第二幕 The tricks played by destiny.

第二幕 The tricks played by destiny. 1

 ヴィルが目を覚ますと、見知らぬ天井がこちらを見下ろしていた。同時に感じるのは、知らない部屋の匂いだ。靄がかる思考の中、ヴィルは瞳だけを動かし周囲を見渡した。


 当初から知らない部屋だと思ってはいたが、部屋を見渡しただけではここがどこなのか本当に見当がつかなかった。今自分が身体を横たえているベッドは高級そうだし、その隣に花が活けられたサイドボードすらも明らかに自室のものとは次元が違う。


 そこまで考えたところで、ようやく目が覚めてきた。

 とにかく頭が痛い。少し体を動かしただけでがんがんと脈打つように痛み、思わずうめき声をあげてしまった。それだけではない。全身が鉛のように重く、皮膚が妙にひりひりする。

 右手でそっと痛む箇所に触れると、包帯がきつく巻かれており、微かに血がこびりついた跡が残っていた。


「あ――」

『目が、覚めたか』


 ピィン、と耳鳴りがして、突然脳内に声が響いた。特別驚くことはない。ただ、その声が頭痛をさらに刺激している。ヴィルは掠れた声でその声の名を呼んだ。


「ティー……?」

『今、行く』


 行く?

 そう尋ねようと口を開いたところで、部屋の戸が開く音がした。


「おや」


 男の声だった。ヴィルはのろのろと首を動かし、その声の正体へ目を向ける。


「あ、ええと……、右官、」


 そうだ、あの夜に出会った男だ。

 ティーにギアと呼ばれていた彼は、あの日と同様白い軍服に身を包んでいる。そして、小さな水差しと紙袋が乗せられたトレーを持っていた。


 彼は苦笑しながらサイドボードへトレーを置き、

「ギアで結構です」

 と静かに答える。「お加減はいかがですか。熱が引かずにずっと眠っていましたから」


 ぺたり、とヴィルの額にギアの手が触れた。冷たく冷え切った手は、何だか心地よかった。


「まあ、大分下がったみたいですね。何か食べられそうですか」

「いえ。……あ、水を一杯頂けますか」

「はい。少々お待ちください」


 水差しから一杯分の水を注ぎ、ギアはヴィルへ手渡した。ゆっくりと身体を起こすと、猛烈な痛みが全身を襲う。眉間に皺を寄せぐっとそれを堪えると、唇を湿らせるようにして少しずつ水を口に含んだ。


「すみません。あなたの制服がまだ出来ていないので、とりあえず前左官用に誂えたシャツを着せましたが……」


 ギアの言葉に、ヴィルは今自分が身に纏うシャツへ目を落とす。

 どうりでサイズが大きい訳だ。手の甲まで覆い隠すくらいに袖が長く、襟ぐりも広い。縁に施された細やかな金糸の刺繍が美しく、一目見ただけでその上質さが分かる代物だった。


「あなたの治療はハートネット右院医務官が行いました。治療する際、失礼ながら衣服を脱がせて頂きました。その……」


 ためらいがちに言葉を濁す彼に、ヴィルは苦笑しながら言う。


「……驚きましたか? おれがと知って」


 ギアは答えなかった。

 この様子から察するに、ヴィルの治療の際は相当な人払いが行われたのだろう。左院特吏の存在意義を考えると、あまり大事にできないというのが本当のところだろうが。

 ヴィルは彼を安心させるため、簡単に事情を説明した。


「おれの生家が少し特殊でして、訳あって生まれた時から男として育てられたんです。入省する際に養子に出されたのですが、その際に手違いがあり、性別が間違ったままここまでずるずると……」

「……、それはおいおい直してください。今のところ事情を知る者は、リスカ医務官と、私、それから左院の担当官ふたりだけに留めています。総帥には報告しておりません」

「配慮いただき、ありがとうございます」


 頭を下げてから、ヴィルはひとつだけ尋ねた。

 あの時から、ずっとしこりのように残っている『あのひと』のことだ。


「あの、……あの人は、どうなりましたか」

「ケインズですか」


 はい、と答えると、ギアは困ったように眉間にしわを寄せた。しかし、ここで下手にごまかす理由はないと判断したのか、息をついたのち彼は口を開く。


「葬儀は二日前に済ませました。空いたポストにはあなたがいるので、特段問題はないかと思います」

「そう、ですか」


 ヴィルは思わずうつむき、‟金髪”でその表情を多い隠した。

 胸の内に沸き上がるのは、後悔と、苛立ち。それから恐怖にも似たうすら寒い感情だ。あらゆく思いが脳裏を駆け巡る中、急にそれが断ち切られた。


「失礼する」

 その声と同時に、部屋の戸が大きく開け放たれたのである。

 ヴィルとギアは共に瞠目し、思わず口を開け広げてしまった。


「総帥? 珍しいですね、日中にそのような姿で……」


 驚きが込められたギアの言葉にティーは機嫌を損ねたのか、彼は眉間にしわを寄せながら反論する。


「悪いか?」

「いえ、決して。あなたは本来軍務省にこもるような職業にはついていないでしょう」


 先日会った際には素肌に直接着ていた軍服も、今日は正規の着こなしの通りとなっている。

 黒い軍服は膝までの長さで、腰を茶色のベルトで締めている。胸部を飾る紐は光沢があり、不思議と上品に見えた。少し長い髪はオールバックにし、右目の眼帯も忘れない。そして、手には銀で出来た大きなトランクがひとつ携えられている。

 こうして見ると、彼は以外にも整った顔をしているんだな、とヴィルは思った。


「ギア。レナードにスケジュール表を持ってくるよう伝えてくれ。それと、本日中にヴィルの採寸を済ませるように」

「承知いたしました」

「まあ、ユーリーのことだし、制服程度なら一日二日で作るだろう。ああそれと、俺が了承するまでこの部屋に誰も入れてくれるな。以上だ」

「はい」


 要するに、ギアに部屋から退室してほしかったらしい。それを察したギアは一礼し、静かに部屋から出ていった。

 そしてとうとう、二人だけが部屋に残されてしまった。


 先日の出撃のことが脳裏をよぎり、ヴィルは思わずティーから目を逸らした。彼のことだ、きっと怒るに違いない。あんな真似をしておきながらこちらはのうのうと生きているのだ。

 償いすらせず、こうして今ここにいる。

 それが自分の中でどうしても許せないことだった。


「……ヴィル」


 長い沈黙ののち、初めに口を開いたのはティーだった。


「……はい」

「三日も寝込むな。こっちが心配する」


 ぺたり、と額に手を当てられ、ヴィルは驚き目を瞠る。


「む、まだ正常に作動しているな。助かった」


 何が、と言いかけたところで、ヴィルはティーの動きに目を向けた。

 彼は先ほど一緒に持ってきたトランクをベッドの上に乗せ、蓋を開けて見せた。そこから取り出したものは、ティーが普段身に付けているチョーカーと全く同じものだった。

 おや、と思ったところで、ティーが短く話しかける。


「両腕」

「え? あ、はい」


 ヴィルが言われたとおりに両腕を差し出す。今まで全く気づいていなかったが、両腕の隅々まで包帯が巻かれており、うっすら血が滲んでいた。これほどまでにひどい怪我をしているものだとは思ってもみなかった。

 そのひどい有様に、さすだのティーも難色を示した。


「む……腕は無理か。仕方ない」


 一体何の話だろう。尋ねるも、ティーはヴィルの問いかけを完全に無視している。


「首にしよう。うん、そうしよう」


 何か勝手に一人で納得し、そのアイテムは結果としてヴィルの首に収められた。


「これは何です?」

「コンフェッション・システムの制御装置」


 ヴィルはその単語をようやく思い出し、同時にそれが何かをきちんと確認していなかったことを思い出す。

 その旨を伝えると、ティーはベッドの隅に腰掛け、足を組んだ。


「コンフェッション・システムは、端的に言うと俺と左院特吏の思考をリンクさせるシステムのことだ。例えば」


 突然ティーは黙り込む。瞬間、ヴィルは耳鳴りと共に、どこからか聞こえる声に反応した。


『聞こえるだろう?』

「あ……」


 その声は確かにティーのものだ。だが目の前にいる彼は固く口を閉じたままだ。


「こんな感じで、頭で考えていることが考えた通りに伝わる。平たく言えばテレパシーのようなものだ」


 また、このシステムを持つことがパンツァー・エイドの起動条件であること、総帥・左院特吏どちらかが死んだ場合にのみシステムが解除されることも付け加えられた。


「は、はあ……」


 なんだか変なことに巻き込まれた気がする。思わず生返事をしていると、ティーは脚を組み直し息をついた。


「これ、実は欠陥のあるシステムでな。エル・システムと同様に脳神経に手を加えているようなものだから、互いが相手に調と、知られたくないことまで筒抜けになってしまう」

「つまりこのチョーカーは、プライバシー保護装置、と」

「そういうことだ。もう少し科学が進歩したら、こんなものをつけなくてもよくなるのだろうけど」


 さて、とティーは改めてヴィルへ目を向け、ひとつだけ問いかけをした。


「お前は、グラン国との争いを『ただの戦争』だと思うか?」


 その問いにヴィルは逡巡し、否、と答えた。

 ただ戦争ならばもっと派手な手法を用いるだろう。わざわざ戦う手段を統一し公平な状態にしているのは、何か別な理由があるからだ。下で働く者には言えない、何かが。

 そう伝えると、ティーは期待通り、といった様子で楽しげに笑った。


「やはりお前は賢いな。その通りだ」


 では、何があるのか。ヴィルは呟くように尋ねた。


、それから他国に対する牽制」

 ティーは短く返した。「……要するにそういうことだ。ロンドヴァルディアもグランも、他国と比べると小国に過ぎない。その割に科学と医療の分野が妙に発達したものだから、下手な行動を取るといとも容易く足元をすくわれるだろう。だから先代の総帥が亡き後、混乱に乗じて他国から攻め入られることを防ぐためにわざと国を分断し、としての戦争を始めることにした」


 ヴィルはぽかんとして口を開け広げ、目の前の男が語り始めた真相に思わず言葉を失っていた。


「ま、戦争は金になるんだな、これが。国の内紛ということにしておけば厄介ごとに首を突っ込みたくない国は静観にかかるし、ビジネスと捉える国は積極的な外交を求めてくる。さらに我々の国には神機じんきと呼ばれる二体の戦闘機『ボレアリス』『アウストリウス』があるから、下手に手を出せやしない。他国にはない条件をフル活用し十数年かけて今の状態を維持し続けた結果、ようやく景気が回復した。そして今に至る」


 とはいえ、いつまでもこの状態を続ける気はさらさらない。

 ティーは困りはてた様子で言った。


「完全に戦争を終わらせるタイミングを失った。俺たちは見世物を長く続け過ぎたんだ」


 十数年も見世物を続けていれば、本来の意図を知る者は自然と減ってゆく。人間老いには勝てやしないのだ。新たに加わる兵士はもちろんいるが、長きにわたる伝言ゲームにより戦争を行う本来の意味が正しく伝わらなくなっていた。それはロンドヴァルディアだけではなくグランも同じことが言える。膨大になりすぎた手足全てをコントロールするには、今の王様兄弟では力が足りなかったのだ。


「そこで『中立者』の力を借りようと思ったんだが、少し困ったことになっていて」


 ティーの発言に、ヴィルは思わず肩を震わせた。


 ロンドヴァルディア連合国およびグラン国が元々ひとつの国だったことは先述の通りだが、建国以来彼らの動向を監視する一族がいた。


 それがスルバラン家である。


 かの戦闘機『ボレアリス』『アウストリウス』本来の持ち主であり、ロンドヴァルディアおよびグランの建国に大きく関わった名家である。彼らは基本的に政治的なことには干渉をせず、知恵を欲するときのみ平等に彼らへ手を貸したとされる。故に、スルバラン家の当主は代々『中立者』と呼ばれ、総帥の地位を以てしても足元には及ばない絶対的な存在となっていた。


「現在のスルバラン家当主はイン・スルバランという者だが、彼は本来の当主ではなく――、……あくまで『代理』、なのだそうだ」

「代理」


 ヴィルのおうむ返しに、ティーは短く頷いた。


「本当の『中立者』がどこかに存在しているが、訳あって雲隠れしていると。その人物を見つけるには、古くからの言い伝えである‟プエルタ”を見つけてこいと言う」


 その言い伝えはヴィルも覚えがあった。この国に生まれれば一度は耳にしたことのある童話のようなものだ。

 要約すると、こうだ。

 遥か昔、今のように国が二つに分断されたことがあった。その際、“クラヴェ”と呼ばれる者が各国に一人ずつ、そして“プエルタ”と呼ばれる者がひとりだけ生まれた。“扉”と“鍵”が出会う時、戦乱は収まり、世界が統一される――という、よくある英雄譚だ。


「まさかと思うだろ。でも、真顔でそう言われてしまったら探さない訳にもいかない。まして代理といえどスルバラン家の言うことだし、こちらは見世物とはいえ国民を戦禍に巻き込んだ負い目もある」

「……つまり、戦争を終わらせるための知恵を受けるには、まず“扉”なる人物を探して来いと。そういうことですか」


 ヴィルのざっくりとした解釈に、ティーは肯定の意を示した。それを目の当たりにしたヴィルは俯いて、のろのろと息を吐く。

 ティーはその様子にぽつりと尋ねた。


「……重荷になるか?」


 その問いには、はっきりと答えることができないでいた。

 ヴィルは一言、このように返答する。


「ただ、あのひとの代わりがおれでいいのかと思うだけです」


 そのとき、ヴィルの手に何かを押し込まれる感触があった。目を向けると、今まで座っていたティーが立ち上がり、『あるもの』をヴィルへと握らせていたところだった。ゆっくりと彼の顔をあげると、鋭いまなざしがこちらを睨めつけている。


「その言葉、俺の前で二度と言うんじゃない」


 厳しい面持ちの彼に、ヴィルは頷くしかできなかった。刹那に感じたのは恐怖だ。一瞬見せたそのまなざしに、一言では言い表せない複雑な感情が盛り込まれている。

 ぼんやりしているうちに、ティーはヴィルの側を離れ、静かにドアノブに手をかけた。


「それから……、敬語は禁止だ。いつも通りで、いい」


 部屋から出て行く彼を見送ると、ヴィルは改めて彼に握らされたものへと目を向ける。

 それは、前左院特吏が使用していたと思われる、赤いネクタイだった。

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