにやってくる前と比べ随分とぐったりしていた。魂が抜け落ちたように、ぼんやりと口を開け広げている。


「大丈夫ですか?」


 レナードに体を支えてもらい、ヴィルはよろめいた足を何とか元に戻した。


「ありがとう。どうして医務室に来てへろへろしてるんだろうね、おれ」

「リスカさん、容赦ないですから」

「そうだね。それは否定しない」


 それからしばらくヴィルは口を閉ざし、じっと何かを考え込んでいる素振りを見せた。おや、とレナードは思わず歩き始めた足を止め、ヴィルの顔を覗き込む。


「どうしました?」

「……、あの、さあ。お願いがあるんだけど」


 聞いてくれる? とヴィルが尋ねた。レナードはきょとんとしつつも、「構いませんけど……」と返す。

 しかし一体なにをお願いされるところなのだろう。まったく心当たりのなかったレナードは、思わず首を傾げている。

 難しいことは頼まないよ、とヴィルは苦笑する。


「あのね。連れて行ってほしいところがあるんだ」


***


 外の風はなかなか強くて、少し寒かった。

 ふたりは緩やかな丘を登り、その上にある真新しい石碑の前にしゃがみこむ。

 石碑には前左院特吏の名前が彫られており、それを囲むように色とりどりの花が供えられていた。


「……ここにいらしたのですね」


 ヴィルは呟いて、途中汲んできた水を上からかけてやる。黒くなめらかな光沢を放つ石碑は、じっとその場所に佇んでいた。


「花は用意できませんでした。ごめんなさい。……本当に、


 レナードはそんなヴィルの姿を後ろから眺め、思わず目を細める。

 とても見ていられる光景ではなかった。経緯はやんわりとだが聞いている。あの人はたまたまヴィルと遭遇し、少し言葉を交わしているうちに殺されたのだそうだ。

 彼の最期を目の当たりにし、全てを背負わされ、それでもこのひとは前を向こうとしている。

 レナード、とヴィルがその名を呼んだ。


「前左院特吏のこと、教えてくれるかな。どんな人だったの?」


 ぴたりと、レナードの動きが止まる。


「……、ケインズさんは、素晴らしい人でした」


 優しくて、誰よりも努力家で。実年齢にはそぐわないどこか厭世的な雰囲気があり、実際、初対面のときには「お父さんみたいな人だな」と思ったのは事実である。

 ヴィルは何も言わずにレナードの話に耳を傾けている。


「もしかしたら、あのひとはこうなることを分かっていたのかもしれません。あの日いつもと違うことがあって、」


 レナードは息苦しそうに胸に手を当て、それでもなんとか『彼』のことを話そうとした。


「出掛けに、あのひとはこう言ったんです。『君はほんとうに、……よくやってくれたね』と。それが、最期で――」

「レナード」


 ヴィルがようやく口を開いた。はっとしてレナードが顔を上げると、ヴィルはじっとレナードを見つめている。表情は、ない。

 レナードは今にも泣き出しそうになるのを必死で堪えつつ、ヴィルに一つだけ問いかけをした。


「あのひとは。……ケインズさんは、どんな最期でしたか」


 そんなことを聞くのは野暮な気がした。しかし、レナードはどうしても聞いておきたかったのだ。

 自分が仕えた上司の最期を。そんなことを聞いても、誰も答えてくれなかった。軍務省からも、正院からも、……ギアや、総帥からも。誰もレナードへ本当のことを教えてはくれなかった。


 だが、この人なら答えてくれる。レナードはそう確信したのである。


 ヴィルはまっすぐにレナードを見つめたまま、はっきりとした口調で答えた。


「彼は、おれの目の前で首をはねられた」


 空気の抜ける音がレナードの喉で鳴ったが、ヴィルはそれを無視した。そして、淡々と言葉を紡いでゆく。


「おれをかばったんだ。彼の方が、ずっと必要とされている人だったのに。……おれがあの日、物音に気付かなければ。格納庫に近づかなければ。そうしたら、彼はは――」


 刹那、ぱしん、と大きな音とともに、ヴィルの頬に痛みが走った。

 呆然とするヴィルを見下ろすように、レナードが立っていた。その右手は未だに震えている。


「あなたは一応女性だし、怪我人ですから、平手打ちにしておきます。でも、次にそのように……自分を責めることがあったら、容赦なく殴ります。それが、ケインズさんの意思ですから」


 その時、レナードはヴィルの前で涙をこぼした。

 ヴィルは彼を見つめ、なんと声をかけたらよいのか分からずについ目を逸らしてしまう。彼の気持ちが痛いほど伝わってくる。彼の言い分もよく分かるのだ。それでも、だからといって自分の犯した過ちを見逃したくはないのだ。


「よく分かりました。ケインズさんは、必要だからあなたを残したんでしょう。話を聞く限りそう思います」


 そう言うと、レナードはポケットから赤いネクタイを取り出した。いつの間にかヴィルの枕元から持ってきたもののようだった。

 それをヴィルのシャツに通し、丁寧に結んでやる。


「……責任、取って下さいね。俺たちと一緒にいてください」


 ――その言葉の重みは、受け入れなくてはならない。

 ヴィルは両手を伸ばし、レナードの身体を抱きしめた。そして優しく背中をさすってやる。

 レナードは瞠目し、微かに息を詰まらせていたが、未だ止まらない涙には勝てなかった。

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