第一幕 Carry out a sortie,“P.A.”! 4

 ヴィルは狭く暗い操縦席に腰掛け、ゆっくりと周囲を見回した。

 両側には白い色をした操縦桿があり、足元には同色の固定具が付いている。目の前には様々な制御装置と、巨大な外部投影モニタが広がっていた。

 整備をするために何度となく入り込んでいる操縦席、まさかこの自分が座る日が来ようとは思ってもみなかっただろう。


 それにしても、とヴィルは思う。


 先述の通り、パンツァー・エイドの仕様はブラック・ボックスと言ってもよい。長くこの機体のメンテナンスを行ってきたヴィルですら、直し方は知っていても起動方法そのものは知らないのである。エル・シスエムを起動する際は専用のカードキーをスロットに挿入するのだが、この機体にそんなものは存在しない。


「――」


 ヴィルはじっと操縦桿を見つめ、それからひとつ、ため息をついた。


「――、か」


 ぽつりと呟き、ヴィルはそっと操縦桿を握る。

 刹那、操縦桿のグリップに仕込まれたライトが青白く輝いた。その光を中心に光の筋が四方へ伸びてゆき、モニタへ、制御装置へ、電力が供給されてゆく。


《搭乗者、ヴィル・。データ照合完了しました。起動します》


 電子音声のアナウンスが耳に届いたかと思うと、背中からシート越しにモータの振動が伝わり始める。

 体の左側に並ぶいくつかのランプが、正常動作を表す緑色に点灯していた。


『だから言っただろ?』

「うわっ。な、なんだ、ティーか」


 突然脳内に届いた声に驚き、ヴィルは思わず身体を震わせた。すると、頭の奥のほうでエドワード――否、ティーが声を殺して笑っているのが分かった。


「どこから聞いていたの」

『ん、いや、別に。お前がこちらに話しかけない限りこちらには何も伝わらないけど』


 それが何か、と尋ねたティーに、ヴィルは短く「それならいい」と返す。


『どうだ、修理の状態は』

「オールグリーンだ。さすがだよ、君の整備は完璧だ」

『そうか。左のレバーを引け。自動操縦に切り替えておけば、あとは何もしなくていいから』

「分かった」


 ヴィルは言われたとおりに、操縦桿の上方にあるレバーを引いた。がしょん、と妙な機械音がして、途端に画面モニタに書かれている表示が自動オートに切り替わる。


『お前はただ意識を失わないように座ってさえいればいい。連日の徹夜作業より楽勝だろ』


 要するに、実践に出たことのない者への配慮だ。

 ヴィルは思わず苦笑する。


「いや、ただ座っているだけというのもなかなか苦痛だよね」


 とは言っても、今回に限ってはなにもできないのだが。


 その時だった。突如アラート音が館内に響き渡り、先ほどギアと呼ばれていた男によるアナウンスが始まった。


《緊急警報! グラン軍が国内に侵入。ボレアリス、パンツァー・エイド二号機は直ちに出撃せよ》


 ヴィルはきゅっと目を細め、静かにアナウンスに耳を傾けている。

 数拍間を置いて、機体にぐんと妙な力が働き、眼前に広がる外部映像がゆっくりと動き始めた。射出レールへの運搬が始まったのだ。

 どうやら出番のようだ。


『行くぞ』

「うん」


 彼の声にヴィルは頷き、再び操縦桿をきつく握りしめた。手のひらの汗で滑る感触がある。

 それでも、この手を離す訳にはいかなかった。

 先ほど目の前で死に絶えた男の残像を思い、ヴィルはのろのろと息を吐いた。


***


 黄色い機体が、そして大量の繭色をした機体が、広い空を覆い尽くしていた。

 人に近い形をしているが、そのスマートな体躯はむしろ蜂の胴体を連想させる。よく磨かれた装甲は藍色の空に浮かぶ月の光を反射し、白むように輝いていた。


 ロンドバルディアの機体修理の速度はそれほど早くない。なにかとグラン国の先を行くロンドバルディア連合国だが、この点だけはグラン国の方が勝っている。

 全損失ロストさせるよりも中途半端に故障させる方が向こうにとっては損失も大きく、グラン国にとっても利があった。

 この様子では、きっとロンドバルディアはこちらの策にまんまと嵌まってくれたのだろう。ならば今のうちに行動すべきだ。


『行くのだお前達! アサキ国を陥落させ、‟プエルタ”を見つけ出すのだ!』


 黄色い機体に乗り込んだ男が哮る。

 しかし、それは直後発生した空中爆発によりものの見事にかき消されてしまった。激しい熱風に翻弄されつつも、彼は見た。


『なっ……』


 砂埃の中ゆっくりと姿を現したのは、たった二体の戦闘機だった。


***


 あれが、グラン軍。

 ヴィルは前を見据えながら、ぽつりと呟いた。


 手前の黄色い蜂をモチーフにした戦闘機が、通称『ビー』。全体のフォルムが細く、手足が長く作られていることが特徴の戦闘機で、ローズ社により技術提供された戦闘機の中ではかなり新しいタイプに分類される。無駄を省いた軽い装甲に、他の戦闘機と比べてかなり強化されている四肢の接続部分。ある程度無茶が利く戦闘機、とヴィルは認識していた。


 その後ろに立ち並ぶ大量の戦闘機は、通称『コクーン』。ロンドバルディアのエル・システムと対になるもので、このふたつに関しては性能差はほとんどない。

 ヴィル自身本物を見るのは初めてだったため、エンジニアとして少なからず興味が湧いていた。


『小隊長ってところか。雑魚を寄越すんじゃねぇよ』


 パンツァー・エイドの前に堂々と立ちはだかるボレアリスからそんなコメントが聞こえてきた。確かに『黒の王』からしてみれば大したことはないのだろうが、それにしても乱暴な言い草である。

 ヴィルはそれに対して敢えてコメントせずに、ただただ口を堅く閉ざしていた。


 そして両者は動き出す。

 突然パンツァー・エイドが勢いよく宙へ飛び上がったかと思えば、次の瞬間にはコクーンの群れに鉄砲玉のように突っ込んでいった。

 ひどいGだ。急激な気圧の変化に顔をしかめつつ、ヴィルは慌てて操縦桿を握り直す。


「っ、」


 正面にいる者から右の拳で殴りつけ、遥か遠くの地面へ墜としてゆく。また一体、また一体と。

 突如背後に回ったコクーンの一体が、死角を突いてパンツァー・エイドに攻撃を仕掛けてきた。紅いレーザー光が脇腹を突いた刹那、ヴィルの身体にまるで焼け付くような痛みが走る。


 よくよく考えてみれば、ローズ社の戦闘機は軒並み人間の神経を機体に接続して操作する。機体に受けた傷みは幻痛となり、操縦者の身体を蝕んでゆくのだ。


「なんだよ、これ……!」


 呟いたところで身体の自由は効かない。パンツァー・エイドの機体は大きく回転し、左腕を変形させたマシンガンでコクーンの機体を貫いた。大型の銃器を扱うのとほぼ同じ衝撃が左腕に跳ね返り、先ほど痛めた箇所がぎしぎしと軋む。


 パンツァー・エイド二号機はガン・タイプだ。機体へ積みこんだ武器は八割方銃器である。銃の扱いは慣れているので、ヴィルは心底助かった、と思った。これがプロトタイプである内蔵武器なしの一号機、ソード・タイプの三号機ならば、確実に戸惑っていたことだろう。


 ヴィルはちらりとモニタの端へ目を向け、もう一つの戦闘機――ボレアリスを捉える。

 その頃ボレアリスはというと、ビーを相手に強烈な一撃をお見舞いしたところであった。

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